キラプロ! おじさん声優、アイドルはじめました

伍月 鹿

第1話「アイドルになりませんか」




 アイドルになってください。

 人生でいきなりそんな言葉を告げられる人間は多くないはずだ。

 しかし、もしかすると。

 俺の知らないところでは、日常的に飛び交っている言葉だったのかもしれない。



 きっかけは、事務所のマネージャーが持ってきた資料の束である。

御神みかみさん、アイドルになりませんか」

「……は?」


 今日は久しぶりに、事務所に顔を出す日だった。

 俺が所属する声優事務所「アントイーター・プロダクション」は、都内のこじんまりとしたオフィスビルに拠点を構えている。

 大手ほど実績があるわけではないが、弱小ほど貧乏ではない。そこそこの経歴とそこそこの役者を揃えた中堅会社だ。

 若手声優の応募が毎月のようにあるほど人気ではないが、オーディション会場では説明がいらないくらいには名が知れている。

 世間的に名前が知られている役者も数名抱えているが、所属事務所を言うと驚かれる。そんなよくも悪くも普通の会社だ。

 少数精鋭な分、役者同士の交流も多い。スタッフとも友好な関係が築ける風通しのよさはこの事務所の長所だろう。

 俺は、そんな会社の居心地のよさに居座って早十年の、しがないおじさん声優である。


 年功序列で、すっかりベテランのような位置に座る俺には、ありがたいことにマネージャーもついてくれている。

 八幡は、二年前にうちの事務所に入社してきたルーキーだ。

 素直で勢いがあり、明るい性格や言動は現場でも人当たりがいい。黙っていればオファーが連続して届く会社でもないのに、彼があちこちから引っ張ってくる仕事やオーディションの情報は多い。

 役者のマネジメントをしていない時間は、あちこち営業に走り回ってくれているらしい。

 彼のおかげでここ数年は様々な経験をしていて、数週間に一度彼と打ち合わせをするのは、俺にとっても刺激的な時間だった。


 俺は一人で現場に向かうことも多い。八幡と直接会うのは事務所に立ち寄るときくらいだから、今日も、数日ぶりに声を聞いた。

 久しぶりに会っても、相変わらず元気でフレッシュな若者だ。

 のんきに彼のつやつやな肌を眺めていた俺は、彼の発言に火をつけたばかりのタバコを灰皿に落としてしまった。

「っ、ぶね」

「勿体ない。もう一本もらってきます?」

「や、悪いからいいよ。帰りに自分で買う」

 貴重な貰いタバコに謝って、火を消しなおす。


 タバコは、買うと高い世の中だ。

 専用の身分証明カードがないと自販機でも購入できないようになって、随分と時が経つ。俺は手続きを面倒がって作り損ねてしまったから、タバコはいつも誰かに恵んでもらっていた。

 タバコを吸わないなら、こんなガラス張りのスペースにいる必要はない。

 早々に出ることにすると、八幡もついてきた。電子タバコ派だという八幡は切り替えがはやい。

「今日は誰からの貰いタバコだったんですか」

「社長。さっき玄関で会った」

「あ、今日は美咲ちゃんの握手会ですね。剥がしやるって張り切ってました」

「現地のスタッフに申し訳ないな」

 役者たちのマネージャーも兼ねているうちの社長は、フットワークが異様に軽い。

 握手会の剥がしなんて、事務所の社長がやるような役割ではないだろう。

 だが、うちの社長は体育会系だ。いまだ現役と豪語するガタイは、案外「剥がし」にも向いているのかもしれない。想像ができて笑ってしまうと、八幡も控えめな笑みを漏らした。 

 握手会ができるのは、うちの期待のアイドル声優くらいだ。

 久しぶりの現場に張り切っていたという社長は、声優事務所を立ち上げる前はあちこちの芸能プロダクションで敏腕マネージャーをしていた。

 彼の人柄に惚れて十年。

 声優としてのキャリアは、ほとんどこの会社のおかげだ。

 人に恵まれた、いい仕事をさせてもらっている。

 だから、俺も仕事は選ばず、どんなものでも真摯に取り組むことができている。


 とは、いえ。


「八幡。さっきの話だけど」

「あ、忘れてました、すいません。このまま説明していいですか」

 オフィスに戻って、八幡の席に向かう。

 事務所に残っている人間は多くなかった。

 疎らに配置されている机に人が揃っていることの方が少ない。わざわざ打ち合わせに会議室を使うまでもなく、譲ってもらった八幡の回転椅子に座る。

 八幡が抱えていた資料を受け取ると、明るい字体が視界に飛び込んできた。

「『キラメキアイドルプロジェクト』……」

「去年、御神さんも出演したアニメチームが立ち上げた新しいプロジェクトです」

 どこかから誰かの椅子を引っ張ってきた八幡は、デスクのタブレットを立ち上げた。

 いまだに紙の資料が主流の業界だが、デジタルの資料もあるようだ。画面にはキラキラとしたステージのようなものが描かれているのが見えた。

 

 十年ほどくらい前だろうか。あるゲーム会社が出した女性向けアイドル育成ゲームが大ヒットした。

 そこからは、アイドル戦国時代ともいえる時代の幕開けだ。

 売れるジャンルはこぞって類似品が乱立し、女性向けゲームの王道となるまで急成長した。

 据え置き、携帯型のゲーム機から、携帯電話のアプリへと。

 ゲームの形が変化したいまでも、アイドル育成は人気ジャンルの一つだろう。

 その手の話は、男性声優をやっているといくらでも目にする。いまや珍しいものでもなく、うちの事務所にもアイドルをやっているヤツは大勢いる。実際のアイドルのようにステージで歌う姿も見たことがあった。

 とはいえ、だ。

「今回、プロデューサーの本吉さんがぜひ御神さんにとお話いただいてきたんです。若手はオーディションで募るみたいなんですが、何人かにはほとんど当て書きで脚本を作っているとかで」

 コンセプトは、本格的女性向けアイドル育成ゲーム。

 主人公であるプレイヤーは、アイドル事務所で働く敏腕マネージャーだ。

 彼女は新たに結成された複数のアイドルグループのマネージメントを担当する。

 この手のゲームにありがちな広報やスタイリング、アイドル自身のプライベートまで世話をするようなマルチタスクが求められる境遇で、攻略キャラクターとの絆を深める、というものである。

 プレイヤーはマネージャーを自分自身と重ね合わせ、担当アイドルをトップアイドルに仕立ていく物語のようだ。

 資料の世界観や企画内容のページをめくっていくと、キャラクターのページに辿り着いた。

 イケメンと呼ばれるのがふさわしいようなキャラクターは、アイドルというより王子様といった雰囲気だ。二次元のアイドルらしい絵柄はまだ校正段階のようだが、しっかりと色がついているのが印象的だった。


 八幡が説明することには。

 「キラプロ」は本格的育成ゲームを名乗るに相応しく、数か月数年のマネジメントでは終わらない育成が売りということだった。


 主人公は、養成所時代からキャラクターを育成し、新人アイドルとしてデビューをさせる。

 自分が育てたアイドルが国民的トップアイドルとして大きなステージに立つまでの数年間がゲームで描かれるらしい。

 俺の手元にあるイラストは、「最初のアイドル・カージナル」がデビューした直後の姿らしい。

 ゲーム時間で数年後にはキャラも年齢を重ね、大人の魅力ある姿に成長をしていく。

 キャラクターが歳を取らないのが当たり前な界隈で、確かに新鮮な試みかもしれない。

「カージナルは主人公が作品内で最初に手掛けるアイドルです。なのでゲーム開始時にはもうすでにデビューをしているのですが、その分、時間をかけて切磋琢磨する姿が描かれるとか」

 主人公はデビュー前のアイドルを手掛けながら、カージナルのマネジメントもする。

 後輩グループがデビューする頃には、カージナルは中堅アイドルとして活躍している。事務所を引っ張っていく存在としての苦悩が描かれるようで、次々と登場する若手に負ける描写は実際にありそうな展開だ。

 これがどんなゲームになるのかは想像もつかないが、面白そうな脚本であることはすぐにわかった。


 昨年、参加したアニメのチームメンバーを思い浮かべる。

 新しいものを取り入れ、古いものを大事にする。そんなスタッフたちが作り上げたアニメだった。大ヒットこそしなかったが、たくさんの人に見てもらえた作品のひとつとなった。

 俺が演じたのは主人公のサポート役で、毎週出番をもらえることはできたが台詞数は多くはなかった。

 それでも、チームに名を連ねることができて、うれしいと思える現場だった。

 顔なじみになったプロデューサーの本吉が今回企画を立ち上げ、脚本や総指揮をしているようだ。

 彼が書く話は俺も好きだった。

 

「で、御神さんにオファーが来たのはこのキャラクターです」

「え、」

 俺が資料をめくったのと、八幡がタブレットに新しい画面を表示させたのは、ほとんど同時だった。

 出てきたのは、確かに見覚えのあるイラストレーターのイラストだ。

 いわゆる立ち絵というもので、設定資料集なんかに乗っている全身図と顔が描かれているあれである。

 どう見ても二十歳そこそこの若いキャラだ。

 すらっとした体躯に、整った顔。

 衣装はスーツなのか、そのままホストクラブにでもいそうないで立ちである。

「『え』って、気に入りませんか?」

「いや……、てっきり、俺は裏方役なのかと」

「裏方どころか、主役級の役ですよ。メイングループの一人で、サブリーダーを勤めているんです」


 サポート。裏方。

 そんな役が回ってくるのは、宿命のようなものだと考えていた。

 どちらかというと渋めの声を生かす演技が多い。

 求められれば学生役もやるが、青少年漫画の主人公をやれるほど明るい声色ではないし、萌え系アニメに求められている音でもない。

 アニメの話が来るようになった時、俺はすでに三十中盤という年齢だった。それまでは吹き替えを専任としていて、華やかな表舞台とは無縁だと思っていた。

 八幡のおかげで子供が憧れるアニメ声優の世界に足を踏み入れても、どちらかというと若手たちを仕切るような、そんなポジションに立つことが多くなっていた。

 今年四十の大台に乗る男に求められているのは、若さや新鮮さではない。

 わかっているから、悩んだり羨んだりはしたことはない。

 適材適所、求められる役割があるだけで感謝である。


 しかし、今回のキャラは、バリバリど真ん中の正統派アイドルのようだ。

「……こんなイケメンくんの声が、四十路のおっさんの声でいいのか」

 思わず弱音をこぼすと、八幡はきょとんと眼を丸くした。

 二十歳そこそこの若い子に言ってもしょうがない愚痴だ。気がついて弁解しようとしたとき、八幡が慣れた仕草でタブレットをスライドする。

「カージナルの『クロウ』は、御神さんしかできませんよ」

 表示されたのは、カージナルの活動風景のようだ。

 ゲーム内で登場するスチルと呼ばれるものだ。

 ゲーム上ではイラストレーターの絵を元にデザイナーが書いたイラストが使用されるが、スチルは書下ろしであることが多い。

 美しいイラストを収集するのもゲームの楽しみの一つで、その為にイベントを「走る」なんて言葉もよく見聞きする。


 真剣にステージ上でパフォーマンスをする一場面なのだろう。

 五人のメンバーが同じポーズをとっている。

 皆イケメンなのは間違いがないが、個性のある風貌はテレビでみるアイドルと同じだ。

「クロウのコンセプトは、色気なんです。大人びた色気を養成所時代から買われてメンバーに抜擢されましたが、若くして期待されていた分いろいろな努力を積み重ねています。ステージでは完璧で周囲を夢中にさせる色気を振りまいています」

 次のイラストは、練習風景だった。ステージとは違って地味な恰好だが、彼らの華やかさは失われていない。

 

 たった二枚。それだけのイラストなのに、ひと際目を惹くキャラクターがいた。

 彼は皆がレッスン場で汗を流す中、一人、笑みを浮かべている。


 彼の瞳の色は、俺が好きな色だった。

 適材適所、の所以だろう。俺が担当するキャラクターのコンセプトカラーは似たようなものが多い。

 明るい色は若手やキラキラしたキャラクターに振り当てられ、渋い色、大人な色が俺には回ってくる。

 「クロウ」の色は、好き通った青色だ。

 明るさを振りまくカージナルメンバーの中でも落ち着いた色だが、目にキラキラと残る輝きが海のようだととっさに思う。


 浮かべた笑みにも冷静さが残っている。

 だが、惹きつけられる魅力がある。

 二次元のキャラクターに恋をするのはこういう感覚なのかと、まじまじとその整った顔立ちを眺める。指が震えるのは、決してニコチンが足りないからなのではない。


 かっこいい。

 素直に湧き出た感想に、胸が高鳴る。


「でも、本当は誰よりも礼儀正しく真面目な青年です。グループの顔として役割を熟す一方で、いつも他のメンバーのことも気にかけている優しい青年。それって、御神さんそのものだなあと俺は思いました」

「……買いかぶりじゃないの、それ」

「そんなことないです。御神さんの真面目な仕事っぷり、俺尊敬してますもん」

 八幡の生真面目な言葉に笑いながらも、内心は心臓が痛いくらい揺れ動いていた。


 クロウ。

 そう名付けられたキャラが、手元の資料でほほ笑む。

 まだ細部には色がついていない線画からでも伝わってくる魅力に、すでに演技プランを立て始めている自分に気がつく。


 誰にも渡したくない。

 昔、意を決して受けたオーディションで感じた以来の情熱が、胸の奥から湧き上がってくる。


 改めて資料をめくる。

 カージナルは五人組のグループらしい。

 リーダーの「ハバタキ」のページでまた手が止まる。中心人物らしい赤い瞳をこちらに見せているが、どこか影のある個性的な表情は彼だけの魅力となるらしい。

 ハバタキと対になるように立つ「トリミ」、後輩キャラの「イカル」、一歩引くように佇む「リトル」。それぞれのキャラクターがこちらに手招きし、新たな世界へと主人公を誘う姿が容易に浮かんだ。

 

 ふと頭に浮かんでいたのは、大昔に吹き替えたキャラクターの顔だった。

 古い外国映画のキャラだった。

 俺が演じたのは数シーンしか出てこないようなチョイ役だ。だが彼は印象的なセリフと仕草で画面を魅了する。俺はたった数行の台詞を遅くまで練習して収録に挑んだ。

 クロウは彼に似ているのだ。

 勝手につなげた連鎖に唾を飲み込んだとき、心はすでに決まっていた。


 アイドルになる。

 おじさんが夢を見るのには無謀すぎる。

 だが、夢をかなえる方法はいくらでもある。声優とは、そんな魔法を皆に伝える仕事であると俺は思っていた。


「……やろうかな、アイドル」

 やってやろうじゃないか。

 そうは口に出せなかった見栄を見透かすように、敏腕マネージャーはタブレットを抱えて喜んだ。




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