血の臭いの女

森本 晃次

第1話 美穂

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年1月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。


 昨夜の寝つきが、あまりよくないと思ったのは、寝る前にオカルト映画を見たからだった。

 普段から、怖いものは苦手で、

「一人でおトイレにいけない」

 とかわい子ぶって笑いながら言っていたのだが、実は冗談でもなんでもなく、実際に怖がりだったのだ。

 そんな田辺美穂は、まわりからは、

「自分の気持ちを表に出さない女の子」

 ということで有名だった。

 だから、言っている言葉が、虚勢を張っているのか、それとも、本音なのかが実に分かりにくい。友達からは、

「そんなに分かりにくいと、誰からも助けてもらえないよ」

 というありがたい助言を貰っていたが、本人が、天然なのか、その言葉の意味が分からないまま、さらにヘラヘラしているのだから、厄介だった。

「やはり、美穂は天然なんだろうな?」

 と話をしている友達が多かったのだが、嬉しがって、小学生の頃は、彼女を苛めている人もいたくらいだ。

 だが、美穂は決して、苛められていることを悩む姿を誰にも見せたことがなかった。

 実際に悩んでいるということはなく、いつもヘラヘラしている。最初の頃は面白がって余計に苛めてみるのだが、気が付けば、苛める方が疲れてしまうことが分かるのだった。

「苛めって、こんなにも疲れるものなのか?」

 と苛めっ子が思うくらいで、普通、一人の子を苛めるのに飽きれば、別の子をターゲットにして、永遠に苛めから抜けられないスパイラルに嵌るこのなのだろうが、ひとたび美穂を相手にすると、最初の頃は楽しいのに、途中から飽きてくるのだった。

 それを見ていると、

「不毛の地を踏んでしまったことに気が付いた時のようだ」

 と感じるのだった。

 よく、危険人物が近くに来たりすると、冗談で、

「やつが通った後には、草木一本生えない」

 などと言われるということを聞いたことがあった。

 まさにそんな感覚であり、それが、まさに美穂だというのだ。

 美穂は、そんなことを言われているということは聴いたことがあったが、

「へえ、そうなんだ」

 と、まるでごまかしているかのように思われたが、実は天然であり、真面目に思って、そういったまでのことである。

 ただ、素直にすべてを受け入れようとしているわりには、どこか真剣みがないと見えるところが、

「天然だ」

 と言われるのだろう。

「一体、何が天然だというのか?」

 と、天然について考えたことが何度かあるが、結局、途中で、

「まあいいや」

 といって、諦めてしまう。

 それこそが、

「天然の天然と言われるゆえんだ」

 ということなのだろうが、まったく自覚がないのだ。

 素直に何でも受け入れるわりに、真剣みがないと、こんなになるものなのか。悲しいかな、美穂が途中であきらめるように、まわりが美穂を見ていて、

「理解するのに一筋縄ではいかないな」

 と思った瞬間に、そこからは何も考えられなくなるのと、同じなのであろう。

 苛めに遭っていたのは、小学生高学年の頃と、中学一年生までであった。

 ちょうど、その頃が、美穂にとっての思春期だったようで、

「少し早いのでは?」

 と言われるかも知れないが、

「えてして、女性は男性よりも、発育が早い」

 ということで、美穂はまわりの女の子に比べても、身体が大きい方だったので、まわりの男の子も、一目置いていたようで、

「彼女にはどこか逆らえないオーラがあった」

 と、同窓会などで出会うと、そういわれていたのだった。

 美穂のことを苛めていたのは、実は同性である女子ではなかった。男子が、数名で美穂のことを苛めていたのだが、それも、一人ではかなわないということなのか、いつも、集団で美穂を苛めるのだった。

 当然男の子が女の子に暴力をふるうわけではなく、言葉で責めてみたり、大人であれば、

「セクハラ」

 と言われることなのだろう。

 しかし、美穂は思春期に入っていても男の子はまだであり、昔の小学生の低学年でうやっていた、

「スカート捲り」

 の感覚だったに違いない。

 美穂の方が天然だったので、そんなに騒ぐことはなかったが、見ている方が、不愉快になり、明らかな苛めだと思うのだった。

 だから、苛めを受けている美穂が、まったく逆らおうとしないのを見て、他の女の子が苛立ちを覚えるようになる。そのうちに、まわりの女の子は、そんな連中を蹴散らしてくれるようになったのだった。

 人が見ているほど、美穂にとって毎日が悲惨な感じがしているわけではないようだった。

 だが、あるふとした時に、美穂は急に寂しくなるようで、

「何をしていても、自分ではないようだ」

 というほど、苦しいことがあった。

「それが悩みであり、鬱状態である」

 ということが、そのうちに分かるようになっていったのだった。

 だが、効果不幸か、ちょうど思春期が他の人のまだ、思春期に達していない時であり、こちらが思春期を。

「卒業」

 すると、今度は相手が、思春期を辛く感じるようになる。

 しかも、美穂を苛めていた人たちが、その時の美穂の気持ちが分かるようになってきたことで、

「ごめんなさい」

 といって謝ってくる。

 いじめっ子のような人たちほど、虚勢が張れる範囲が、実に短いもので、意地を張ることもできず、ジレンマの中、美穂に対して、

「シャッポを脱ぐ」

 という形になるようだ。

 美穂の方も、いちいち前のことで怒りをぶちまけることはない。快く許してあげると、今度は、彼らの方が、美穂を慕うようになる。

 それはそうだろう。

 今まで苛めていた、自分より下だと思って見ていた相手が、今度はへりくだって、謝ってくるのである。

「完全に立場が逆転だ」

 とばかりに、気持ちに余裕が持てるようになってきた。

 それを、美穂は、

「自分が天然だからなのかしら?」

 と思うようになった。

 というのは、ちょうどその頃に、

「自分って、天然なんじゃないかしら?」

 ということに気づき始めたことが大きな理由だったようだ。

 まるで、

「図ったかのようだ」

 と自分でも感じるほどに、ジャストタイミングだったのだ。

 まわりは、そんな美穂の気持ちを分かっているわけではないだろう。だからこそ、美穂はゆっくりと自分を感じることができたのだ。

 しかも、相手はまだ思春期にさしかかったばかりではないか。こちらは抜けているので、気持ちの余裕と一緒に、完全に相手に対して、自分がマウントを取っているということにも気付けたし、マウントを取ることで、相手が安心してくれるのも分かってきたので、こちらが、少々相手に命令口調になったとしても、相手が却って安心してくれるのだから、美穂にとっては、ありがたいことなのに違いなかったのだ。

 ただ、彼らもいずれは、思春期を抜けるであろう。そうなると、美穂のマウントも、終わってしまうのではないだろうか?

 そんなことを考えていたが、それは、思い過ごしだったようだ。

 完全に彼らは、

「美穂の下僕」

 といってもいいくらいになり、美穂のいうことであれば、まるで、奴隷のように聞くというくらいになっていた。

 それは、まるで、

「美穂が宗教団体の教祖であり、彼らが信者という関係に近いのではないか?」

 と美穂は考えていたが、彼らはもっと強い結びつきを感じていた。

 彼らといっても、美穂の取り巻きは、男の子が三人であった。その三人の男の子が、美穂という女の子を支えている。その光景は、普通は見られるものではないだろう。

 しかも、彼らは、元々美穂を苛めていたという関係である。その三人の関係が、実はバチバチしていることから、美穂に対しての思い入れも強いのだ。

 ある意味、この三人は、

「三すくみ」

 という関係のようであり、お互いにけん制し合うことで、美穂は安泰だったといってもいいだろう。

 それぞれがそれぞれを抑止していて、美穂にとっては、まるで、王女か、乙姫様かと言った感じで、男を下僕として従えているようにしか、まわりには見えなかっただろう。

 そういう意味で、美穂は、女性に敵が多く、男性の中にも結構敵がいた。自分では分かっていなかったが、

「敵だらけだ」

 といっても過言ではないだろう。

 実際に、その三人は、確かに

「三すくみだ」

 といってもいいだろう。

「AはBよりも強いが、Cには弱い。Bは、Aには、弱いが、Cには強い。したがって、CはAには強いが、Bには弱い」

 という関係である。

 それぞれが、お互いを食い合うという関係、お互いにハッキリとした力関係があるにも関わらず、その力の均衡が取れていることで、お互いに手を出すことができない。

「いくら、目の前に自分よりも弱いやつがいるといっても、そっちにかまってしまうと、強い相手が、こちらをめがけて襲ってくる。だが、その襲ってくる相手も、自分から逃げたのではなく、自分が優位に立つ相手を攻撃したのだとすれば、それぞれ位置が入れ替わるだけで、その近郊は経モテたままだ」

 と言えるであろう。

「世の中、この力関係があることで、成り立っている」

 といってもいいかも知れない。

 もし、3つのうちのどれかが、大量発生でもしたらどうなるだろう?

 大量発生するということは、確かに、全体的な力は強くなるかも知れないが、餌になるべき、自分にとっての弱い相手をすべて食い尽くしても、餌が足りないということになる。

 しかも、食いつくすということは、相手が種の継続ができないということで、絶滅を意味することになる。そうなると、未来永劫、餌がなくなってしまうということになるだろう。

 じゃあ、自分に対して強い相手はどうだろう?

 こちらは、たくさんいるので、食料に困ることはないが、数の理論で、迂闊に手を出せなくなるというのも、理論である。

 そうなると、餌になる動物が死滅する。しかも、今度は、こちらを襲ってくる動物は、点滴がいなくなって、増えることになる。ただ、餌はたくさんあるので、数が近づいてくるにつれて、大量発生していた動物の数が減ってくる。追い抜いてしまうと、今度は、最初と同じ理屈で、

「餌になる動物を食い尽くしてしまい、三すくみで生きのこったのは、自分たちだけだ」

 ということになるだろう。

 ただ、今度は餌がない。最終的には、皆、

「飢え死にしてしまう」

 というのがオチとなり、生き残るところは一つもないということになる。

 つまりは、三すくみに限らずであるが、

「自然界の摂理」

 というものも同じ理屈ではないだろうか?

 そもそもいろいろ考えてみると、

「自然界の摂理」

 というのは、

「循環する」

 というのが、基本になっている。

「弱肉強食」

 という基本があるには、動物というものが、

「何かを食べないと生きていけない」

 ということが基本となり、それがまわりとの関係を作っていき、生命というものを育んでいると考えるなら、

「世の中に存在している弱肉強食というものは、一種の必要悪というものではないだろうか?」

 と言えるのかも知れない。

 ただ、人間のように、意識というものがあり、そこから意思が生まれている動物は、善悪の判断から、

「弱肉強食というものは、悪いことだ」

 というイメージがついてしまう。

 特に、戦争のように、

「戦争を仕掛けることは、相手を侵略することになり、悪いことだ」

 という理屈を特に日本人を中心とする、民主主義の国は思うことだろう。

 しかし、中には、

「他国を侵略しなければ、生きていけない」

 という国だって存在する。

 いくら、

「侵略が悪いことだ」

 といっても、生きていくために必要な食糧であったり、資源が他の国にあるとするならば、

「生きるため」

 という理由で行う侵略を、果たして、

「悪いこと」

 だとして、糾弾できるのだろうか?

「やらなければ、やられてしまう」

 という状況に陥った時、

「自衛のため」

 ということで、攻撃を許されるのと、何が違うというのだろう?

 世の中が全体的に不況に陥ったり、真剣な食糧不足に陥ると、そういう事態だって起こるにちがいないではないか。

 その時、生き残るために戦争を仕掛けたとして、それを、

「侵略」

 と言えるだろうか?

 いくら一つの国が困っているといっても、助けられるほど、他の国が豊かではないだろう。

 むしろ、その分、他の国も弱っているわけで、そう思うと、

「今なら、攻撃ができるだけの力が残っている」

 というわけで、これ以上衰弱すると、動くこともできなくなって、見捨てられるか、他の国から、侵略を受けるかが関の山ということであろう。

 それを思うと、

「あくまでも、自分たちが生き残るため。つまり、生存をかけての戦い」

 というわけである。

 それを、

「自衛のため」

 とは言えないだろうか。

 かつて世界は、2度の

「世界大戦」

 を経験した。

 時代は、大量虐殺の時代となり、いろいろな兵器が生まれた。

「戦闘機、戦車、潜水艦」

 などがそのいい例で、

「空から爆弾や焼夷弾をばらまく」

 という絨毯爆撃なるものも生まれた。

 さらに、一発の爆弾で、大都市が死滅してしまう爆弾までできた。しかも、今はその破壊力はすごいもので、

「世界にある兵器がすべて爆発すれば、地球がいくつ吹っ飛ぶか?」

 というほどになっているのだった。

 これらの、

「核兵器」

 と呼ばれるものは、開発したことで、

「相手の国への抑止になる」

 という考えがあった。

 まるで、2匹のサソリを密閉したかごの中に入れるようなもので、

「相手を確実に殺すことはできるが、その瞬間、自分も死ぬことになる」

 というものであった。

 要するに、

「打ってしまうと、その瞬間終わりを宣告されたことになる」

 ということだった。

 だから、均衡が保てるのだと……。

 ただ、実際には、どんなアクシデントがあるか分からない。最悪の場面のアクシデントを考えると、この均衡は、実に綱渡りの上に成り立っていることを、国民が知ったことで、

「核兵器廃絶」

 という運動が起こってきたのだ。

 この世に、

「完璧」

 というものが存在しないように、争いのない理想の世界など、あるわけはない。そもそもそれがあるのであれば、恒久平和がとっくの昔に訪れていてもいいのではないだろうか?

 美穂も、今は25歳になっていた。高校生の頃までは、結構、うまくいっていた人間関係であったが、大学生になると、なかなかそうもいかなくなった。

 同級生の女の子というと、ほとんど、高校生の頃までは、一人でいることの方が多いという子が結構いた。特に高校受験、大学受験と、せっかくの思春期の時代は、

「受験戦争を乗り切る時間」

 ということになるのだった。

 だが、美穂の場合は、思春期が終わっていたこともあってなのか、元々自分を苛めていた男子と仲良くなったのをきっかけとして、結構、男子の友達が多かった。

 それはきっと、お互いに、

「恋愛感情」

 というものがなかったからではないだろうか?

 恋愛感情がなくなってくると、男子であっても、気兼ねなく仲良くなることができる。感情としては、

「親友」

 という感覚であろうか。

 悩みを聞いてもらったり、こちらが聴いたりであった。

 ただ。美穂に対して、

「恋愛相談は御法度だ」

 ということになっていた。

 なぜなら、

「恋愛経験のない美穂に、恋愛相談をしても無駄だ」

 ということになるのは必定であるが、どうやら、本人に意識はないようだったが、恋愛関係の話になると、何やら、態度が変わるようだった。

 だから、それを知っている人は、敢えて、恋愛の話を持ち出さない。

 下手にしようものなら、次第に苛立ってくる美穂が分かってくる。

「しまった」

 と思っても後の祭りで、

「だったら辞めればいいじゃないか?」

 と言われるかも知れないが、そこで話を辞めてしまうと、せっかく自分で気づいていなかった苛立ちを彼女が気づくことになって、さらにややこしくも、複雑な感情が芽生えてきて、今度は、感情の収拾がつかなくなることであろう。

 それを思うと、下手に辞めることもできない。

 このあたりが、美穂と付き合っていく中で難しいところであった。

 ただ、それ以外であれば、男の子の悩みなどであっても、的確に話をしてくれるのでありがたかった。それでも、時代が思春期なので、どうしても、恋愛問題抜きで話ができないこともあり、それが無理な人は、自然と美穂から遠ざかっていったのだ。

 それでも、高校時代までは受験や、就職の問題があるということで、

「恋愛どころではない」

 という人が多いので、高校卒業くらいまでは、固定の友達と仲良くできているのがよかったのだ。

 だが、大学に入学すると、それまで、情緒不安定であった人たちが、一気に解放されたかのようになっていた。

「数少ない深い仲の人」

 が多かった高校時代までと違って、

「たくさんの、普通の友達」

 という感じになり、一気に開放感が広がることで、楽しい毎日が過ごせるようになった。

 受験戦争というものから解放されたことで、一気に違う世界が開けたという感覚であろう。

「高校時代までの暗い自分とは、おさらばだ」

 と思うようになると、それまで一緒に行動したり、悩みを聞いてくれた美穂まで、捨ててくることになるのだ。

 美穂の存在が、

「暗かった過去の自分を象徴している」

 という感情で、さらに、

「もう、あの頃には戻りたくない」

 と思うと、それまでの恩を忘れて、さっさと切り捨ててしまうのだ。

 さらに、もう一つの感情でしては、

「大学に入ると、恋愛を第一に求めるようになるので、最初から恋愛NGであった、美穂の存在は邪魔でしかない」

 と思うと、それまでの美穂の存在自体が、

「忌まわしい過去を象徴しているみたいだ」

 と思えてくると、せっかく彼女をつくろうと思っている自分の足を自分で引っ張ってしまうように思え、引っ張っている自分の足を、奈落の底に引きずりい落とそうとしているのが、美穂のように見えてくるのであった。

 だから、大学時代になると美穂は、

「自分だけが、置いてけぼりにされてしまったかのようだ」

 と思うようになった。

 高校時代までは、自分が皆の盾になって友達を守ってきたと思っていたので、絶えず先頭だったのだ。

 先頭でなければ、人の盾になることなどできないのは、当たり前のことで、だからこそ、「大学に入っても、その立ち位置は変わらないだろう」

 という感情だったのだ。

 しかし、皆に押し寄せていた、

「受験戦争」

 という嵐が過ぎ去ると、後ろにいたはずの人たちが、どんどん前に出てくる。

 今まで見たことがなかったはずの、友達の背中を初めて見た気がしたのだ。

 その背中は、こちらに差し込んでくる日差しをまともに浴びることで、まるで、友達の姿が影を作り、その影が、自分を覆い隠そうとしているかのように感じ、

「まるで日食みたいだ」

 と感じるようになったのだった。

 そのせいで、一つ分かったことは、

「今までは、友達と話をしようと思えば、自分が振り返ればいいことで、すべてが、自分主導だったのに、今度は相手が前にいることで、相手が振り返ってくれないとどうしようもない」

 ということであった。

 それでも、今までなら振り返ってくれたであろう。自分が先頭に立って前を進むには、その風が強すぎたからだ。

 その時は背中を正面に向けて、進みながらだから、こちらを振り返ってくれることになる。

 それが高校時代までだったのだ。

「受験戦争」

 という一つの壁を乗り越えることで、わだかまりも、心細さもなくなったことで、それまで、

「見えてはいないが、確実に自分の行く手を阻む結界のようなものが存在している」

 という、言い知れぬ不安に襲われていた人が、美穂を盾にしていたのに、今度は、そんなものがないという漠然とはしているが、そう感じたことで、美穂の存在が急に必要なくなってしまったのだ。

 それどころか、

「前に出ることで、それまで助けてくれた美穂を裏切ることになるかも知れない」

 という思いと、

「これから、やっと、今まで味わうことができなかった開放感に包まれた世界を見ることができるのだ」

 という思いとが交差して、ジレンマのようにもなっていたのだった。

 しかも、どんどん考えてくると、

「目に見えない結界を、目の前に繰り広げてきたのは、まさか、助けてくれていたと思っていた美穂の存在だったのかも知れない」

 と思うようになったからであろう。

 美穂という存在が、次第に億劫になってくると、今度は、苛立ちに変わってくる。それは、今度は美穂にも伝染するのか、それとも、まわりが皆前に行ってしまったことで、前に人がいるということで巻き起こる、苛立ちや憤りという感情が、やっと芽生えてきたのかも知れない。

 だから、まわりの皆が大学生活を楽しんでいるのに、なぜか自分だけが苛立ちの中に取り残されて、

「それまでの自分は何だったんだ?」

 と、高校時代までには感じたことのない、

「結界を超えた感情」

 というものが芽生えてきたようだった。

 だが、今度は、4年生になると。就活であったり、卒業というものが、頭をもたげてくるようになる。

 大学生活を謳歌してきた連中は。半分は、

「自分のために、時間を使った」

 ということで、しっかりとした考えを持っている。

 だから、就活も、卒業に関しても、さほど心配する必要はなかったのだ。

 だが、

「自分のために時間を使ってきた」

 ということを感じることのできない人は、

「やりたいことがあり、それに向かって努力はしてきたが、うまくいかなかったということがあった」

 という人であった。

 そんな連中が一番感じたことは、

「不安」

 だったに違いない。

「就職活動や、卒業」

 という、目の前に迫った心配ごと。

 さらには、それを超えてからも、実際に就職し、会社に入ってからの自分の立ち位置、そして、それに伴う人間関係などを不安に感じることだろう。

 しかも、実はもっと不安なのは、そんな

「不安に感じる毎日」

 というものが、

「手を変え品を変え、どんどん迫ってきて、永遠に、払拭できないものとなってしまう」

 ということであった。

 これから長い先の人生で、一度大学を卒業するという、人生の中で、ハッキリとしているターニングポイントの中で一番直近に控えているのが、その問題だったのだ。

 実際に、就活、卒業で悩んでいる人もかなりいた。しかし、いまさら美穂に頼るわけにはいかない。

 彼らにも男の意地があった。

 美穂はというと、

 おかげさまで、人のことに気を遣わなくてもよくなった関係で、一人でいることが多くなった。そのおかげか、一人でできる趣味を見つけることで、苛立ちを軽減できればいいと思っていたが、それが、功を奏したようだった。

 小説を書くということを、大学祭の時の展示で見るようになったのだ。

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