図書室の本と命

こむぎこ

図書室の本と命

「命ってわかる?」


 図書室の斜め前の席で、彼女は本から目を離してノートに文字をつづっていた。彼女は読書家だけれど、のめりこむように読んではいないのだと思う。ときどき、本から目を離して、ノートに書きつける。


 その一環で少しだけ、僕に対しての言葉が混ざったりする。ノートをこちらに少しだけ寄せて、角を丁寧に紙やすりで削ったかのようにまるっこい文字をみせてくるのだ。


 たいていは、何時までいる?とか、その課題いつまでだっけ?とか。そんな他愛のないもの。お互いに部活が休みな水曜日だけのやり取り。案外これが心地よい。

 いつものように、僕も、課題を中断して、自分のノートに返事を書く。


「どうかした?」


 話の切り口が、少しだけ不思議で、聞きたくなった。帰り道に読んでいる本の話をすることはあったし、今年、クラスで近くの席の時にこういう話もした。けれど、図書室の筆談でするには向いていないようにも思った。


「推し、の雰囲気で使われる命という言葉が今、本に出てきて、不思議だと思って」

「〇〇命、みたいなもの?」

「そういうの。書き方が、古事記みたいでしょ?」

「そっか。言われれば確かに」


 要領を得ないような気がした。やっぱり、筆談でする目的が見えない。


「単体で意味を発揮するのか、つながって別の意味を発揮するのか、みたいなの、不思議で」

「その話の続き、ちょっと気になる。筆談より、帰りみちで話さない?もうこの課題も終わるし」


 話したいのは事実だし、口頭で話したかったから、気を悪くさせないように言葉を選んだつもりだったけれど、返事はなかなか来ない。「そうしよう」の五文字を書くのに、こんなに時間がいるだろうか。

 課題を解いている格好をしながら、その実、課題の文章が目を滑っていくだけだった。

 長い長い時間のあと、ノートが差し出される音が聞こえる。


「きょうは一人で帰りたいから、今、話だけ聞いてくれる?」


 ショックはあった。誘いが断られるのは、踏み込みすぎた恥ずかしさと、悲しさが生まれる。でも、今日はバレンタインデーだ。彼女にも渡す相手がいるのかもしれないし、あるいは今日二人で帰っていたらちょっとだけ目立つかもしれない。校内にはイベントごとに敏感な生徒たちが用もなく残ってたりするのだ、普段の帰り道とは気の使い方も違うだろう。


「わかった。それで?」と書いて続きを促す。すぐに返事を書けなかったことが、ちょっと自分でも恥ずかしい。動揺なんて見せたくはない。


 そうすると、彼女はまたカリカリ、と文字を書き出す。黒髪が時々揺れて、夕日に照らされた赤い頬が目に映る。あまり見ているのもあれだから、課題に戻るけれど、やっぱり進まない。

 また、ノートと机がこすれる音が聞こえる。


「同じ漢字を使っても、意味合いはいろいろあって。あと、私は、本が好きなのも確かで。だから、受け取り方は受け取った人次第です。

じゃあ、私は先に。」


 彼女は下を向いたまま、そんな文面が差し出した。

 つなぎ方がちぐはぐで、意味が分からない部分もあったけれど、帰るなら挨拶はいる。

「できればまた今度、この話を聞きたい。またね」と書いて彼女に見せた。それを見て、うなずいたように見えた。


 そうして彼女はてきぱきと帰り支度へと移行した。本やノートを鞄にしまって、コートとマフラーを身に着けて。図書室に慣れている彼女の動作は、まったく音が伴っていないようだった。最後に一つ会釈をして、立ち去っていた。ガラガラ、とドアの閉まる音がした。僕はふう、と一つ息を吐いて、進まなかった課題に目を戻す。




 彼女がいなくなってからは、課題は驚くほどに進んだ。

 少したって、やることもなくなったので、僕も帰り支度をする。できるだけ音を立てないように、と思っても彼女ほどにはなれない。まあ、図書室通いの年数が違う。僕のは一年程度の付け焼刃なのだから。


 忘れ物がないか最後に一通り見ると、真向いの席に、手提げがおかれていた。

 見たことがある気もする。彼女が持っていそうではある。どうだろう。

 このままにしておくのも違うと思って、そっと持ち上げてみると、中身が少し見えてしまった。


 中には、丁寧にラッピングされたチョコレートがあって。


 メッセージカードには僕の名前だけが書かれていて。





 そのチョコレートには、『本』と『命』とだけ、書かれていた。

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