第6話 ケントゥリオ

「『貪り食うものの束縛により命じる

 氷纏いし狼の王よ

 今 我の前に顕現せよ

 その爪研ぎ澄まし

 その牙の刃あからさまにし

 我に従い

 数多の敵を討つたすけとならん』」


 坑道の冷気とは違う、凍てつくような寒さがこの空間に満ちる。雪の結晶がちらほらと見える。


 しゅう、と水蒸気が昇華する音が響いて、それはやって来た。


 わたしの肌が粟立つ。


 銀色の四つ足が音もなく床に立つ。見上げるほど大きい。そして鋭い牙が覗くその口から唸り声をあげる。

 これは本物のフェンリルだ。こわいこわいこわい。


 ダニエルはフェンリルの正面に立ち、ぼろぼろの縄を両手で真一文字にする。そして左手を離し、垂れ下がったその縄でフェンリルの体を打つ。

 フェンリルは咆哮をあげ、さっきバイロンが作り出した巨大な岩の合掌を噛み砕き食べてしまう。


「さあ、我らと共に戦おう」

 ダニエルが坑道の奥に進むように促す。

「これと戦わなくて済むことを思うと本当にいつも安堵するぜ」

 バイロンがフェンリルを見上げながら呟く。


 うわあ、ほんとにフェンリルは巨大だ。すごくこわいけれど、でもダニエルの言うことを聞くんだよね。わたしはそっとその足の毛皮に触れてみることにする。

「痛っ」

「ゼー、大丈夫?」

 あー、びっくりした。フェンリルの毛皮はちっとも柔らかくなくて氷のよう。あまりにも冷たすぎて痛みを感じてしまった。


「ダニエル、どのくらいの時間召喚できるんだ?」

「僕がいいと言うまで。フェンリルの場合はグレイプニルによる契約だから、この縄が擦り切れてなくなるまでは大丈夫だ」

「承知した。それでは目的地を目指そう。多くの霊がそこに集っているのが分かる。アラン、それは確かだな?」

「確かです。百体ほどもいるのではないでしょうか」

 戦士やすごい魔法を使う古の魔法使いが百人もいるの? でもフェンリルがいたら無敵な気がするな。そのくらいこの獣は恐ろしい。


 しばらく歩いて、その広場に出る。ブレイクが光の範囲を広める。

 そうすると、広間の中央に軍団が整列しているのが分かった。その中からひとりの人物がこちらに向かって歩いてくる。


 ひときわ輝く銀の甲冑を着込んだ戦士。戦士というよりは騎士のような雰囲気がある。生きていた時はきっと名のある騎士だったのではないかと想像する。甲冑に覆われていてその体の様子は何も分からないのだけれど、全体から悪霊の気配のようなものを感じる。


 その姿が大声で叫ぶ。

「我はケントゥリエストロ、モナーク。

 これから首都を攻略しようと準備していたところを、まあ、よくもやってくれた。

 あとひとりだったんだ。あとひとりで百人隊、ケントゥリオが完成するところだったんだ。そうしたら悲願を達成できたのに、お前たちのせいでもう一度やり直しだ」

「私は騎士クレイグ・ミルトン。自ら王ととなえる汝の願いはここで潰える」


「『溶銀手手ようぎんしゅしゅ』」

 クレイグの口上こうじょうが終わるやいなやバイロンが魔法を繰り出す。

 その呪文に覆いかぶさるように敵の魔法使いの呪文が轟く。

「『呪文静寂じゅもんせいじゃく』」

 ああっ! わたしの魔法が封じられた! それだけじゃない。わたしたちのパーティー全体の魔法が封じられている。


「フェンリル、

『氷の息吹』」

「『爆裂炎山ばくれつえんざん』」

 どーん、という音が坑道の中にこだまする。フェンリルのブレスに向かって大きな炎の球が飛んできて爆散した。でもフェンリルのブレスの勢いは尋常じゃない。敵の集団のほとんどを氷漬けにしてしまった。


「こりゃ、骨なんて拾ってられないぜ。クレイグ、俺の魔法は封じられた。役に立たないので離脱する」

「承知」

「ゼーも来い! あとはフェンリルに任せるんだ!」

 ダニエルもわたしの方を見て頷く。

 わたしはブレイクの背中にしがみついた。


 わたしたちの後ろから詩が聞こえてくる。呪文は封じられても詩は歌えるらしい。

「『氷纏いし狼の王よ

 極北の光を放ち

 敵の思考に嵐を生じさせよ』」


 後ろを振り向くと坑道の天井付近から、なんと形容したらいいんだろう、とても美しく神秘的な光の帯、カーテンのようなものが垂れ下がる。それに敵の集団が包まれると、がしゃんがしゃんと音が響いた。


「なるほど、あれをやったな」

 ブレイクが呟いて、振り向いた。

 敵の集団はその手を止めてしまったようだった。持っていた剣や盾、魔法の杖をみんな落としてしまっている。

「今、敵の頭の中には嵐が渦巻いている。普通のアンデットにはまるで効果はないが、まだ知性を残しているレイスにならとても有効な攻撃だ。原理はさっぱり分からん。ただ、あの光のカーテンに包まれると考えがまとまらなくなり行動不能になるらしい」


 敵の魔法使いがやられたからか、わたしに掛けられていた魔法も解かれたみたいだ。


「うおー、なぜだ、なぜだ! この力、我らと共に扱えば、常闇とこやみの王になることなど容易たやすいではないか! 我らの霊の王国を築き上げる力となるものを!」

 モナークと名乗った甲冑の騎士は、隊のみんなが倒れていても、ひとり立ったままで大声をあげる。


「偽りの王よ。国を治めるのは霊と誠、それに魂の働きが必要だ。ただ野望する霊の力だけではなしえること能わず。我が剣により黄泉よみに降り給え」

 クレイグが飛び出し、モナークの首を討ち取る。


 すかさずアランが解呪の祈りを唱える。

「『しゅ

 悪霊に取り込まれし戦士の霊を速やかに解き放ち給え

 今は安寧の時

 霊と心を安んじ、終わりの時までの

 しばしの眠りの時を与え給え』」

 動けなくなった敵全体から黒い煙りのようなものが立ち昇る。


「解呪、成功しました」

 アランすごい! あれだけの数のアンデットをたった一度の祈りで解呪してしまった。


 ブレイクがパーティーの元に戻る。わたしもブレイクの背中を離れてダニエルの元に向かう。ダニエルはぼろぼろの縄を振りかざしてフェンリルと対峙していた。

「氷纏いし狼の王よ

 この働きを感謝する

 また……」

「またなどない」

 フェンリルが声をあげる。わあ、びっくりした。フェンリルがしゃべったよ。でもそりゃそうだよね。ただの獣じゃないもの。おしゃべりくらいできるよね。


「その忌まわしい縄がなければ、お前などに従ういわれなどない」

「そうだ。しかしグレイプニルがここにある」

 ぼろぼろの縄をダニエルは掲げる。

 それを見て、フェンリルがニヤリと笑う。

「その縄が解ける時が楽しみじゃのう」

「氷纏いし狼の王よ

 疾く帰り給え」

「言われなくとも」

 凄まじい冷気を残してフェンリルの姿はかき消える。


「ダニエル、すごい! フェンリルをこんな風に扱えるなんてびっくりだよ。呪文封じられても大丈夫なんだね」

 ふう、とダニエルは息をついてからわたしの方を向き、苦笑いを見せる。

「フェンリルをあらかじめ召喚しておいてよかったよ。呪文を封じられたら召喚の魔法自体は使えなくなるからね。呼び出してさえおけば、声は聞こえるから命令には従ってくれる。とはいえ、それもこれも、この縄のお陰なんだよね。グレイプニル。フェンリルを拘束することができる特別な呪物だ。召喚士でこれなしでフェンリルを呼ぶことができるのなんて統一帝国時代の召喚士アイツベックくらいじゃないのかな。召喚士というかなんでもできる賢者と言った方がふさわしいか」


「その縄、もうぼろぼろだけれど大丈夫?」

「あと数回は耐えてくれるんじゃないかな。でも、できればあまり使いたくない。だから自分の能力をあげていかないといけないんだ。この縄が解けてしまう前に、それこそレヴィヤタンを召喚できるくらいにならなくちゃいけない」


「また縄を作ったらいいんじゃないの?」

「作れたら作りたいよ。そのレシピも知っているんだけれど、必要な素材が『猫の足音』『女性の髭』『岩の根』『熊の腱』『魚の息』『鳥の唾液』と言われている」

「へえ。魚の息って見たことあったかな?」

「グレイプニルが作られたことで世の中からは失われたもの、と言われている。だからこの縄が解けたら最期なんだよ」

「ふうん。でも解けたら、またそれが世に出てくるんじゃないの?」

「なるほど! そういう風には考えなかったな。確かにそれもそうかも。でも、その時は、まず目の前のフェンリルと戦わなくちゃいけないってことだ。それはなんとしても避けたい事態だよ。だからこの縄を丁寧に扱わなくちゃね」

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