第2話 「少年」と「雪女」②

薄く朧げな色をした映像の中で、和装に身を包んだ春と1人の少女が楽しげに話していた。

どこかの庭先だろうか。側には大きな桜の木が延びており、その大きな幹に見合った枝葉からはそれは見事な花を咲かせていた。


(どことなく、ウチの庭先に似ている‥)


しかし、春にはその場所と完全に一致する場所も、傍にいる少女の顔にも見覚えはなかった。


そして、よく見ればそこいる青年は容姿こそ自分に似ているもの、その体格や顔の精悍さから

幾分か年上のように見えた。


「兄さん、イトが大きくなったらお嫁さんにしてくれる?」


そう言って腰に抱きつき戯れ付く少女に青年は困ったように笑う。


「そうだなぁ‥イトが大きくなってて俺が偉くなってたらね」


「えぇー、イトは別に兄さんが偉くなくてもいいよ」


春によく似た青年はそれには何も答えずただ不貞腐れる少女の頭を撫でた。

そうしながら少女に向ける目は、親が子に向ける様な慈愛に満ちたものだった。


そして、場面は暗転し今度はよく見慣れた人物と場所が映り出した。


「お前は馬鹿か?死ににいく様なものだ!無駄死にだというのに何故それが分からない?」

 

そこは見慣れた地下の座敷だった。

そこに立ち、激昂したように詰め寄る女性は春がさっきまで会っていた雪だった。


「雪‥分かってくれ、俺だって武士の端くれなんだ。これまで食わしてもらった御恩がある。最後の奉公くらいしないと先祖に顔向けできない!」


そう答えた声はさっきの青年のものだった。


(これは、さっきの俺に似た人の視点か?‥一体誰なんだ‥雪が関係しているのか?)


次々と春の中に疑問が浮かび上がる。

しかし、それに答えてくれるものは居らず、流れる川の流れの様に時は止まってはくれない。


「武士?御恩?郷士の小倅に過ぎない癖に大層な心意気だな。

アイツらが何をしてくれた?お前が多少取り立てられたのだってマドツキだからだ!

お前だってアイツらが自分を陰でどう言ってるかなんて分かってるだろう‥何故そんなにも奴らに尽くそうとする」


「バカな事してるって思うよな‥分かってる。雪の言う通りだ。それでも俺は行くよ‥生まれ故郷が好き勝手されるなんて許せることじゃないだろ」


激しさを増す雪の口調とは打って変わって青年の口調は静かで落ち着いたものだった。

そこに、力強さや意気込みは感じられなかったが、曲げられない意思の強さがあった。


「‥私は力を貸せない‥今回の争いに我らは関わらない、それが決まりだ。‥お前は、何もできず死んでしまう‥それこそ鉛玉1つで身を貫かれ、刃で裂かれる。私のマドツキのお前がだ。私が力を貸さないというのはそういうことなんだぞ」


青年の胸に額を押し当て俯く雪の肩にそっと手が乗せられた。


「それで良い、マドツキ同士が争えば戦は泥沼になる。人同士の争いにそこまで付き合う必要なんて無いよ」


「私は役立たずだ‥いざという時お前の盾になる事さえ出来ない」


「別に死ぬと決まったわけじゃないさ。それにさ、もし俺が死んだら、その時は……」


青年の最後の言葉は耳障りな雑音に掻き消され聞こえなかった。

春に分かったのは、青年の言葉に驚く彼女の表情。その姿に見合った1人の女の子の表情をした雪だった。


そして、また場面は暗転し、何処かの城の中や戦場の様な場所、立派な鎧に身を包んだ者達を映しては消え、目まぐるしく変わっていく。


まるで映画の断片的な1つ1つのシーンを無理やり繋ぎ合わせたようで、何の注釈も説明もない観客でしかない春には何も分からない。誰かの記憶や夢を見せられている様な感覚だった。

それがいつ終わるのかと春が思いはじめた頃、その時がやってきた。


そこにあったのは、ただの暗闇だった。

景色も物の輪郭すらも溶け込み、何も見えない黒一色。

これまでとは明らかに違った雰囲気に飲まれそうになる中、微かに声が聞こえてきた。


それは悲痛さを溶け込ませた様な叫びだった。


「どうして‥どうして‥お前さえいれば私はそれで‥‥」


1人啜り泣く雪の声だった。




ーーーーーー

ーーーー

ーーー

ーー


春はそっと目を開けた。

そこ映るのは5年の歳月の中で慣れ親しんだいつもの自分の部屋の天井だった。


「夢‥か」


自身に言い聞かせるかのように呟いた。

顳顬を伝う汗、背中に纏わりつくシャツの気持ち悪さがそれをより追認させた。



(何だったんだ‥夢にしては異様に現実感があった。夢というよりも、精巧に作られたVRを見せられているみたいだった。それに最後のあれは‥)


最後に聞いたあれは春もよく知る雪の声だった。

だとすると、あの青年の最後はそういうことだったのだろう。


聞いている者まで張り裂けてしまいそうな、声にもならない嗚咽を上げる雪の事を思えば、表しようも無い苦しさあった。

そしてそれと同じくらい、青年の最後の言葉に見せた雪の顔を思い出すと胸が痛かった。


それが何かを認めたくなかった春は首を振って余計な考えを飛ばす。


枕元にある時計を引き寄せると身支度を始めなければいけない時間だった。

春は何かを体から出すように重いため息を1つ吐くと、少し重く感じる体を起こして身支度を始めた。



「おはよう、爺ちゃん」


真新しいダイニングに辿り着くと、すでに朝食の用意を済ませていた祖父に声をかけた。


「何だ、夜更かしでもしたのか?顔色が良くないぞ」


「いや、夢見が悪くて‥」


春がそう答えると、祖父は顔洗って来いと一言返し、味噌汁の入った鍋を温め始めた。


春もそれに従い、顔とついでに歯磨きをして戻ってくるとダイニングテーブルに朝食が用意されていた。

味噌の香りが鼻腔を擽り、自然と食欲が湧いてくる。

こんな日でも腹は空くのかと思った。


「彼の方はどうだった?」


「まぁ‥元気かな‥多分。そういえば、チョコミントのアイスが食べたいってさ」


春が何でも無いように言うと祖父は困った様な顔をした。


「そうか‥それは用意して差し上げなければならんな」


口ではそう返すものの内心困惑しているだろう。


(そりゃあ、代々祀ってきた存在がチョコミントのアイス食いたいって言われたらそうなるわな)


祖父の心中を慮り、微かに春も心が痛んだ。


「あのことは伝えたのか?」


「‥いや」


「早くお知らせして差し上げろ‥きっとお喜びになられる」


祖父はそう言うが、春にはそう思えるほどの自信がなかった。

それも今日の様な夢を見たなら尚更だった。


なんて返そうかと答えを探すように窓に目を向けた。

そこには分厚い雲が日光を遮る陰鬱とした空が広がっていた。


◆◇


春が住む町はお世辞にも都会とはいえない場所だった。

街に停まる電車やバスの本数は少なく、車が無ければ生活するのも難しい。

広がる景色は鬱蒼とした山々と田圃や畑くらいのもので、牧歌的と言えば聞こえは良いだろうが、10歳の頃まで都会っ子だった春にとっては辛いものがあった。


それは何も娯楽の少なさだけを指すものではなかった。

小さな町というのは、外からの流れが少ない事でコミュニティとしての円熟度は増す一方で、

どうしても閉鎖的になる。それ故に、春の持つある種の特異性というものは直ぐに周囲へと知れ渡った。


その時の事は今でも脳裏には強く焼き付けられている。

春をマドツキだと知った時の先生や近所の大人達の反応。

そして、最初こそ変わらずに接してくれた同級生も、時間が経つにつれ、その言葉の意味を知り

離れていった。



そんな春にとって隣を歩く1人の少女‥紬の存在はありがたいものだった。

家が近く、父親同士が知り合いということもあり、家族ぐるみで何かと気を使ってくれている。

それは春がマドツキだと知ってからも変わらず、寧ろ娘の体質からその両親には喜ばれた。

小学校と中学校2人が一緒に登校するのも、紬の両親に頼まれた事の1つだった。

それが程の良い番犬の役だったとしても、必要とされることに春は少し喜びを感じていた。



「春ちゃんは‥どうして怖くないの?」


淡い色をしたサロペットについたポケットの縁を握り締め、隣に立つ紬が俯いて立ち止まる。

その小さな指先は音が鳴りそうな程に力が入り、体は強立っていた。


「怖いって‥あれの事か?」


怯える紬を少しでも和らげるため、何でもないかのようにそう言った春は、自分達が歩く畦道の少し離れた藪の中にいたモノを指差した。


「指差しちゃダメだよ!ついて来ちゃうよ!」


「あ、そうか‥ごめん」


珍しく大きな声を出した紬に少し驚き、春はバツが悪そうに頭をかく。

確かに、少し軽率な行動だったと春自身も思った。


自分が指を刺したモノは黒い影の様な体を踊らせながらそのまま場所に立っていた。

しかし、その体に浮かぶ単眼の眼は2人の姿をしっかりと捉えていた。


「もう、早く行こ」


紬は呆れた様に溜息を一つ吐くと紬は春の腕を引っ張った。

そしてそのまま早足で逃げるように早足で歩きはじめる。


「ごめんって‥もうしないから」


春がシュンとした犬の様になると、紬は少し歩調を緩めた。


「約束だよ‥もうしちゃダメだからね」


出来の悪い弟に言い聞かせる様に紬は指を立てながら怒る。

側から見ればどちらが年上か分かったものじゃないなと春は苦笑した。


「分かったよ、もうしない」


中学に上がって背の高さは並んだがこの子には本当に敵わないなと春は再認識させられる。

でも、さっきまでの彼女がしていた怯えた表情よりも今の方が何倍もマシだと思った。


そんな結果を齎せたなら、自分の軽率な行動も少しは役に立ったのかもしれない。


「本当、春ちゃんって怖いもの知らずっていうか‥危機感が薄いよね。いちいち怖がってる私がバカみたいじゃん」


いつもの調子が出て来たのか口を尖らせた紬が春を睨む。


「俺も最初は怖かったよ‥でも、あいつらは何も出来ないって分かってるから。だから、大丈夫だよ」


実際、春も雪のマドツキになったばかりの頃は急に見える様になった者達に怯えていた。

それでも数年間も過ごすうちに慣れが生まれたし、それらが自分に何も出来ないことを知った。


「えー、紬も見えるようになってから結構経つけど、今でも怖いよ‥」


信じられないものを見る様に紬が目を少し見開く。

そんな紬が見せる反応に春も少し自分が鈍感すぎるのかもしれないと思った。


「やっぱり春ちゃん、紬に隠してあることあるよね?」


足元の小石を転がしながら、紬がポツリと呟いた。

それに少しドキリとさせられた春だったが、顔には出さないように務めた。


「そうだな‥一杯あるな」


春が茶化す様にそう言うと、紬は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。


「いま、はぐらかしたでしょ?」


「バレたか」


そう言って笑うと、紬は低く唸って不満そうに春を睨みつけた。


「ごめんって」


咄嗟に機嫌を取ろうと紬の頭を撫でようとした手を伸ばす。

その時、今朝の夢の光景が頭を過った。


(そういえば‥夢の中の女の子も紬くらいの歳だったな)


目の前にいる紬とは服装や髪型‥違いを挙げればキリが無い。

しかし、その少女の顔立ちは何処か紬と似ていた。


それ故に、自分の伸ばした手があの青年と被って見えた。


「どうしたの?」


腕の伸ばしたまま何もしてこない春を不思議に思ったのか、紬が心配そうにこちらを見ていた。向けられた瞳にたじろいだ春は誤魔化す様に道の先へと視線を移した。


「ごめん、何でもない。早く行かないと遅刻するな」


春の反応に何かを感じていた紬だったが、自身の腕についた時計に目を向けると

直ぐに走り出した。


「本当だ!、走らななきゃ春ちゃん!」


自身の置いて走り出した紬の背に春は小さな安堵の溜息を吐き、直ぐにその後を追い始めた。


ーーーーーー

ーーーー

ーーー

ーー


急かす紬のお陰か予想よりも余裕を持って学校へと辿り着いた春だったが、待っていたのは担任教師の呼び出しだった。



「そうか‥高校はご両親の方にある学校にするのか。その方が良いかもな‥ご両親だって心配してるだろうし」


進路希望のと書かれた紙を見ながら担任が何度もうなづく。


側から見れば、家庭の事情を理解し心配してくれる良い先生のように思える。

しかし、春にはそれが表面上のもので、寧ろ扱い辛い生徒が遠くの学校に行くことに喜びを感じているのだと分かっていた。時折、その担任が自身に向ける目に明らかな嫌悪と怯えが滲んでいたことを知っていたからだ。


「はい‥祖父もこれには賛成してくれていますので‥」


「まぁ、あっちの方が大学進学とかを考えると色々選択肢も多いしな‥」


「そうですね。ここもすごく良いところなんで、あまり離れたくは無いんですけど‥後のことを考えると色々見ておきたいとも思いますし、何より、妹にも顔を忘れられそうなんで」


そう言って苦笑する春に担任もこれまでで初めて憐憫の目を向けた。


「悪かったな‥もう教室に行っていいぞ」


「はい。失礼します」


春は頭を下げ職員室を退室した。


廊下には教室へと急ぐ同級生達の姿があり、職員室から出てきた自分を興味深そうに見ていた。

春はそんな視線を若干煩わしく感じながらも、気付かないフリをして教室へと向かった。


幸いなことに3年生である春の教室は職員室と同じ階にある。

朝のSHR前のこの時間は特に騒がしく、それぞれ教室からは話し声や笑い声が漏れていた。


しかし、それも春が教室に足を踏み入れ、全員の視界に治ったと同時に瞬間に一瞬静けさに変わった。そして、春が席に着く頃には少し経つと何なかったかの様に、元の騒がしさに戻る。


春にとってはいつの様に繰り返されてきた光景だったが、どれだけ経っても良い気持ちがするものではなかった。


(別に素行が悪いつもりもないんだけどなぁ‥)


自身がマドツキと呼ばれるものになったと広まってから、周囲の同級生はこういった反応を見せる。そのせいで、この5年間碌に友達が出来た試しがなかった。


孤高と言えば、聞こえは良いかもしれないが、実情は気味悪がられているに近いと春も分かっていた。イジメこそないものの、自身を見る同級生達の目は暖かさとは遠いものだ。


(まぁ、それもあと半年もすれば変わるかもしれないし‥)


そんな風に考えられる、割り切りの良さは春の長所だった。


コツコツと雨粒が当たる音がした。

窓に目を向けると朝から見えていた鼠色の分厚い雲空からシトシトと雨が降り出し始めていた。

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