第31話:幻想旅行社社長との出会い

「いや、社長! なんでこんなところにいるんですか!? そんなに暇じゃないでしょう! そもそも今日は、会合があったはずでは!」

 キズナが取り乱している。珍しい。このウォッチという社長がそれほどの人と言うことか。

「いやね。そっちはキャンセルしたよ。たまたま、ここにこれたのでね。君が案内しているスフィアさんに一目会いたくてね」

「私に……?」

 ウォッチさんの目的が私と聞いて、驚いた。社長が一介のツアー客に何の用だろう。

「どうやって、この場所を知ったんですか」

「そりゃ社内システムで、君の行動管理されてるもの」

「ここの予約は直前に入れたはずですが!」

「そこはそれ、いろんなつてで」

「もう、社長はこれだから!」


 私は二人のやりとりにぽかんとしていた。

 なんだかよくわからないが、キズナにとっては面倒なことになっているらしい。

 私はと言えば、早くお茶会が楽しみたかったのだけど。

 キズナがその小ささを生かして、私の耳元まで来てささやく。

「……スフィアごめん、早めに謝っておく。これはさすがに予定外。このあとどう転ぶかが一切わからなくなった」

「キズナ、なんかすごく焦ってるね。キズナの会社の社長なんでしょ? なんで、そんなにそわそわしてるのかな? 会社のことはわからないけど、やっぱり偉い人だからとか?」

「……非常に言葉にしづらい。とてもしづらい。だけどあえていうと、社長はとてつもなく変人だ。あと限りなくつかみ所が無くてうさんくさい。スフィアが目的って理由もわからないけど、とにかく気をつけて」

 キズナがここまでの旅で、これほど私に親身になったことがあったろうか。いったいウォッチというこの社長はどれほどの変人なのだろう。

「キズナ君。私はそんなに変人では無いと思うよ」

「だから、なんで聞こえてるんですか!」

「はて、なんのことやら」

 なるほど、これはやりづらい人だ。だって、どう考えてもキズナの声は聞こえる音量じゃ無かったし。なにか仕掛けでもあるのかしら。

「まあ、なんでもいいじゃないか。それよりスフィアさんが、お茶会を待ちわびているよ。ガイドの仕事を果たしたまえ」

 よく見ると、ウォッチさんの前にもお茶などの用意は一切されていなかった。少し先に来ただけなのか、それとも本当に私たちを待っていてくれたのか。

「そうね、私もすこし落ち着きたいかな」

「承知しました。確かにその通りですね」

「スフィアさん、よければそちらにお座りください」

 そういってウォッチさんに示されたのは、ウォッチさんの正面の席。とくに異論も無かったので、私はそこに腰掛けようとした。

 そのとき、すっと自然に椅子が引かれた。

「え?」

 振り返るとそこに、給仕服姿の知らない女性がいた。

 いや、給仕服で椅子引いてくれたんだから、ここのスタッフの人なんだろうけど、さっきまでこの人はいなかったはず。

「どうされました、スフィア様? 遠慮せずにおかけください」

「え、ええ……」

 とまどいながらも、引いてもらった椅子に腰掛ける。

 あらためて、その女性を見ると髪の長い清楚な感じの人で、清潔な感じで主張しすぎない、不思議な存在感だった。

「あの、スタッフの方、ですよね?」

 念のため聞いてみる。

「はい、このガーデンでお茶会を取り仕切らせていただいております」

 やっぱりスタッフのような。取り仕切る、という言葉には引っかかったけど、あまり深掘りしない方がいいような気がして、少し悩んだ。

「何を注文されますか?」

 その言葉で目的を思い出す。そうだ、お茶会だ!

 ウォッチさんの登場と、この謎のスタッフさんの存在で飛びそうになっていたけど、お茶会を楽しまないとここに来た意味が無い。


「メニューとかがないようですけど、なにがたのめるんでしょうか」

「ここはお茶会の《星》、ガーデンでございます。お客様がお望みのあらゆるものをご用意いたします。お茶でもお菓子でも軽食でも、なんでもお申し付けください」

 なんでもというのは少し困るやつだ。

 食べたいものならいくらでもあるが、逆に悩む。むむ。

「では、私が注文してもよろしいかな。アフタヌーンティーのセットを中身がベーシックなものでと、紅茶を3つ頼む。ダージリンがいいかな」

「お二人もそれでよろしいですか?」

 スタッフさんが、私とキズナに向けて聞いてきた。

「はい、お願いします」

 私は特に異論無かったので、ウォッチさんのオーダーに乗る。キズナは少し悩んでいるように見えた。

 でも、これはメニューに悩んでいるのでは無く、ガイドがいっしょに楽しむことに関して悩んでいるんだろう。きっと放っておいたら何も頼まないつもりだったに違いない。

「……社長が言った時点で何言っても無駄ですね。僕もそれでお願いします」

 キズナがため息をついた。何かを諦めたらしい。

「かしこまりました」

 そういってスタッフさんが、深くお辞儀をする。

 そうして、給仕姿のスタッフが顔を上げたとき、テーブルの上がパチッと音を立てて光った。

 そして次の瞬間にはテーブルの上には、素敵な光景が広がっていた。

 テーブルの中央に三段のトレイに、美麗で美味しそうなスイーツたち。

 一段目にはキュウリをはさんだサンドイッチや、タマゴやツナのサンドイッチなどの、いろんなサンドイッチが。

 二段目には香ばしく焼き上がったたくさんの美味しそうなスコーンに、ジャムやクロテッドクリームが添えてある。

そして三段目には無数のスイーツの共演。小さなケーキたち、タルト、クッキーやマカロンなんかもある。

 ああ、なんて夢のよう。

 きっと私の目は、それこそ星のように輝いていたのに違いない。

 さらには、気がつけば自分の前には、透き通るような白の白磁に青の綺麗な模様が描かれたティーセットに紅茶が注がれている。横にはティーポットにカバーが掛けられておかれていた。

 なんて素敵な光景。この世すべての甘いもの好きの願った光景をここに描いたようなそんな、いるだけでうっとりする光景。

 記憶なんて無くてもわかる。これは最高だ。


「ああ……、私が見たかったのはこの光景! これがお茶会よね。なにからどうやって楽しめばいいのかしら」

「……スフィア。ものすごくテンション上がってるね」

 キズナが冷めた目で見ているが知ったことでは無い。

「当たり前じゃない! この光景を見て喜ばない人はいないわ」

「いや、まあ、喜んでもらえるならいいんだけどさ」

 キズナの中になにかの諦めが見えた。

「まずは、喜んでいただけて何よりです。ところでスフィアさんは、今の光景をもう当たり前のように受け入れているのですね。《マボロシの海》にはもう慣れましたか?」

 ウォッチさんがそんな問いかけをしてきた。

 ん? 今の光景とは……、ってそうか!

「今、お茶もお菓子も、いつの間に出てきたの!? 湧いて出てきてたよね! 何これ不思議!」

「そういうことです。このテーブルに出てきたものたちはすべてさながら魔法のようにここに現れたわけですよ。あまりにそこに着目されないので、いささか驚きました」

 ウォッチさんが少し笑っている。

「あはは、美味しそうなお茶とお菓子が、こんなにならんでるのがちょっと衝撃的で」

「スフィアの言動は割とこんな感じですよ、社長。ここまでもいっぱい不思議を体験していますが、だいたい驚きよりも喜びが先でした」

「それはすばらしい。旅を楽しめるのはいいことです」

 ちょっと恥ずかしい。不思議よりもお菓子たちの喜びが勝ってしまってた。


「しかし、不思議ですね」

 ウォッチさんが首をかしげる。

「なにがですか?」

「いえ、スフィアさんには記憶が無いと聞いています」

「はい、その通りです。自分が誰なのか、なんでこの《マボロシの海》にいるのか、まったくわからなくて……」

「スフィアさんはそれを全く気にされている様子が無い」

「まあ、わからないものを気にしても仕方ないかなと思って」

「自分の存在が世界に確定していない。そんな状況でこの異質な世界を楽しめるものなのでしょうか」

「え……?」

 ウォッチさんが何を言っているのか、わからなかった。

「社長、なにを……」

「普通、この《マボロシの海》に放り出されたものたちは、元の世界の記憶を持っております。そんな方々の傾向としてはおおむね2種類ですな。強い願いがある方の場合は、その目的のために突き進むために、不思議を感じる余裕が無い」

 おもちゃ博物館で出会ったシークさんが思い浮かんだ。たしかにシークさんは忘却したおもちゃを探すという目的があって、必死だった。

「もう1種類の方は、違う世界に放り出されたことに戸惑い、ときには恐怖する方、そう言う方たちは、ときに強い負の感情にとりつかれてしまい、このマボロシの世界に悪い影響を与えることがあります。ここは思いでできた世界ですから。そういう方のために我々、幻想旅行社は存在しているのです。負の感情がその方を支配してしまう前に、《マボロシの海》を楽しんでもらい、この世界が美しいままにあるように」

「このツアーってそんな目的があったんですね。だから、最初はお代は一切いらないんですね」

「ええ、このツアーはお客様に楽しんでいただくことが目的です。それは建前だけのことでは無く、実利として楽しんでいただくことが《報酬》となるのです」

 少しだけ、このツアーについて思っていた疑問が解消された気がした。お代のいらないツアーなんて不思議だものね。しかもこんなに楽しいんだもの。

 でも、ウォッチさんはなんでそんな話をしているのだろう。

「社長、その話は企業秘密のはずです。なぜスフィアにこの話を!」

 キズナが慌てている、みたこともないキズナの姿だ。


「さて、ここでスフィアさんですが。実際この2種類のどちらにもあてはまらない。スフィアさんは突然この世界に放り出された。そして記憶は無い。そうですね?」

 ウォッチさんはキズナの言葉をスルーした。

 私と二人しかこの場にいないような、そんな感じ。

「はい、そうです。気がついたら《マボロシの海》の中にいて、なにも覚えていませんでした」

「願いは無いと」

「うーん、とくに叶えたいような、強い願いのようなものは……。あ、しいていえば、今はこのツアーで世界を楽しみたいってくらいですかね」

「そして、この世界を怖がってもいない」

 あ、後半軽く流された。冗談が通じる空気じゃないなこれ。

 それに気がつけば、ウォッチさんの眼鏡越しの視線が鋭いものになっているような気がする。今私は何を求められているのだろう。

「怖くは無いですね。とても楽しいです。ここまでのどの《星》も素敵でとても楽しかった」

「それは、よかったキズナ君はきちんと仕事をしているようですね。ところでスフィアさん、記憶が無いというのは本当ですか?」

「えっと、なんどもそう言っていると思うんですけど」

「なるほど、それなのに、ここでのお茶やお菓子、お茶会のこと、雲やおもちゃの世界での基本的な知識はもっていたようですね」

「え。それは、その……」

 たしかに、私はお茶会も、おもちゃも、雲についてもどんなものなのか、全部知っていた。それを疑問にも思わなかった。

「たいへん、不思議なことですね。世界についての知識はあるのに、自分のことだけがわからない。まるで自分が無いみたいに」

「自分が無い……? あの……それは」


 なぜだろう。今私はとても追い詰められているような気になっていた。とても怖い。ウォッチさんはずっと笑顔なのに、なぜか足下が崩されていくようなそんな錯覚を覚えた。

 言葉が出ない。

 何も考えられない。

「さ、そんな話は野暮ですね。せっかくのお茶が冷めてしまう前に、お茶会を始めるとしましょう」

 ウォッチさんは手をぽんと叩いて言った。

 視線は優しいものにもどっている。さっきまでの張り詰めた空気も嘘だったかのように消えていた。白黒だった世界に色が戻ってきたようなそんな気分。

 ああ、キズナの言っていたことがわかった。

 幻想旅行社社長ウォッチさんは、つかみどころがなくて、うさんくさくて、変人で、そして、怖い人だ。

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