第26話 詩の語る
わたしとダニエルは隣村に向かって道を歩いていた。わたしはダニエルの肩に乗っているけど。
季節は初夏から本格的な夏へと向かいはじめる頃だ。ダニエルは汗をかいている。
「あ、しょっぱい!」
「ちょっと、なにやってるの!」
わたしはダニエルの汗ってどんな味なのかなあ、と思って、指で掬ってなめてみた。
「人間の汗って変な味だね」
「ゼー、そんなことしたらダメだよ。とってもはしたないことだよ」
はしたない? そうなの?
「ごめんなさい」
「ゼーは汗かかないから分からないと思うけれど、そんなことされて嬉しい人間はひとりもいないよ」
うん、もうわかったよ。
「どのくらい歩くの?」
わたしは話題を変えようとしてダニエルに尋ねる。
「たぶん、もう少ししたら見えてくると思うんだ」
ダニエルは立ち止まり、額に手をかざして遠くを見やる。
辺りには小麦畑が広がっている。早い穂にはもう実が入りはじめている。もうお昼は過ぎて一番暑い時間だから農作業をしている人は見当たらなかった。
暑いなあ、と思うけれど、からっとしているから、わたしは汗をかかない。いや、かいているのかな? 髪の毛からいつでも水は滴り落ちている。
「ねえ、ダニエル。ダニエルはわたしの髪の毛の水を飲んでもいいよ。きっと汗とは違うものだから」
「そんなこと考えたことがなかったよ。もしかしたら、そういう風に助けられる時が来るのかもしれないね」
そうだよ。わたしはもう人間の汗をなめたりしないけど、人間はわたしから水をもらってもいいんだよ。フラクシナスだってすごく喜んでいたんだから。
「あ、村の入り口が見えてきた」
ダニエルが指を差した方に小屋の屋根がいくつも見えてきた。入口の辺りで牛を引いている農夫がいる。
「こんにちは。わたしは旅の冒険者でバニヤンと言うものなのですが、こちらに詩人のレーナウさんはいらっしゃいますか?」
「レーナウさんなら、村の奥の少し丘になっているところの小屋に住んでいるよ。散歩に出かけていなければいるんじゃないかな」
ダニエルは農夫にありがとうと告げて、村の中を進んでゆく。
村の中は人の気配があんまりない。お昼過ぎだからお昼寝の時間なのかな。わたしもお昼寝すればよかったな。でも、なんだか怖い夢を見るようになってきたんだよな。この耳飾りのせいかなあ。ヴァルキューレのこともあったから、きっと意味のあることだとは思うんだけれど、眠るのにちょっと勇気がいるようになった。あんまり悪夢が続くようだったら耳飾りは、はずしちゃおうっと。
丘の上にぽつんと一軒の小屋があった。ひっそりとしていて吟遊詩人が住むのにはあんまり似合っていないような気がする。
小屋の前までゆくと、ひとりの老人が花に水をあげていた。
「こんにちは。あなたがレーナウさんですか?」
「いかにもそうじゃが」
農夫のようにラフな格好をしている。全然、詩人に見えない。
「わたしはグランド公国から旅をしている召喚士のダニエル・バニヤンと申すものです。ミショアラの街の詩の結社からあなたを紹介いただいて訪ねました。お話を伺うことはできますでしょうか?」
「グランド公国。懐かしい。どんよりとした雲。あがることのない雨。しかし詩情豊かな湖水地方もある。よい国だ」
「ありがとうございます。この地方は太陽に恵まれて気候がとてもよいですね」
「年老いた体にはやさしいところだ。さあ、中に入って休んでくだされ。なんのおもてなしもできないが」
そう言ってレーナウはわたしたちを小屋の中へと案内してくれた。
中は、外観同様、こざっぱりとしていて生活に必要なものしか置かれていないみたいだった。
わたしたちは促されて椅子に腰掛ける。
「水の精霊はなにを飲むのかね?」
わたしのこと、ちゃんと気づいてくれた。
「ありがとう。わたし、お水がほしい」
頷いて、ダニエルとわたしの分の飲み物を用意してくれる。
「あなたは吟遊詩人としてさまざまな国を渡り歩いたとか」
「そなたの歩いた距離とそう変わらない。旅をするうちに年老いてしまい、いまだに気楽な独り身だ。書き物や音楽ができるから、村の祭りの時は重宝されていて、それで養ってもらっている。ただの村に引きこもっているしがない老人じゃよ」
「村の祭りに関わることをしていらっしゃるのですね。わたしの尋ねたいことがそういったことと関わっているかもしれません」
「なんなりとお尋ねください」
「はい。わたしが旅に出ている理由は『ジェセの根』の探索です。どんなことでもよいのでなにか知っていましたら教えていただければ幸いです」
レーナウは静かに目を閉じた。しばらくじっとしていて、眠っちゃったんじゃないの、と思うくらいの時間が過ぎた。そのあと、ようやく口を開いた。
「『ジェセの根』。わしはもちろん、見たことはない。だが、旅の先々で、主に貴族の屋敷じゃったが、その噂を聞くことはあった。なんでも、手に入れたものには永遠の命が手に入るとか。わしにはまるで興味のないものじゃったが、不思議なことに立ち寄る教会でもその噂を聞くことが多かった。
貴族と教会。もちろん貴族の中にも敬虔な者はおるから、おかしいことではない。ただ性質がまるで違う場所なのに同じことが語られるのをおもしろいと感じた」
レーナウは、そこでお茶を飲み、またしばらく沈黙した。ダニエルもお茶をもらってその沈黙に付き合っている。
「貴族は裕福なゆえに永遠の命を求める。教会は信仰ゆえにそれを求めた。
教会で聞いた詩をひとつ覚えている」
レーナウは今までの語りとはまるで違う口調で朗々と詩を謳いあげる。
苦しみは晴れ
喜びが滴る
病はほどけ
唇がほころぶ
ジェセの根を信じよ
それは
木に掛けられ呪われた
それは汝が身代わりに
苦しみは晴れ
喜びが滴る
打たれた根が
甦ったゆえに
病はほどけ
唇がほころぶ
打たれた根が
甦り
天に昇ったゆえに
「それでは、『ジェセの根』とは、やはり人間のことなのですか?」
ダニエルは立ち上がり、レーナウに問う。
レーナウはただ首を振り、分からない、と答える。
「詩は難しいものではない。そこから読み取れることは、確かに『ジェセの根』は人であろうということじゃ。あるいは、統一帝国時代には死者の甦りの技術もあったと言われている。もしかしたらそういった呪術のことを指すのかもしれない」
「私は、森の賢者からエルフが星を追いかけて北方に『ジェセの根』に仕えるために出立したということを聞きました。この詩と併せて考えると『ジェセの根』は人であることがより強く描き出されてきました」
「まあ、わしには確かめる術がない。そなたが見つけた時にはぜひ教えてくれ」
それからわたしたちは詩作について話をした。どんな詩が素晴らしくて、どんな詩が
「しかし、その拙さの中に真実が宿る場合もある。詩とは、本当に計り知れぬものじゃ」
ダニエルはその言葉を噛み締めるように頷いている。
「貴重なお話をありがとうございました」
「話したから、というのではないのだが、ひとつ頼まれごとをしてはくれないだろうか」
レーナウがダニエルの目をうかがうように覗き込む。
「なんなりとおっしゃってください」
うん、とレーナウは頷いたあとで、またしばらく沈黙していた。そのあと、ようやく口を開く。
「先ほども言った通り、今はなかなか歩くことができなくてな。それでもものを書くことはできるので、手紙のやり取りをしている。
わしには詩の勝負をしている人間がいる。
と言ってもラヤパナやシナリテロのような呪力のこもった詩ではない。文字の並びの美しさ、韻律の喜びを求めておる。
しかし、そのやりとりをしている相手からこの数ヶ月、詩が届かない。こちらから送っても、届いているようだが、返事がない」
そう言うとレーナウは立ち上がり、机の引き出しから封筒をひとつ取り出した。その中から手紙を取り出し、読み始める。
「それは闇 饗宴の闇
されど夜の喜びが
永遠に続くという
星が太陽のごとく
月は夜闇を溶かす
呑まれないと知っている
かりそめの喜びを伝えよう」
レーナウは手紙を閉じる。
「これが最後に届いた詩じゃ。それに応える新しい詩を作ったのでそれを届けて、様子を見に行ってはもらえないだろうか。もちろん届いているなら重複してしまうが、それならそれでいい。彼は、ここより北の街ギショアラに住んでおる」
「かしこまりました。確かにご依頼を承りました」
その時、扉をがりがりと引っ掻く音が聞こえてきた。
レーナウが扉を開けると黒い猫が一匹入ってくる。ダニエルの前に走ってゆくと、バイロンの声で喋り出した。
「ダニエル、ミショアラの街に至急戻ってきてくれ。なんでも領主が我々に会いたいんだと」
黒い猫がバイロンの声で喋ったからびっくりした! これが前に言っていたバイロンが作り出した魔法なんだろう。
「レーナウ殿。貴重なお話をありがとうございました。依頼も確かに承りました」
わたしとダニエルはレーナウに見送られて村をあとにする。
「領主がなんのようだろうね。クレイグだけじゃダメなのかな? まあ、領主に呼ばれて断るわけにもいかないから急ごうか」
ダニエルは猫を抱えて歩いているので、わたしは浮かんでついてゆく。さわさわと小麦の穂が揺れている。夕方に近づいて、過ごしやすい空気。鳥が飛び交い、子どもたちが追いかけっこをしている。
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