第17話 ラヴェンデル

 街道に戻り、わたしたちは国境近くのお城を目指す。商人の馬車が時々行き交い、たまに冒険者と思われるパーティーともすれ違う。クレイグが手をあげると、相手のリーダーと思しき人も手をあげる。特別なやりとりはないけれど、こういう挨拶って旅の仲間みたいで、わたしはちょっと嬉しくなる。時々、わたしがいることに気づいて手を振ってくれるローブ姿の人もいる。きっと召喚士なんだね。




 そんな風にして歩いてゆくと、ついに城壁が見えてきた。あれがヒルデブラント城か! 王都にあったお城ほどではないけれど、なかなか立派なお城だよ。

 はためている旗は、わたしが夢で見たものとは少し違って、槍が2本×じるしに交差しているものだった。やっぱり夢と現実では何かが違っているのだろう。


 クレイグが通行証を見せて城壁の門をくぐり抜ける。

 王都の城下街ほどではないにせよ、かなり大きな街だと思う。ここにもいろんな人種が揃っている。人間もドワーフもハーフリングも。でもエルフの姿は見えない。この辺りのエルフはみんな、もっと北の方へ行ってしまったのかな。


 わたしたちは真っ直ぐお城を目指す。

 お城の門番にクレイグが王様からもらった紹介状を見せている。衛兵達の動きが慌ただしくなる。王様からのお客さんなんてみんな慌てちゃうよね。

 わたしたちは応接間のようなところでしばらく待たされて、そのあと謁見の場に案内された。


 天井の高い大広間だ。玉座まで結構距離がある。あ、あの王様の椅子、背が細長くなっている! 夢で見たのとおんなじだ!

 でも座っているのは、壮年の男性。ヴィルヘルムじゃないのかなあ。


「ヒルデブラント公爵閣下。

 公においてはご機嫌麗しく。

 拝謁できますこと、心より感謝申し上げます」


 王様は肘をついて、クレイグのことを見ている。どこの王様もみんな偉そうにしているんだね。そうすることが仕事なのかな。


「フリードリヒ王の紹介とのこと。貴殿は私に尋ねたいことがあるらしい」

「はい。実は人探しをしておりまして、その人物にゆかりのある方がヒルデブラント家にいらっしゃるのではないかと考えて、それでやって参りました」

「誰のことだ」

「はい。我々が捜しているのは、ここにおります、水の精霊ゼーローゼの姉君であります。その名をラヴェンデルと言い、ラヴェンデルが嫁いだのがヴィルヘルム・フォン・ヒルデブラントという騎士であることが分かっております」

 王様はしばらく目をつぶった後、こちらを向いて言った。

「ヴィルヘルム。ヴィルヘルムという騎士は、確かに私の先祖にいることは確かだ」

 ほら、やっぱり! この場所であっているんだ! でも先祖ってどういうこと?


「しかもヴィルヘルムは系図にしっかり記載されているのだが、それ以上におとぎ話と残っていて、この国の者は誰でも知っている」

「おとぎ話と申しますと」

「ははは。まさか、そのおとぎ話が真実に裏打ちされたものだとは、おもしろい。

 そのヴィルヘルムという騎士は水の妖精と結婚したという伝説が残っている」


 そうそう。そうでしょう。水の妖精じゃなくて精霊ね。その結婚をしたっていうのがお姉ちゃんだよ。

「これは余興になる。吟遊詩人はいるか? この場に呼んでこい。そして『騎士の花嫁』を歌わせろ」


 場内が一気にざわつき出す。お姉ちゃん歌になっているのか。すごいなあ。もしかしてお姉ちゃんが歌に合わせて出てくるとか?

 しばらくして、リュートを携えた吟遊詩人が現れる。長い白髪のマントを着た男性だ。歳をとっているのかと思ったけれど、白髪なのは元からなのだろう、すごく若い男性だった。王様にかしこまったあと、彼はすぐに歌いはじめる。


『騎士の花嫁

 水の乙女なり

 麗しきその姿 水滴る髪の毛

 遠い湖より来たりて

 城に明るき賑わいをもたらす


 騎士の花嫁

 婚姻するに 人と同じ魂を持つ

 水滴る髪の毛は 金髪に

 体も人と あいなれり

 この地をよく統べ

 長き平和をもたらした』


「これは長いおとぎ噺の一節で、水の妖精の嫁入りのことを歌っている。どうやら私のご先祖は水の妖精を妻として迎え入れたらしい。ずいぶん昔の出来事だ。系図で見れば八代前にヴィルヘルムという騎士がいる。長くこの地を平和に治めた領主ということだ」


 バイロンが肘でわたしをつっつく。

「おい、ゼー。最近て言っていたけれど、もう何百年も経ってるっていうことか?」

「うん? そんなに経ってるかなあ? わたしの中ではつい最近の出来事なんだけれど、わたし、あんまり時間のこと気にしたことがないんだよね」


 クレイグが王様に話しかける。

「ヒルデブラント公。その妻とされた水の精霊は今はどうしているのですか?」

「歌にもあっただろう。人間と結婚した精霊は魂を持つのだそうだ。そうしたら寿命は人間と同じものになる。その体はとうになくなっている」

 え、それってどういうこと?


「水の精霊よ。お前の姉の名前はなんと言ったかな?」

 この王様もちゃんとわたしのことが見えているんだ。

「ラヴェンデルです」

 わたしは王様の目を見て答えた。

「ラヴェンデル。確かに。フルトブラントの妻となったのはラヴェンデルという名前の者だ。

 そうだ、今、我が親族に二つ名をラヴェンデルと呼ばれているものがいる。

 おい、クロリスを呼べ」


 それからしばらくして、ひとりのヴェールをかぶり、ドレスで着飾った女性がしずしずと入ってきた。王様がその女性に声をかける。

「クロリス。舞を踊れ」


 先ほどの吟遊詩人がリュートをかき鳴らす。

 踊りはじめるクロリス。その舞は優雅で美しい。ステップも複雑で、見ていてとても楽しい。音楽のテンポが上がった時に、その女性はヴェールを脱いだ。

 髪の毛が青色だ!

 ラヴェンデルの面影がクロリスの上に重なる。

 わたしは、なんだかぼうっとして彼女が踊るのを見つめていた。そして、ラヴェンデルの体がもうないということがどんなことなのかを考えていた。


「クロリス。素晴らしかった。

 もう下がってよいぞ。

 彼女は踊りが流れるように美しいのと、髪の毛が青いことでラヴェンデルと呼ばれるようになった。

 水の精霊よ。残念だがラヴェンデルはもうこの世にはいない。確かに人間の魂を得ることがなければ、今もお前のように生き続けていたことだろう。

 しかし、ラヴェンデルはヴィルヘルムとともに生きることを選んだのだ。それがどうしてかは、我々にはうかがい知れない。

 ただ、ヴィルヘルムとラヴェンデルの墓は残っている。この城の霊廟の中に安置されている。

 案内の者をつけるから、墓参りをしてゆくのがよいだろう」


 それからわたしたちは霊廟に案内された。お城の地下のそこは、まるで地上にでもいるような明るさに満ちていた。

 全体が金で覆われていて、天窓は色とりどりのガラスで装飾されていて、色のある影を足下に落としている。


 棺が整然と並べられ、そのひとつひとつの上に灯火が掲げられている。

「こちらがヴィルヘルム様の棺。その隣にあるのがラヴェンデル様の棺です」

 わたしは、ぼうっとした心地になっていた。これが現実だなんて、なんだか信じられない。お姉ちゃん、ラヴェンデルはもうこの世にはいないの? 人間の魂を持ってしまったからパレ湖に帰ってくることもなかったの? だってレイスみたいに死霊になる人間もいるんだよ。挨拶しに帰ってきてくれてもいいじゃない……。


「ゼーローゼさん。私と一緒に祈りましょう」

 アランが声をかけてくれる。

 わたしはただ頷く。


「水の精霊よ

 汝 人の魂を得たもう

 さらば 今は心安らかに

 天国に 居場所があるであろう

 天使でさえも 嫉妬するほど憧れる

 人の魂を得し 水の精霊よ

 汝の幸せ 確かなり

 天の御国で その体 舞いたまえ」


 どうして、どうして、どうして。

 わたしにはさっぱり理解ができない。どうしてお姉ちゃんはいなくなってしまったの。人間の魂を得るというのはどういうことなの。どうしてわたしに相談してくれなかったの。


 わたしは、アランの祈りをちゃんと聞くことができずに、泣いていた。

 涙はとどまることを知らずに、次から次へとあふれ出す。

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