第18話 教会にて
わたしはどうやって宿に入ったのか覚えていない。
いつの間にか夜になっていて、わたしはダニエルとバイロンが眠る部屋にいた。ダニエルのベッドに寄りかかって座っていた。
ずっと泣いていた。
なんでなの。
どうしてなの。
お姉ちゃんは、どうして黙って行ってしまったの。
分からない。全然、分からない。
その時、コンコン、とドアがノックされた。もうすっかり夜は更けていて、バイロンもダニエルも起きる気配はない。カーテンの隙間からまんまるの月が部屋を覗き込んでいる。
こんな時間に誰だろう。
そう思っているうちに、扉の向こうから声がかけられる。
「私です。アランです。ゼーローゼさん。起きていらっしゃいますか?」
わたしは涙を拭いたけれど、何も答えないでそのまま座っていた。
「ゼーローゼさん。もし、眠れないのでしたら私と一緒に出かけませんか?」
アランがそんなことを言い出すなんてどうしたんだろう。わたしは不思議に思って、涙を拭いて立ち上がり、ドアの方へ飛んでゆく。鍵を外して扉の外に顔を出す。
「ゼーローゼさん。起きていましたか」
「うん。アラン、こんな時間にどうしたの?」
「もしよろしかったら、私と一緒に散歩に行きませんか? よい月夜ですよ」
わたしはどうしてアランがこんな風に声をかけてきたのかさっぱり分からなかったけれど、眠りたい気分にもなれなかったから、アランのお誘いについてゆくことにした。
わたしはもう一度涙を拭って部屋を出る。部屋の鍵をアランに預ける。アランはわたしたちの部屋に鍵をかけたあと、階段を降りはじめる。そしてそのまま外に出かける。わたしもその後を追いかける。
城下街は、とても静かだった。
「こんな夜に歩いていて危険じゃないの?」
「そうですね。少し危険かもしれません。でも神様がきっと守ってくれるでしょう」
アランはどこかに向かおうとしているようだった。迷いなく歩んでいる。
「着きました。宿に近くて助かりましたね」
そこは教会だった。アランやクレイグがよく通っているところ。
アランはその扉を押し開ける。
中は松明や蝋燭が焚かれていて明るかった。月の明かりで天窓の色ガラスの影も礼拝堂の椅子に落ちている。
「ゼーローゼさん。一緒に祈りましょう」
「ううん。わたし、今、そんな気持ちじゃないの。祈りたくない」
「そうですか。それはどうしてですか?」
「うーん。分かんない。ただ悲しい」
「お姉さまのことですね」
「うーん。分かんない。お姉ちゃんのことかもしれない。うん、そう。お姉ちゃんのこと。どうして人間になったのか、とか、どうして相談してくれなかったのか、とか、人間になったとしても、どうして会いに来てくれなかったのか、とか、どうして死んじゃったのか、とか」
死んじゃった、と言った時、また涙が溢れ出して来た。どうして、どうして、どうして。
どうしてラヴェンデルは死んじゃったの。
どうしてひとりでいなくなってしまったの。
「私にとっては、ラヴェンデル様のことはとても希望のように感じました」
希望? どうして?
わたしが無言でアランを見つめると、アランは続けた。
「私の神、
きっと同じように精霊のことも愛してくださっていると思います。精霊もきっと神様の言葉によって作られているでしょうから。多分、神様を信じることをしなくても幸せになれるでしょう。
しかし、天国へ行くには神様を信じることが必要です。ゼーローゼさんは神様を信じていますか?」
わたしは頷いた。
「そう。それは素晴らしい。でもあなた方の信仰は無に還るというものですよね」
わたしはまた頷く。
「お昼間に見た霊廟は、我々の神、主を信じた者が埋葬されているところです。きっとラヴェンデル様は主を信じる証を行ったのでしょう。そうでなければ、あの場所に埋葬されることはありません」
アランはそのまま続ける。
「きっとラヴェンデル様はヴィルヘルム様を心から愛していらっしゃったのでしょう。
死んだとしても同じ天国に行きたかった、ということではないのかと私は思います」
「わたしよりもヴィルヘルムの方が大事だったの?」
「それは、分かりません。でも、愛というものはそういうものです。家族に理解がないとしても選ぶものなのです」
「わたし、全然、分かんない」
「我々の神、主の教えは大変難しいものです。聖典を毎日読んでいても理解が追いつくことはありません。
でも、大事なことはそれほど多くないのです。たったふたつです。
それは、何より、神様である主を愛すること。
もうひとつは、自分を愛するように
我々の主の教えはそのふたつに集約されます。
ラヴェンデル様はそれを実践されたのではないでしょうか」
「そんなの意味が分かんない」
「もしかしたら、いつかゼーローゼさんもそのことが分かるようになるかもしれません」
神様を愛すること。それはなんとなく分かる。わたし、神様のことが大事だから。でも隣人を愛するっているのはよく分からない。わたし、アランたちのことは大好きだし、同じように水の精霊たちのことも大好き。それが愛するということではないの?
「ラヴェンデル様は、自分の、永遠とも言えるような時間と引き換えにひとりの人を愛することにしたのでしょう。それはとても勇気のいることです。後戻りはできないからです。肉体を持つということは、本当に取り返しのつかないことなです。
それなのに、ラヴェンデル様はそれを行った。私はこう考えます。ヴィルヘルム様をこの世で精一杯愛し、支える。今日、吟遊詩人が歌っていた歌の中に、平和をつくったと歌われていました。それが何よりの証拠だと考えます。しかし、それだけでなく、死んだ後も一緒の天国に行きたい、と、そう願ったのではないでしょうか」
わたしは首を振って、礼拝堂の椅子に腰をかけた。隣にアランも腰掛ける。
「わたし、魂のこととかよく分からない。わたしはそれを持っていないから。ああ、だからそれを得ようとしたのかもね。魂を得ないと本当にヴィルヘルムと一緒になることはできないと考えたのかもしれないね」
「はい。そう思います。
ぜひ、お祈りさせてください。
憐れみ深い我らの主よ。御名を心より讃美申し上げます。
今日、ラヴェンデル様のことを知りました。水の精霊であったものが魂を得て、人間となりました。主を信じることにより、今は天国でヴィルヘルム様とともにいることでしょう。必ず、喜びの中で永遠の命を得ているものと思います。
そうです。今は永遠の命を得ているでしょう。目には見えませんが、私はそれを主のゆえに信じます
神様を讃美申し上げます」
わたしは永遠と言えるような時を過ごすけれど、それは決して永遠ではなくて、やがて無に帰ってしまう。でもお姉ちゃんは肉体を得ることで、死後、永遠の命を手にする。それは神様を愛していたから。ヴィルヘルムを愛していたから。
わたしにはやっぱり全然、理解できなかった。
精霊でいることをやめてしまうなんて、わたし、本当に分からない。
「アラン、わたし、分からなくてもいいよね」
「そうですね。分からなくていいと思います。でも存在しているということは、いつかまたその壁にぶつかるということだとも思います。とても難しい話ではありますが」
わたしは、アランの真似をして手を組んで神様に祈ってみた。
神様、わたしはお姉ちゃんのしたことがいったいどういうことなのか、分かりません。天国や永遠の命のことも分かりません。わたしにもいつか理解できる日がやって来ますか? お姉ちゃんのことを祝福できる日が、いつかやって来ますか?
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