「少年」と「雪女」二
これは‥夢だろうか。
薄く朧げな色をした映像の中で、和装に身を包んだ自分と1人の少女が楽しげに話していた。
どこかの庭先だろうか。側には大きな桜の木が延びており、その大きな幹に見合った枝葉からはそれは見事な花を咲かせている。
どことなく、ウチの庭先に似ている‥。
しかし、自分にはその場所と完全に一致する場所も、傍にいる少女の顔にも見覚えはなかった。
そして、よく見ればそこいる青年は容姿こそ似ているものの、体格や顔の精悍さから幾分か年上のように見えた。
「‥さん、イトが大きくなったらお嫁さんにしてくれる?」
そう言って腰に抱きつき戯れ付く少女に青年は困ったように笑う。
「そうだなぁ‥イトが大きくなったら来てもらおうかな」
「えぇー、絶対嘘だぁ。いつもそう言うもん」
自身によく似た青年はそれには何も答えず、ただ不貞腐れる少女の頭を撫でた。
そうしながら少女に向ける目は、親が子に向ける様な慈愛に満ちたものだった。
それが自分ではないと分かってはいるがどこか気恥ずかしい。
そんな自分の気持ちに応えくれたのか、
場面は暗転し今度はよく見慣れた人物と場所が映り出した。
「お前は馬鹿か?死ににいく様なものだ!無駄死にだというのに何故それが分からない?」
そこは見慣れた地下の座敷だった。
そこに立ち、激昂したように詰め寄るのは、さっきまで会っていた雪だった。
「雪‥分かってくれ、俺だって武士の端くれなんだ。これまで食わしてもらった御恩がある。最後の奉公くらいしないと先祖に顔向けできない!」
そう答えた声はさっきの青年のものだったが、姿は見えない。
これは、さっきの俺に似た人の視点か?‥一体誰なんだ‥雪が関係しているのか?
次々と疑問が浮かび上がるものの、それに答えてくれるものは当然居ない。
「武士?御恩?郷士の小倅に過ぎない癖に大層な心意気だな。
アイツらが何をしてくれた?お前が多少取り立てられたのだって窓憑だからだ!
お前だってアイツらが自分を陰でどう言ってるかなんて分かってるだろう‥何故そんなにも奴らに尽くそうとする」
「バカな事してるって思うよな‥分かってる。雪の言う通りだ。それでも俺は行くよ‥生まれ故郷が好き勝手されるなんて許せることじゃないだろ」
激しさを増す雪の口調とは打って変わって青年の口調は静かで落ち着いたものだった。
そこに、力強さや意気込みは感じられなかったが、曲げられない意思の強さがあった。
「‥私は力を貸せない‥今回の争いに我らは関わらない、それが決まりだ。‥お前は、何もできず死んでしまう‥それこそ鉛玉1つで身を貫かれ、刃で裂かれる。私のマドツキのお前がだ。私が力を貸さないというのはそういうことなんだぞ」
青年胸に額を押し当て俯く雪。
その肩にそっと無骨な手が乗せられた。
「それで良い、マドツキ同士が争えば戦は泥沼になる。人同士の争いにそこまで付き合う必要なんて無いよ」
「私は役立たずだ‥いざという時お前の盾になる事さえ出来ない」
「別に死ぬと決まったわけじゃないさ。それにさ、もし俺が死んだら、その時は……」
青年の最後の言葉は耳障りな雑音に掻き消され聞こえなかった。
ただ見えていたのは青年の言葉に驚く雪。
その姿に見合った1人の女の子の表情だった。
そして、また場面は暗転し、何処かの城の中や戦場の様な場所、立派な鎧に身を包んだ者達を映しては消え、目まぐるしく変わっていく。
まるで映画の断片的な1つ1つのシーンを無理やり繋ぎ合わせたようで、何の注釈も説明もない。観客でしかない自分には何も分からない。ただ胸の苦しさだけが増していく。
早く目覚めたい。もう見たくないと切に願った。
そしてその待ち望んだその時はすぐにやってきた。
そこにあったのは、ただの暗闇だった。
景色も物の輪郭すらも溶け込み、何も見えない黒一色。
これまでとは明らかに違った雰囲気に飲まれそうになる中、微かに声が聞こえてきた。
それは悲痛さを溶け込ませた様な叫びだった。
「どうして‥どうして‥お前さえいれば私はそれで‥‥」
啜り泣く雪の声だった。
ーーーーーー
ーーーー
ーーー
ーー
ー
そっと目を開けた。
目に映るのは5年の歳月の中で慣れ親しんだいつもの天井。
「夢‥か」
自身に言い聞かせるかのように呟いた。
顳顬を伝う汗、背中に纏わりつくシャツの気持ち悪さがそれを追認させてくれた。
何だったんだ‥夢にしては異様に現実感があった。
夢というよりも、精巧に作られたVRか何か。それに最後のあれは‥
最後に聞いたあれは雪の声だった。
だとすると、あの青年の最後はそういうことだったのだろう。
聞いている者まで張り裂けてしまいそうな、声にもならない嗚咽を上げる雪の事を思えば、表しようも無い苦しさあった。
そしてそれと同じくらい、青年の最後の言葉に見せた雪の顔を思い出すと胸が痛かった。
あんな顔見たくなかった。
それが何かを認めたくなく、首を振って余計な考えを飛ばす。
枕元にある時計を引き寄せると身支度を始めなければいけない時間だった。
体から何かを吐き出すように重いため息を1つ吐くと、少し重く感じる体を起こして身支度を始めた。
「おはよう、爺ちゃん」
真新しいダイニングに辿り着くと、すでに朝食の用意を済ませていた祖父に声をかけた。
「何だ、夜更かしでもしたのか?顔色が良くないぞ」
「いや、夢見が悪くて‥」
俺がそう答えると、祖父は顔洗って来いと一言返し、味噌汁の入った鍋を温め始めた。
それに従い洗面所へと向かう。
そして顔を洗い歯磨きをして、戻ってくるとダイニングテーブルに朝食が用意されていた。
味噌の香りが鼻腔を擽り、自然と食欲が湧いてくる。
あんな夢見の悪い日でも腹は空く様だ。
「あの方はどうだった?」
「まぁ‥元気かな‥多分。そういえば、チョコミントのアイスが食べたいってさ」
俺が何でも無いように言うと祖父は困った様な顔をした。
「そうか‥それは用意して差し上げなければならんな」
口ではそう返すものの内心困惑しているだろう。
そりゃあ、代々祀ってきた存在がチョコミントのアイス食いたいって言われたらそうなるわな
祖父の心中を慮り、少し心が痛む。
「あのことは伝えたのか?」
「‥いや」
「早くお知らせして差し上げろ‥きっとお喜びになられる」
祖父はそう言うが、俺にはそう思えるほどの自信がなかった。
それも今日の様な夢を見たなら尚更だった。
なんて返そうかと答えを探すように窓に目を向けた。
そこには分厚い雲が日光を遮る陰鬱とした空が広がっていた。
◆◇
俺が住む町はお世辞にも都会とはいえない場所だった。
街に停まる電車やバスの本数は少なく、車が無ければ生活するのも難しい。
広がる景色は鬱蒼とした山々と田圃や畑くらいのもので、牧歌的と言えば聞こえは良いだろうが、10歳の頃まで都会っ子だった自分にとっては辛いものがあった。
それは何も娯楽の少なさだけを指すものではなかった。
小さな町というのは、外からの流れが少ない事でコミュニティとしての円熟度は増す一方で、
どうしても閉鎖的になる。ゆえにある種の特異性というものは直ぐに周囲へと知れ渡った。
その時の事は今でも脳裏には強く焼き付けられている。
自分をマドツキだと知った時の先生や近所の大人達の反応。
そして、最初こそ変わらずに接してくれた同級生も、時間が経つにつれ、その言葉の意味を知り
離れていった。
そんな俺にとって隣を歩く1人の少女‥紬の存在はありがたいものだった。
家が近く、父親同士が知り合いということもあり、家族ぐるみで何かと気を使ってくれている。
それは春がマドツキだと知ってからも変わらず、寧ろ娘の体質からその両親には喜ばれた。
小学校と中学校2人が一緒に登校するのも、紬の両親に頼まれた事の1つだった。
「春ちゃんは‥どうして怖くないの?」
淡い色をしたサロペットに身を包んだ紬は、ポケットの縁を握り締め立ち止まる。
その小さな指先は音が鳴りそうな程に力が入り、体は強立っていた。
「怖いって‥あれの事か?」
怯える紬を少しでも和らげるため、何でもないかのようにそう言った。
そして畦道から少し離れた藪の中にいたモノを指差した。
「指差しちゃダメだよ!ついて来ちゃうよ!」
「あ、そうか‥ごめん」
珍しく大きな声を出した紬に少し驚き、バツが悪そうに頭をかく。
確かに、少し軽率な行動だったと反省した。
自分が指を刺したモノは黒い影の様な体を踊らせながらそのまま場所に立っていた。
しかし、その体に浮かぶ単眼の眼は俺達の姿をしっかりと捉えていた。
「もう、早く行こ」
紬は呆れた様に溜息を一つ吐くと俺の腕を引っ張った。
そしてそのまま早足で逃げるように早足で歩きはじめる。
「ごめんって‥もうしないから」
小声になり謝ると、紬は少し歩調を緩めた。
「約束だよ‥もうしちゃダメだからね」
出来の悪い弟に言い聞かせる様に、紬は指を立てながら怒る。
その姿にどちらが年上か分かったものじゃないなと苦笑した。
「分かったよ、もうしない」
怯えた表情よりも今の方が何倍もマシだ。
そんな結果を齎せたなら、自分の軽率な行動も少しは役に立ったのかもしれない。
「本当、春ちゃんって怖いもの知らずっていうか‥危機感が薄いよね。いちいち怖がってる私がバカみたいじゃん」
いつもの調子が出て来たのか、紬は口を尖らせ睨んでくる。
「俺も最初は怖かったよ‥でも、あいつらは何も出来ないって分かってるから。だから、大丈夫だよ」
実際、雪に会ったばかりの頃は急に見える様になった者達に怯えていた。
それでも数年間も過ごすうちに慣れが生まれた。
今じゃあ、あぁまた居るよ。
それくらいの感覚だ。
「えー、紬も見えるようになってから結構経つけど、今でも怖いよ‥」
信じられないものを見る様に紬が目を見開く。
そんな紬が見せる反応に自分の危機感が足りていないのかもしれないと思った。
「やっぱり春ちゃん、紬に隠してあることあるよね?」
紬は足元の小石を転がしながら、ポツリと呟く。
それに少しドキリとさせられたが、顔には出さないように務めた。
「そうだな‥一杯あるな」
茶化す様にそう言うと、紬は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「いま、はぐらかしたでしょ?」
「バレたか」
そう言って笑うと、紬は不満そうに低く唸る。
まるで、精一杯威嚇する小型犬の様で、残念んがら微笑ましさしかない。
「ごめんって」
咄嗟に機嫌を取ろうと紬の頭を撫でようとした手を伸ばす。
その時、今朝の夢の光景が頭を過った。
そういえば‥夢の中の女の子も紬くらいの歳だったな。
目の前にいる紬とは服装や髪型‥違いを挙げればキリが無い。
しかし、朧げながらその少女の顔立ちは何処か紬と似ている様に感じる。
だからか自分の伸ばした手があの青年と被って見え、固まった。
「どうしたの?」
腕の伸ばしたまま何もしてこない事を不思議に思ったのか、紬が心配そうにこちらを見ていた。向けられた瞳にたじろいだ俺は誤魔化す様に道の先へと視線を移した。
「ごめん、何でもない。早く行かないと遅刻するな」
こちらの反応に何かを感じていた紬だったが、自身の腕についた時計に目を向けると
直ぐに走り出した。
「本当だ!、走らななきゃ春ちゃん!」
自身の置いて走り出した紬の背に小さな安堵の溜息を吐き、直ぐにその後を追い始めた。
ーーーーーー
ーーーー
ーーー
ーー
ー
急かす紬のお陰か予想よりも余裕を持って学校へと辿り着いた。
しかし下駄箱に着くやいなや待っていたのは担任教師の呼び出しだった。
「そうか‥高校はご両親の方にある学校にするのか。その方が良いかもな‥ご両親だって心配してるだろうし」
進路希望と書かれた紙を見ながら担任が何度もうなづく。
家庭の事情を理解し心配してくれる良い先生のように思える。
しかし、それが表面上のもので、寧ろ扱い辛い生徒が遠くの学校に行くことに嬉しがっているのを知っていた。その担任が自身に向ける目に明らかな嫌悪と怯えが滲んでいた。
「はい‥祖父もこれには賛成してくれていますので‥」
「まぁ、あっちの方が大学進学とかを考えると色々選択肢も多いしな‥」
「そうですね。ここもすごく良いところなんで、あまり離れたくは無いんですけど‥後のことを考えると色々見ておきたいとも思いますし、何より、妹にも顔を忘れられそうなんで」
そう言って苦笑すると、担任も初めて憐憫の目を向けた。
「悪かったな‥もう教室に行っていいぞ」
「はい。失礼します」
礼儀正しく頭を下げ、職員室を退室した。
廊下には教室へと急ぐ同級生達の姿があり、職員室から出てきた自分を興味深そうに見ていた。
そんな視線を若干煩わしく感じながらも、気付かないフリをして教室へと向かった。
幸いなことに3年生の教室は職員室と同じ階にある。
朝のSHR前のこの時間は特に騒がしく、それぞれ教室からは話し声や笑い声が漏れていた。
しかし、それも自分が教室に足を踏み入れ、全員の視界に治ったと同時に瞬間に一瞬静けさに変わった。そして席に着く頃には少し経つと何なかったかの様に、元の騒がしさに戻る。
いつの様に繰り返されてきた光景だったが、どれだけ経っても良い気持ちがするものではなかった。
別に素行が悪いつもりもないんだけどなぁ‥。
自身が窓憑と呼ばれるものになったと広まってから、周囲の同級生はこういった反応を見せる。そのせいで、この5年間碌に友達が出来なかった。
イジメこそないものの、自身を見る同級生達の目は暖かさとは遠いものだ。
まぁ、それもあと半年もすれば変わるかもしれないし‥。
そんな風に考えられる、割り切りの良さは自分の長所だと思う。
そうやって自画自賛をし慰めていると、コツコツと雨粒が当たる音がした。
窓に目を向けると、朝から見えていた鼠色の分厚い雲空からシトシトと雨が降り出し始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます