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その頃、松島は体育館にやって来た。体育館はとても静かだ。通常通り授業がある期間は、体育の授業で子供たちの歓声が聞こえていた。だが、もうすぐここでは卒業式が行われる。館内では卒業式の準備が進められている。東日本大震災が起きた時、ここは避難場所として使われた。卒業式の準備が行われていて、これから晴れ舞台だったのに、準備していた物は全て撤収になり、そこには避難してきた住民がたむろするようになった。卒業式が行われるはずだった3月18日もそうだった。行われる事がなかった卒業式、住民はどんな思いでここに避難していたんだろうか?
「今日も見てるんですね」
と、そこに1人の男がやって来た。野原だ。
「あの正月は、どうだったんだろうなと思って」
野原は今年の元旦に起こった能登半島の大地震を思い出した。正月気分が一気に吹き飛んだようで、年が明けた気分になれなかった。めでたいはずなのに、正月早々どうしてこんな事が起きなければならないんだろうか? 何も悪い事はしていないのに。コロナ禍からこれから元に戻ろうとしていた矢先の出来事だ。神様はどうしてこんな時に人間に試練を与えるんだろう。
「一気に正月気分が吹っ飛んだようで」
「どうしてこんな年明けになったんだろう。全く年が明けたって感じがしない」
松島も野原と同じ事を考えていた。まるで東日本大震災が再び起こったような気分だ。どうしてこんな苦しみが繰り返さなければならないんだろう。
「確かに。だけど、9日に再び学校が始まると、年が明けたんだと感じたよ」
「だけど、東日本大震災の後と同様に、前を向いて進まなければならない。それがみんなの力になる」
2人は思っている。人間は災害などを乗り越えて、またたくましく生きていかなければならない。東日本大震災もそうだった。苦しい中で、世界中の人々が支援をしてくれた。楽天イーグルスが日本一になって、東北の人々の希望を与えてくれた。だから、僕らが力強く立ち上がって、また歩き出さなければならない。
「うん。どんなにつらくても、前に進まなければ始まらない」
「そうだね」
野原は体育館を見渡した。もうすぐ卒業式が行われる。今年も卒業式ができる幸せ。あの時は卒業生がみんな死んで、避難場所になり、卒業式すらできなかった。避難していた彼らの保護者は、どういう思いだったんだろう。3月18日をどんな気持ちで迎えたんだろう。
「もうすぐ卒業式か」
「ここに来てるんですね」
松島は思った。思えば、6年生の担任をするのは初めてだ。当然、6年の担任として卒業生を送り出すのも初めてだ。とても感慨深い。
「うん。初めて送り出す卒業生、楽しみだなー」
「だよね。きっとこれは一生ものの感動だと思うよ」
野原も感動がひとしおだろうなと思った。自分も初めて卒業生を送り出した時、とても感慨深くなった。卒業生の心の中にいつまでも残る。一生ものの思い出だ。
「そうだね」
「はぁ・・・」
松島は体育館を見渡して、避難場所になった時の事を思い出した。みんな、騒然となり、悲しみに包まれていた。どうしたらいいんだろう。先が見えない日々をみんな送っていた。だけど、復興する中でそれは薄れていき、また普通の生活を送っている。だが、彼らは東日本大震災の被害を受けていた日々を忘れないだろう。
野原は体育館を出ていった。まだやる事があるようだ。松島はその背中をじっと見ていた。
「ねぇ」
と、松島は誰かの声を聞いた。子供の声だ。もう生徒はみんな帰ったのに、誰もいないはずなのに、誰だろう。
「えっ!?」
松島は振り向いた。だが、そこには誰もいない。松島は首をかしげた。
「ねぇったら!」
松島は再び振り向いた。そこには10人の少年少女がいる。
「あれっ、いたの?」
「うん。また、卒業式がやってくるんだね」
彼らは寂しそうだ。何かあったんだろうか? だが、それ以上に松島は気になった事がある。彼らは誰だろう。もう生徒はみんな帰っているはずなのに。
「き、君たちは?」
「平成22年度の卒業生さ。2011年の3月18日に卒業するはずだったのに、卒業式を迎える前に、みんな死んじゃったんだ」
あの時の卒業生がまさかここに現れたとは。津波にさらわれた時は、どんな気持ちだったんだろう。どうしてこんな事で命を奪われなければならないんだろう。そう考えたに違いない。だが、それが運命だ。受け止めなければならない。だがいつまで経っても後悔しか残らない。卒業式を迎えたかった。中学校に行きたかった。大人になりたかった。社会人になりたかった。結婚したかった。子供をもうけたかった。孫を設けたかった。そしてに何より、天寿を全うしたかった。なのに、あの日、人生が突然終わってしまった。
「まさか、あの時の?」
「聞いたことあるの?」
私たちの事を聞いた事があるとは。東日本大震災の事は、しっかりと語り継がれているようだ。そう思うと、彼らは嬉しくなった。東日本大震災の事を忘れずに、起きた日に黙とうをして、冥福を祈っているんだな。
「うん。卒業生がみんな津波にさらわれたって」
「知ってるんだね」
やっぱり知ってたんだ。あれは本当に有名な話だから、語り継がれているんだな。
「もちろんさ! その悲劇を語り継いでいかなければならないから」
「そっか」
と、そのうちの1人の男の子、石橋が何かを思い出した。
「僕らが生まれる前にも、阪神・淡路大震災があったんだね」
男の子は、阪神・淡路大震災の事を思い出した。東日本大震災が起きた時も、阪神・淡路大震災を思い出したという。だが、大津波が来るのは知らなかった。阪神・淡路大震災が起きた時は生まれていない。だけど、1月17日の早朝、神戸市で黙とうが行われ、亡くなった人々の冥福を祈るニュースを見た事がある。両親も、それを実際にニュースで見た事があるし、ブルーウェーブがリーグ優勝、翌年には日本一になったのをテレビ中継で見た事がある。その時は感動した。だけど、2011年の3月11日にそれ以上の大地震が起きるとは、全く想像していなかっただろう。
「うん。先生はその様子を、生で見てたんだ。高速道路が横倒しになったり、大規模な火災が起きたり、がれきの山になったり、とても大変な様子だったな」
松島も阪神・淡路だ震災の報道を生で見た事があった。とても衝撃的だった。阪神高速が横倒しになり、阪急の伊丹駅が押しつぶされ、あちこちで大規模な火災があった。どうしてこんな事が大都市で起きなければならないんだろうと思った。
「そうなんだ。どうして、こんな事が起こるのかな?」
「仕方がないんだよ。地球は生きてるから」
地球は生きている。だから、地震も起きる。だけど、それで多くの命が奪われてしまう。これはどうしようもない事だ。
「そうなんだ」
「卒業式を迎えられて、嬉しいよね。僕らは、卒業式を迎える事が出来ずに、死んじゃった」
来ている人々には見えないけれど、彼らは毎年、それ以後の卒業式を見てきた。卒業式を迎えられるって、本当に幸せ者だな。僕らは迎えることなく、みんな死んでしまった。卒業証書が欲しかったのに、みんなに見てほしかったのに。
「だから、ここにいるの?」
「うん。毎年、ここの卒業式を見てるんだ。みんな、嬉しそうな表情してた」
石橋は泣きそうになった。すると、その他の9人も泣きそうになった。卒業式を迎えられなくて、みんな悲しんでいる。
「そうだったんだ。全く知らなかった」
「今まで見えなかっただけだよ」
誰にも気づかれずに、寂しく卒業式を見ていた。僕らも卒業式を迎えたいな。見ているうちに、そう思ってきた。だけど、僕らはもう幽霊だ。卒業式なんて迎えられない。卒業証書をもらえない。
「君たちが卒業式を迎えられなかったのを考えると、卒業できる子供って、素晴らしいなと思ってる」
「確かにそうだね」
そう思うと、今年卒業する子供たちが、とても幸せ者だなと思えてくる。東日本大震災を経験せず、復興していく東北ばかりを見てきた。
「うーん・・・」
その時、松島は思った。この子にも卒業式をさせたいな。そして、笑顔で送り出したいな。どうにかならないだろうか?
「どうしたの?」
と、石橋は松島の表情が気になった。何を考えているんだろうか? まさか、卒業式をやろうと思っているんだろうか?
「いや、何でもないよ」
「そう」
と、チャイムが鳴った。そろそろ職員室に戻らないと。
「じゃあね」
「じゃあね」
松島は体育館を出ていった。彼らは寂しそうに見つめている。
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