だから僕らは彼女達に憑かれてる。

雛田いまり

第1話 『少年』と『雪女』 ①


そこは漆喰に覆われた古ぼけた蔵の中だった。

中は郷土資料館にでもあるような古い農具や本、色々なものが埃を被った状態で雑多に置かれていた。


そんな場所を1人の老人と孫と思われる少年が歩く。

老人の手は小さな男の子の手をしっかりと握り、周囲を照らしながら目的地へと少しずつ進んでいく。


蔵の奥底へと辿り着いた時、2人の足が止まった。

2人の視線の先、白く照された床には備え付けられた観音開きの扉があった。

引手には鈍色に光る分厚い鎖とそれを結びつける錆びた南京錠がかけられ、何れも蔵と同様に時代を感じさせるものだった。


老人は傍にいる少年に少し離れる様に言うと、それを慣れた手付きで解いていく。

そして、金属引き手を両手で引っ張り分扉を開くとそこには石造りの階段が姿を表す。


扉を潜ると周囲は新月の夜よりも暗く、一寸先すらも見えない暗闇だった。

そこを2人は其々が持つ懐中電灯を頼りに階段を降り、どこかと向かって行く。


一歩一歩と降る毎に、纏わりつく様な暑さは姿を消していき、氷室の中にいるような冷気が肌を舐める。


自然と先導する老人は身を震わせ、その吐く息は雲の様に白く宙へと上がっていく。

しかし不思議なことに、少年は涼しいとは感じていても、寒くは感じておらず、その吐く息も何故か色を持っていなかった。


それに気づいた少年も自分の身に思っている事が不気味で、寒さが起こすものとは違う震えを齎していた。


しかし、そんな恐怖も階段を降り切った先で霧散した。


2人が奥底へと降り立ったその瞬間、光源なんてないはずの地下に光が灯った。

老人と少年の近くから青い焔の玉が順繰り灯っていき、最後の焔が点いた時、それは姿を現した。


青白い灯りの下。

淡い雪の結晶が浮き出る着物に身を包んだそれは鋭い視線を2人へと向けていた。


老人はその視線に貫かれ、生唾を飲んで固まった。

一方で、傍に立つ少年は別の意味で自身に向けられる視線と相対していた。


細雪の色をした髪は少し青みがかり灯りの元で光を反射し、淡い光の粒を発していた。

その顔は、少し吊り上がった眦が圧を感じさせるものの、肌の色も合い余って厳しくも儚い冬を想起させる。


きっと雪女がいればこんな風なんだろうなと少年は思った。

人ではないと分かる美しさを持っていた。


さっき迄は恐怖の対象だったはずなのに、

その姿を見た瞬間、少年の中で空いていたものが埋まっていく充足感があった。


たとえそれが、暗い地下に眠る化け物だったとしても‥。


「やっと会えたな‥私のマドツキ」


血の様に赤い唇が弧を描いた。





『少年』と『雪女』




◆◇


つむぎは必死に息を殺していた。

震える手で口を押さえ、カタカタと鳴る歯を食いしばって堪える。

それでも流れ出る涙は止められず、ただアレから見つからないことだけ祈っていた。


そうしている間にも、身を隠した押入れの外から声が聴こえてくる。


「‥どこ‥あれ空いてる‥まだ空いてる」


うわ言ようにブツブツと繰り返される言葉。


戸に空いた小さな穴から恐る恐る外を伺うと、7畳ほどの部屋の中でポツんとそれは立っていた。

胴体は人のそれだが、その首は異様に長くあらぬ角度で曲がっていた。


出来損ないの蝋人形のようだ。

人に近しい故に際立つ異様さに恐怖を感じた。


どうしたかは分からないがアレは自分を探している。

何故か自分が身を隠す押入れには指一本触れず、すぐ近くに居座っている。


どうしてこんなことに‥。

特に何かをしたわけでは無い。

いつもと変わらない、学校からの帰り道だった筈なのに。

ただ1つ変わった事があるとしたら、紬が実の兄の様に慕う1人の少年がそこにいなかったことだろう。


それだって自分自身の自業自得だと紬は分かっている。

自分の短慮と心の弱さが引き起こした事だと。


春ちゃん‥ごめんなさい。


心の中でどうしてあんなことをしてしまったのか、あんなことを言ってしまったのか、

恐怖と自責の念で紬の心は押し潰れそうだった。


もし、もう一度会えたなら彼に謝りたい。

それが紬が縋り付ける唯一のものだった。


ーーーーー

ーーー

ーー



ハル、そっちはどうだ?風邪とか引いていないか?」


受話器からこちらを心配する父親の声に苦笑して春は答えた。


「何にも無いよ。俺も爺ちゃんだって風邪1つ引いてないって。それより父さんの方が元気なさそうじゃん」


「そうか、なら良かった。‥こっちはまぁ‥なんとかやってるよ」


「さっき母さんからも電話があったよ。まだ、碌に口聞いてもらってないの?」


「そうなんだよなぁ。未だ、お前がそっちに行ったことに納得がいっていないみたいでな」


2人が一緒に伝亜してこない時点で察してはいたが、ここまでくると別の不安が春の中に生まれてくる。


「もう何だかんだ5年になるのにね。俺だってもう中学生なんだからさ、こっちの方が慣れてきたよ。‥あのさ、離婚とかしないよね?」


「縁起でも無いこと言うなよ‥お前や燈だっているし、そんなことにはならないさ」


子は鎹ということだろうか‥。

原因の一端である自分がそんな役目を果たしているとは中々に複雑だった。


「まぁ、何でもいいけどさ、仲良くやってよね」


「子供に心配されると中々辛いものがあるな‥まぁ心配するな、お前が帰ってくるまでには何とかする。父さんだって男だからな、自分が引き起こしたことの責任くらいは取るつもりだ」


その割には、言葉の節節に自信の無さが感じ取れるのは気のせいだろうか。

思わず出そうになる溜息をグッと堪え、近況報告を終え受話器をそっと置いた。


(5年か‥。)


さっき自分で言ったことだったが、時の流れの速さを改めて感じた。

そして、周りを見渡せばその気持ちがより感じられた。


春に与えられた部屋は、体が大きくなった今でも時間の自分の部屋よりも広い。

襖を開け、隣の奥座敷と合わせれば20畳はあるだろう。


畳こそ春の要望で、新しくより現代的な琉球畳になっていたが、それ以外は全て昔から、

それこそ父がいた頃から変わらないものだった。


重厚で独特の光沢を放つ柱や桜と雪の結晶を模した欄間の彫刻。

どれも一般的な集合住宅に暮らしていた春にとっては物珍しく感じていたものだった。

それが今では見ても特に感想も浮かばない、日常の風景となっていた。


そのことに何とも言えない感慨深さを感じていると、廊下から春を呼ぶ祖父の声が聞こえた。


「春、もう御勤めの時間だぞ。彼の方をお待たせするな」


そう言われ、春が時計を見ると時刻は15時を回っていた。


「‥分かってるって、すぐに行くよ」


学校から帰り、両親の電話が終わったと思えばすぐにこれだ。


今から会う相手の事を考え、少し億劫な気持ちになる春だったが、体はすぐにその準備のために動き出していた。


これもある意味5年という歳月の中で生まれた慣れのせいなのか、それとも教育の賜物なのかは

春にも分からない。


ただ、その相手を待たすともっと面倒なことになることだけは確かだった。


◆◇


いつもの様に蔵の奥にある扉を通り、その先で待つ相手のものへと向かいながら春は思った。


(何だってこんなとこに居るんだよ‥別に母屋に居たっていいだろうに)


この地下を歩くたびに毎回思うことだったが、面倒な事を除けばここにくることは

春にとって嫌なことではなかった。


地下のためか、それともそこいる者の所為かは分からないが、蔵の底は適度に涼しく

とりわけ今日のような日差しがが強い日は尚更だ。


しかし、今回はその快適なはずの温度も心なしか肌寒い。

そこに言外の圧を感じ取った春は足を早めた。


「遅い!‥もう四半刻も過ぎておろう!何をしておるのか」


春が目的地に辿り着いた瞬間、そこで待っていた相手は畳の上で腕を組みこちらを睨みつけていた。


その姿から背後に仁王像のようなものを幻視した春は無駄な言い訳を諦め、潔く頭を下げた。


「悪かったよ‥お詫びに次に来た時はお前の好きなアイスでも持ってくるよ」


「‥黒くて甘いのに薄荷が入ったやつが良い」


「そんなにチョコミントが気に入ったのかよ」


(雪女ってこんなにチョロいものものなのか?)


提示した春自身が言えたことではないが、仮にも自分の隠人がこんなに扱い安くてどうなんだろうかと少し心配になった。


「おい、もしかして私のことを‥この雪を扱い安い婢女とでも思っているのではあるまいな?」


春の視線から感じ取ったのか、雪は少し頬を赤めながら視線を強めた。


「自覚があるなら直せよ」


「はぁ!?それでも私のマドツキか?もう少し敬いの心とか無いのか」


「なら、隠人としての威厳を持ってくれよ」

こんな軽口の応酬も、春と雪にとってはいつもの日常だった。

もし、これを母屋にいる祖父や父が聞いたら卒倒することだろうが、ここに入れるのは春のみなのだから知るよしも無い。


「相変わらず口の減らないやつだ。昔は良かったなぁ、最初はここに来る度にビービー泣いて、すこーし優しくしたら私にへばり付いてきて‥可愛かったなぁ」


雪は銀糸の様な毛先を弄びながらボヤいた。


「泣いてねーし!嘘を言うな!」


「いーや泣いてたね。それはもうビービー泣いてたよ‥‥家族に会いたいって‥」


そう呟いた雪の口調は、それまでの軽快さとは打って変わって悲痛さが滲み出るものだった。


「‥さっきの電話聞いてたのかよ。あんまり趣味良くないぞ」


さっきまでの気やすさが嘘のように何とも言えない空気が2人の間に漂う。


春の読み通り、雪はどんな手を使ったのかは分からないが、両親との電話を聞いたのだろう。

そして、春が両親と別れて暮らす原因となったことを酷く気に病んでいる。


(こいつにこういう態度を取られると、調子が崩される)


「お前も‥春も思っているだろう‥あの時、私が居なかったらって‥マドツキなんかに選ばれなかったら‥って」


お前のせいじゃ無い。

春もそう言えたらと思うが、心の奥底では雪の事を疎ましく思っている自分がいることも分かっていた。だからこそ、言えずにいる。

雪に嘘だけは吐きたくない。

そう思うが故に春も、それが彼女にとって一番の救いになると分かっていても何も言えずにいるのだ。


(それでも、不思議と後悔した事はないんだよな。あの時、最初に出会った時から‥)


春もそれを伝えれば良いのに、どことなく気恥ずかしく言えずにいた。


「‥口を開けば、あの時あーしてればこーしてればか?あーヤダヤダ、老人は昔ばなしが好きだよな」


その代わりに出てくる言葉は、いつもの様な軽口だった。

それが春にできる精一杯の優しさのつもりだった。


春をよく知らない他の者ならば、はぐらかされたと怒ってもおかしくはない。


春自身もそう思う。

しかし、雪とはこの5年間毎日、それこそ家族の様に顔を合わせ付き合ってきたのだ。


それが生意気な子供の言葉でも、分かってくれるという他人任せの言葉だったとしても、

そこにある確かな真意を感じ取ってくれると信じていた。


そして、雪もそんな期待に応える様に春の言葉に微かな笑みを浮かべた。


「‥お前は、本当に口の減らない孺子だな‥」


仕方のない奴だと笑う笑う雪との間にさっきまで感じていた妙な空気が霧散したことを感じ、

春はそっと胸を撫で下ろした。


そうしていつもの様に、春は雪と他愛の無い会話をしたり、明日の学校の課題を一緒に解いたりしながら夕食の時間までそれまでと変わらない時間を過ごした。


「じゃあ、また明日な」


別れ際、雪はいつもの様に地下を上がっていく春を見送る。

この瞬間が雪にとっては物悲しく、その悲しみを感じられることへの幸福を思う時だった。


そんな贅沢を堪能しながら、春の姿が見えなくなった事を見届けた雪はフッと冷気の籠るため息を吐いた。


その頃には、辺りを照らしていた鬼火は姿を消し、一面は闇に包まれていた。


そんな暗がりの中1つの呟きがポツリと響いた。


「未だ‥名前では呼んでくれないのだな」


その寂寥感の包まれた独白を聞く者は誰もいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る