第62話 実食と視線の正体

「ご主人様、こちらがアン様がお作りになった料理です」


 ケミス伯爵の屋敷にて、『味噌煮込み穀麺』が完成したことを使用人の方に報告すると、すぐにケミス伯爵の元に運んでくれることになった。


 とりあえず、一仕事終えたと思っていたのだが、共に来て欲しいと言われた私とエルドさんは、ケミス伯爵の屋敷の食堂に来ていた。


 そこで少し待っているとすぐにケミス伯爵がやってきて、ケミス伯爵が席に座るなり使用人の女性が『味噌煮込み穀麺』を持って食堂にやってきた。


 厨房から運ばれてきたそれは湯気を纏っていて、その湯気によって味噌の香りをいたずらに振り撒いているようだった。


「おお、凄い良い香りがするな」


 食欲を失くしているはずのケミス伯爵はだけでなく、他の使用人たちの食欲まで掻き立てられたのか、私以外の人の視線が『味噌煮込み穀麺』に注がれていた。


 いや、私もさっき味見をしたはずなのに、その香りに釣られてしまっていたと思う。


 ケミス伯爵が私の方に視線を向けていることに気づくまで、私は自分で作った料理の香りにやられてしまっていたようだった。


 ……味噌の魔力というのも中々に恐ろしいものだ。


「これは一体、どういう料理なんだい?」


「味噌という調味料で穀麺を煮込んだものです。エリーザ伯爵に出した物とは異なりますが、こちらも同じ効果が得られるかと」


「味噌? 初めて聞く調味料だ。どれ、それよりも、この香りを引き立たせている料理の味が気になるな」



 ケミス伯爵は匂いに強く引かれているはずなのに、平然を装うようにしていた。


 多分、貴族として余裕がある立ち振る舞いを普段からしているせいだろう。それでも、駆り立てられた食欲には勝てないようで、ケミス伯爵は私の話を軽く聞いてすぐに『味噌煮込み穀麺』を口に運んでいた。


 そして、一口食べた瞬間に感動するような声を漏らしていた。


「これはっ……美味いぞ。なんだこの旨味が凝集されているような味はっ」


 そして、見開いた眼を私の方に向けつつも、止まらなくなった手は次々と『味噌煮込み穀麺』を口に運んでいた。


 そうだよね。味噌煮込みうどんとかって手を出したら、しばらく止まらなくなるよね。


 私は心の中で勝手に頷きながら、そっと口を開いた。


「風味とコクが強いのが特徴の調味料です。えっと、世にあまり出回っていない貴重な調味料かと」


「そんな貴重な物なのか。しかし、なるほど……これは、食べる手が止まらなくなるな。半熟の卵を割るタイミングに悩むところではあるが」


 味噌煮込みのスープを口に流し込んだケミス伯爵は、ほっと一息ついた後に真剣な顔でそんな言葉を口にしていた。


 まさか、卵を割るタイミングをそんな真剣な顔で考えてくれるとは。


 これは作り手としても嬉しい反応ではある。


 ……なるほど、初めはエリーザ伯爵とタイプが違うのかと思ったけど、料理に対して良い反応をしてくれるところはよく似ているみたいだ。


「卵を割ると味をまろやかにしてくれます。決して邪魔はしないのでお好みのタイミングでどうぞ」


「そうか。では……おお、卵が絡みつくと、ここまで変わるか。微かに溶けだしていく卵の黄身とスープが混ざり合って味噌という調味料のコクが引き立つな」


 ケミス伯爵はさっそく半熟の卵を割って、その味の違いを楽しんでいるようだった。


 これだけ楽しんでくれるのなら、これは大成功と言えるのではないだろうか。


 私が少しの達成感から微かに口元を緩めると、どこかから視線のような物を感じた。


 この感じ、まただ。


 初めてこの屋敷に来たときにも感じた視線。勘違いだと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。


 私はしばらくの間気づかないフリをして油断をさせた後、視線をこちらに送っている人がいるであろう扉の方に勢いよく振り向いた。


「っ!」


 その瞬間、完全に目が合った。


 扉の奥からこちらを覗き見るようにして見ていた、茶色の髪を二つ結びにした幼い女の子と。


 その子は少しあわあわとした後、最後に私に睨むような目を向けてから、逃げるように扉から離れていった。


 あれ? なんで私睨まれたの?


 初めて会ったはずの幼女から睨まれる理由について考えてみたが、結局その理由は分からないままだった。


 本当に、なんだったのだろうか?


 そんな小さな疑問だけが静かに残った。

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