練習23
時計を見ると、乾杯をしてからようやく一時間が過ぎようとしていた。退屈すぎて、まだ合コンが半ばにも差し掛からないという事実に吐き気がしそうだった。
期待をしていたわけじゃない。そもそも男に興味があったわけでもない。ただ、普段会話をしないはずの文藝サークルの同期が誘ってくれたことが嬉しかったから来た。けれど、集合した時から話しかけてくれる人はなく、所詮は人数合わせだったことを思い知らされた。
「それで、君は何を書いてるの?文芸サークルなんでしょ?」
鼻の穴が大きく、頬のニキビが目立つ男が言う。上半身に向けられた嘗め回すような視線に、眉根が自然と寄っていく。
「純文学っていうか、ヒューマンドラマみたいなのを書いてるよ」
なんとか笑顔を作って言うが、ニキビ男はピンと来ていない様子で唇をすぼめている。
「なんかすげぇな。小説よくわかんないけど、書けるのってかっこいいわ」
彼の言葉に一瞬ムッとしながら、笑顔を崩さないようにする。
何もわからない癖に、すげぇとかかっこいいとか、適当なことを言わないでほしい。それに何より、私の好きなことがこんな合コンの一瞬で終わる話のネタにされることが腹立たしかった。
彼から目を背けた時、ふと、隣に座っていた女の子と目が合った。サークルの同期ではない子で、猫のようにくりくりとした、淡い茶色の瞳でこちらを見つめている。彼女が口を開きかけた時、高い声が響いた。
「ええ、私だって書けるよ」
文芸サークルの同期の女だった。濃い化粧が鼻の頭に玉を作っていてだらしない。そんなことなど他の男も女も気にしないかのように、それからは文芸サークルの話になって、それからすぐ夏の暑さの話、夏休みの旅行の話と変わっていった。
それからまた三十分が経とうとした頃、盛り上がればいいというただそれだけのことを考えて脊髄で会話をする集団に私はとうとう耐え切れなくなった。
「ちょっと私、お手洗い」
そう言って、私は財布から三千円を取り出しそっと席に置く。荷物を持って席を立とうとする時、また猫目の彼女と目が合った。私はきまり悪くなって目を逸らし、背中に彼女の視線をじりじりと感じながら、玄関の方へと歩いた。
「あのさ」
突然声を掛けられて足を止める。振り返ると、あのニキビ男が立っていた。
「もう帰るの?」
彼はどこかやつれたような顔をしてこちらを見ている。反応に困り、トイレだよ、と誤魔化す。
「でも、荷物全部持ってるじゃん」
「なんで引き留めるの?」
素直に帰らせてくれないことにうんざりしてつい語調が強くなる。すると、彼はしどろもどろになり目を泳がせた。
「なんていうか、その、折角だから楽しんでいったらいいのになって思ってさ」
彼の視線を辿るうちに、自分の身体のラインを値踏みされるように見られている気がして、気分が悪くなる。
そんなもののために、私はここにいるんじゃない。
「いい加減にしてよ。こんなの何が楽しいって言うの?」
つい言ってしまうと、彼は顔をしかめた。
「そんなこと言うなよ。たっちゃんが考えて作ってくれたんだから」
強い語気に圧倒されて私は顔を背ける。強く反論されると思っていなくて、咄嗟に攻撃的な返事をしてしまう。
「たっちゃんて誰だし。それにそんなのどうでもいいし」
「どうでもよくねぇだろ!」
ニキビ男が私の手首を掴んできて、私は小さく悲鳴を上げる。次の瞬間、横から鋭く平手打ちが彼の頬に飛び、彼の手が私の手首から離れた。
「しつこいんだよ、あんた」
声の主の方を見ると、猫目の女の子だった。
「この子、嫌がってるでしょ」
ニキビ男は、平手打ちの衝撃が残っているのか、彼女の言葉に反応できないでいるようだった。彼女が私の方を見て、手を差し出す。
「行きましょ」
私は、自然と彼女の手を取っていた。
エレベーターに乗り込むと、さっきまでまるで気にならなかった、彼女の甘い香水の香りが急に意識され始めた。
「なんで……」
「面白そうだなって思ったから」
液晶の階数表示からこちらに視線を移しながら彼女が言う。そのくりくりとした茶色の瞳は、全てを包み込む星雲のようだった。
「面白いって?」
「あなたが面白そうだなって思ったから」
どきりとした。彼女の言葉に心がびりっと痺れる感覚を覚える。
私が、面白そう……。
「小説、書いてるんでしょ?文芸サークルの女子は、飾りで小説書いてる風なのは多いけど、あなたみたいなのは稀だからね」
「書いてるけど、そんな大したものは……」
エレベーターの扉が開き、彼女が歩き出す。私はその後ろをそろそろとついていく。
「私がピンときたの。皆を見る目が、普通じゃない」
普通、という言葉に何か刺される気配がしたが、彼女が私を俯かせなかった。「さっきも自己紹介したけど改めて」と言って、右手が顔の前に伸ばされる。
「
「私……」
街灯が眩しいはずの夜の街で、彼女の顔が一際輝いて見えた。その瞳がゆっくりと私を包み込もうとしている。
「
掴んだ彼女の手の平はひんやりとしていて気持ちよく、刺激的な何かの始まりの前に起こる凪のような感覚を覚えた。
オオカミ短編集 川野狼 @Kawano_Okami
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