第9話 木霊の青年

「お食事会、楽しかったねえ!」

 わたしたちは、今、宿屋を後にしてアーバーロの森に向かう道中にある。


「そんなに楽しかったか? ゼーはなんにも食べてないのに?」

「楽しかったよ! みんなとおしゃべりしている時間がよかった」

「ゼーも飲み物くらい飲めるともっと楽しむことができるかもしれないね」


 ダニエルがそう声を掛けてくれるけれど、わたしは首を振る。

「食べ物とか飲み物とか、人間のものを口に入れたことがあるけれど、そうすると次の日、すごく体が重くなっちゃうの。わたしは時々、真水を飲むくらいでちょうどいい。人間の体ってすごくよくできているんだね」

「それはこっちのセリフだよ。長い間、ほとんど何も口にしなくて平気なんだよね。精霊の方がとてもよくできていると思うよ。食べないと死んでしまう人間の方が厄介な体を持っているよ」


 前を歩いているクレイグが後ろを振り返って尋ねてくる。

「この先、アーバーロの森に着くまでは野宿も必要になるかもしれない。十分、英気を養ったというところだ。ダニエル、ゼーローゼをずっと担いでいて疲れないか?」

「全然。重いとか感じたことがないよ」

「それならいい。長時間歩くことになるから交代しようかと考えていた」


 わたしはダニエルの背中からクレイグに答える。

「クレイグは甲冑を着ているから、わたしその背中嫌だ。金属はねえ、なんかひやっとして居心地が悪い」

「そうか、じゃあ、三人でうまくローテションしてくれ」

「わたし、浮かんでついてゆくこともできるよ」

「ゼーローゼは旅慣れていないだろう。無理はしなくていい。もちろん、誰の背中にいてもいいし、いなくても自由だ。好きにしていていい」

「ありがとう」


 森に向かうまでの間、わたしはダニエルの背中にいて、時々、アランやバイロンの背中におぶさった。みんな、とっても歩くのが速いんだ。

 最初の晩は小さな村に辿り着いて、その村人の家にそれぞれ別れて眠りについた。パーティーの中に騎士がいると歓迎してくれるみたい。クレイグだけ、特別扱いされているような気がする。一番大きな家に泊めてもらっていたし、村の人たちみんな尊敬のこもった眼差しをクレイグに向けているような気がする。


「騎士様って、やっぱりちょっと違うの?」

「それなりの身分だからね。でもバイロンとアランも同じくらいの階級ではあるんだよ。ただ魔法使いは珍しい職業だから少し遠巻きにされるところはあるかな。僧侶は教会の人だからかしこまった態度を取られることが多いような気がする」


 その村の人たちに見送られて出発すると、辺りはだんだん荒れた大地が広がるようになってきた。でも冒険者一行は足を緩めず、ぐんぐん目的地に向かって進んでゆく。


 二日目の夜は野宿になった。わたし、こんな風に荒野あらので一晩を過ごすことなんて初めてだったから、わくわくした。


「火を絶やしてはいけないから交代で見張りに立つことになる。もちろんゼーはそんなこと気にしなくていいからね」

「わたし、こんな荒野だと気配とか感じられなくてなんの役にも立たないや」

 ダニエルは頷いて続ける。

「火があれば多くの獣は寄ってこないからね。火が灯っているというだけで効力がある。でも、魔獣や悪霊の類には効かないというのが難点かな。かえって目印にされたりもする。だから見張りを立てる。とはいえ野獣よりも魔獣や悪霊の方が数は少ないから、大丈夫だとは思うけれど。荒野の夜は冷え込むし、火が燃えている様は、なんだか落ち着くしね」


 確かに荒野の夜はだいぶ冷え込む。でも、夜空はとても印象的だった。湖で見上げる空と荒野で見上げる空はなんだか違っていた。荒野の空は、いつでも風が吹いていて、少し煙たいような気がする。それでも風が止むと星は迫ってくるように散りばめられていて、圧倒された。地平線までずうっと空が広がっているから、とても迫力を感じる。


 その荒野での朝、わたしは夢を見る。

 ひとりの青年がわたしに向かって声をかけてくる。

「やあ、こんな所に人影があると思ったら、君じゃないか。街で出会った水の精だろう? 目を覚ましてくれないか?」

「ううん……?」

 そんな風に声を掛けられてわたしは目を覚ます。するとわたしの目の前に、夢の中の青年が茶色いローブを着て立っていた。


「君は、……。ああ、街の中で出会った木の精霊じゃない。でもあの時は子どもの姿だったよ?」

「そうさ、だいぶ遠くまで足を伸ばしていたからね。あのくらいの距離になると体のサイズは子どもの大きさになってしまうんだ。

 君たちが僕を助けに来てくれたのかい?」


「あなたはだあれ?」

「僕は森に住む木の精霊だ。よかった、この先の森で待っているよ。もう、この体を保つのは難しそうだ。必ず、必ず、来てくれるよね」

 そう言うと、木の精霊の青年はその姿をかき消してしまった。


「ゼー、木の精霊と話をしていたね」

「うん。おはよう、ダニエル。街で出会った木の精霊の子どもと同一人物なんだって。多分、わたしたちが向かっている森に住んでいると思うよ」

「そうだね。早速みんなを起こして出発することにしよう」


 簡単な食事を摂った後で、わたしたちは森を目指して進む。草原からはじまり、辺りは次第に緑が濃くなってくる。やがて、前方にこんもりとした森の姿が見えてくる。きっとこれがアーバーロの森だろう。


 森の手前で冒険者一行はまた円陣を組んだ。

「これからアーバーロの森の探索に入る。相当深い森だ。魔獣や悪霊の類もいるだろう。気を引き締めて向かおう。エルフとの遭遇もあるかもしれない。その時は丁重に挨拶をし、可能ならばトレントの元へと導いてもらおう。森の中の地図はないから、我々の足跡を辿れるようにしたい。バイロン、何かよい魔法はあるか?」


「まっさらな羊皮紙が欲しい」

 バイロンにクレイグが答える。

「この地図の裏側は使えないか?」

「それで十分だ。

 『足跡映射そくせきえいしゃ

 これで、自分達が歩いた跡は分かるようになる」


 バイロンの手元の羊皮紙に、わたしたちの足跡が現れる。動くとその足跡が進む。おもしろ〜い。


「森の大きさを地図から推量してこの羊皮紙全体としている。迷ったら、とにかくこの今の時点に戻ってくればいい」

「承知した。森を天然のダンジョンだと捉えればいいだろう。

 ダニエル、森の中で召喚できるのはどういうものになるだろう」

「そうだね。ドライアドは力になってくれるだろう。トレントを呼ぶことができれば、その道筋はすぐに分かると思うけれど、呼び出すことで機嫌を損ねてしまうこともある。少し探索してから術式を行うようにしたいと思う。火の精霊は禁忌だから呼ぶことはしない。ゼーが力になってくれるだろう。水と森の相性はとてもよいと思うから」

 わたしはダニエルに向かって力強く頷く。


「では、森の中へと入ろう」

 クレイグを先頭にして冒険者一行が森の中へと歩みを進める。深い森だけれど、その中はとても歩きやすい。入口のそばからすぐにドライアドたちが隠れながらわたしたちの後を追ってくる。


「この森の中は清々しくて気持ちがいいな」

 森は深くなるのに、藪に絡まれることなく冒険者は奥へ奥へと進んでゆく。障害物が全くなく、さくさくと足を運ぶことができている。

 森の濃い空気が辺りに垂れ込めてくる。うん? 何か別の気配を感じるよ。これって……。


「炎の気配。警戒した方がいい。エルフの集落かもしれないし、なんらかの敵かもしれない」

 ダニエルが警告する。わたしはダニエルの方を向き、頷く。なにかあったらすぐに水をぶちまけるよ。

「前方に強大な霊力の反応を感じる。僕が様子を見てくる」

 ダニエルが小走りに木立を縫い、少し先まで走る。すぐに戻ってきて言った。

火焔竜かえんりゅうがいる! しかもこの間のとは比べ物にならないくらいでかいやつだ」

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