ただ夢を見て

幽彁

第1話

カーテンを開けないまま、自室で安心しきっていた時のことでした。

虫の羽音が聞こえたのです。

穏やかな時間を脅かす脅威こと奴は、地味な部屋の内装にケチをつけるみたいな極彩色で、横柄にぶんぶん言いながら飛び回っておりました。

素手でむんずと捕まえて、おびえる奴を脅しつけてから窓から放り投げ自室を守り切った私は、不機嫌になってどしどし足音を立てて廊下を歩き、朝食を摂りにリビングに参りました。

そこには噂のキョダイカメムシが居りました。

私の席と満場一致で決まったテレビの見やすい特等席にどっかりと座り込み、何やら本を読んでいるようでした。

奴の存在を知ったのは一か月ほど前、休日の昼の番組で車のボンネットにこれまたどっかりと座り込み、ボンネットを大きくへこませている衝撃映像を見たときでした。私はカメムシとは縁があるもので、いつか出会ってしまったらどうしようかと内心びくびくしていたのですが、ついにその日がやってきたようです。

カメムシさんには悪いですが、臭いが染みつくと困るので出て行ってもらいましょうか。


「すみません、ここに居られちゃ困るので、出て行ってもらえないでしょうか。」


カメムシさんに声をかけると、奴は一瞬こちらに目線をよこした後また本のページに目線を落とし、思いのほか穏やかな声で言ったのです。


「いやぁ、自分、音楽興味あるんですよねぇ」


よくよく見てみれば、開いていた本は音楽の教本なのでした。うちは大して音楽に精通している訳ではありませんが、昔興味を持つかと思った両親がキーボードを買ってくれたことがありました。ですので簡単な本なら丁度リビング隣の子供用本棚に仕舞ってあったはずです。

奴は、自分の興味を満たすまで出ていかないつもりでしょう。

それなら奴が本を読み終えるまで待って、理解できないところは教えてやって、もっとレベルの高いことを学べる本を置いている家に誘導してしまえばいい。

作戦を完璧に立て終え奴の方へ向き直ると、奴は「フォルテ」に金属質に光る腕を置いて、首をひねっておりました。


「ああ、それはフォルテですね。強く、という意味の記号ですよ」


「そうなんですか、ありがとうございます」


そんな風に一通り教え終わると、同じアパートの部屋にピアノのある部屋を教えてやって、奴はやっとベランダから出てゆきました。


まったく、迷惑なお客様だ。二度と来るなよ。

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