1.幸せを切り取るシャッター

 カメラは、今を切り取る。

 切り取られるのは、今写る全て。

 ボタン一つで僕は世界を切り取ることが出来る。

 僕は、写真で僕の幸せを保存する。

 僕は写真で変わらない幸せをつかめる。そう思っていた。


 友人のケイから電話があった。

 夕焼けを収めた写真が入賞したとのことだった。

 タイトルは「つづく」。

 黒に沈んでいくあの夕焼けはもの悲しいところがあるが、それでも赤く輝く太陽の中心に明日へ続く希望や期待が秘められているような、そんな作品だった。

 僕はケイからの喜びの声が聞こえるスマホから耳を離し、そっと電話を切った。


 僕は焦っていた。なんとかして自分も認められなければならないと思った。

 そうして訪れた切り立った崖。ここから撮れる夕陽なら、僕はケイを超えられる。ケイだけじゃない。誰よりもいい作品が撮れる。そう思った。


 僕はカメラを構える。太陽が水平線に重なり始める。

 僕は、認められたい。認められなければならない。

 僕はシャッターを切った。


 その刹那、世界がガラスのように粉々に割れ、足場をなくした僕は深い闇の中に落ちていった。そして、コンクリートのように冷たい地面に、僕は鈍い音と共に叩きつけられた。

 突然の出来事に混乱したが、なんとか起き上がり周りを見る。

 しかし目を開いているのに、何も見ることが出来なかった。

 全てが闇で覆われている。まるで何かを隠しているかのようだった。

 僕はライターを取り出して火を付けたが、自分の立っている場所以外、何も照らされなかった。ゆらめく火が微かに暴力的な熱を放っている気がした。

 当てもなくしばらく歩いた。冷たいコンクリートのような地面が延々と続いているだけのようで、壁がない。正確には、あるのだろうけれど、その壁に辿り着くことが出来ない感じだった。

 すると、突然スポットライトがひとつ点いた。

 光は小さなテーブルの上に置かれた僕のカメラを照らしていた。

 ライターをしまって近付く。

 カメラの横に一枚の付箋が貼ってあった。

「許すな」

 付箋には赤のペンか何かでそう書かれていた。

 僕はカメラを手に取りレンズを覗いた。

 すると、そこには壁と、数々の言葉が鮮明に写っていた。


 ――ダサい

 ――下手クソ

 ――才能ないのにイキるな


「ああ……」

 それはどれも、SNS上で僕が投稿した写真に書かれたコメントだった。


 ――つまらない

 ――明るさが悪いし、構図も最低

 ――風景やめろ、下手すぎ


 見回すとそこら中に批判的な言葉が羅列していた。

 僕は喉が詰まる感覚に襲われてカメラから目を離した。すると、目の前にはカーテンのような闇が再び広がり、何も見えなくなった。僕は独りでそこに立っていた。

 後ずさりし、机にぶつかる。すると付箋が足元に落ちた。

「許すな」

 赤く滲んだその文字は僕の心に強く響いた。

 僕は再びカメラを構えた。そして、先程の腹立たしい言葉を捉える。


 ――下手クソ

 ――才能ないのにイキるな

 ――つまらない


 僕は思い切ってシャッターを切った。

 すると、世界に亀裂が走り、一枚の大きな写真が現れた。

 レンズ越しに見ていたムカつく言葉が一枚の大きな紙に収められている。

「許すな」

 心に強く響いた文字が再び思い出される。

 僕はポケットからライターを取り出し、そのまま目の前の大きな写真の端に火を点けた。

 すると、瞬く間に火は燃え広がり、暴力的な炎となって写真全体を飲み込んだ。

 許さない……。

 僕は右手にカメラを、左手にライターを持ち、手当たり次第にシャッターを切っては、ウザい言葉に火を点けた。

 そして僕は、自分が気に入る言葉を探した。


 しかし、気付けば辺り一面が炎に包まれていた。

 僕は全てのクソみたいな言葉を燃やした。なのに、一向に求める言葉は現れなかった。

「おかしい、おかしい、おかしい……!」

 どうして僕を褒める言葉は見当たらない。

 どうして僕を認めてくれない。

 どうして僕に、幸せを切り取らせてくれないんだ!


 全てが燃える闇の中、僕はカメラを手放す。

 ああ、何も僕を幸せで満たしてはくれない。

 僕は、幸せではいられないんだ……。

 それなら、いっそのこと自分を……。

 僕はライターの火を自分に近づける。

 ごめんなさい、許してください。僕は幸せになれない人間なんです。


 スマホの電話が鳴った。

 その瞬間、全ての炎が消えて、粉々に砕かれた世界は時間が巻き戻るように綺麗に修復されていった。

 僕はバランスを崩して崖から落ちる寸前で、なんとか踏ん張り耐えることが出来た。


 僕は電話に出た。ケイからだった。

「酷いじゃんか、勝手に切るなんて」

「ごめん」

 ケイは少し怒っていたが、すぐに声の調子を落とした。

「でも、私も悪かったよ。少し自慢し過ぎた」

「……いや、そんな」

 僕はなんて言えばいいかわからなかった。

「君は僕より才能があるから当然だよ」

 心からの言葉だった。皮肉は込めていないつもりだった。

「何言ってるの?またネットの声に当てられた?」

「……」

 図星だ。

「毎度言ってるけど、私はあなたにこそ才能があると思ってる」

「馬鹿言え」

「本当だよ」

「……」

 ケイは真面目な口調になる。

「あなたはもっと自信を持ちなさい。今の評価にばかり気を取られちゃいけない。私たちは、今を切り取る人だけど、切り取り続けないといけないんだよ。私は、あなたがすごい写真家になるって信じてる。あなたがどれだけ絶望しても、私はそう思うよ。

 それに、私は、あなたのことを考えながら、今回の作品を撮ったんだよ。あなたが頑張れるようにって。それが評価されたから嬉しかった。そう、それを伝えたかったのよ」

 ケイは「色々気負い過ぎないでね」と言って、そのまま電話を切った。

 僕は、ケイが今まで自分のことを褒めてくれていたことをお世辞として気にかけなかった。しかし、彼女は作品に反映するほど、僕のことを認めてくれていた。想像もしていなかった。

 僕はケイに感謝し、目を閉じた。

 闇に包まれた世界が、白く明るくなる気がした。


 ケイの作品、「つづく」。

 今に囚われず、前を向く気持ちを表現した作品。

 僕は、あの作品をちゃんと見ることが出来ていただろうか。

 いや、その必要はない。

 僕は目を開ける。

 僕もその写真を撮るのだから。

 水平線に太陽の中心が重なる瞬間、僕はシャッターを切った。

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