第2部最終話 さよなら

 そして、ギュスターヴが帰国する日がやってきた。


 できるだけ早くギュスターヴを家族に会わせてやりたい、というシェジュの国王夫妻の要望で、迎えの人々はゾネンヴァーゲンにはとどまらず、すぐに帰国する予定となっている。


 帰国の際には特例として、王宮とシュテルンバール城を繋ぐ転移魔法陣を使ってもらう。シュテルンバールはシェジュとの国境に近いので、一行が早く安全に帰れるように、というアーロイスとディートシウスの気遣いだった。

 そのうえで、シュテルンバールまで同行するカルリアナとディートシウスが、ギュスターヴたちを見送る手はずだ。


 今回、獅子の紋章が描かれた馬車から降り立ったのは、シェジュのラウル王だ。ギュスターヴと同じ黒髪に金の瞳を持ち、体格のよい、誠実そうな人だった。

 ラウル王は出迎えたケルツェンの国王一家と挨拶を交わしたあとで、カルリアナとディートシウスとも挨拶した。


「王子が大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます」

「こちらこそ、王子殿下のおかげで得難い経験をさせていただきました」

「陛下はよいお子さまをお持ちになりましたね。ほら、ギュス」


 カルリアナは、ラウル王をじっと見つめていたギュスターヴに声をかける。

 ギュスターヴはカルリアナとディートシウスに遠慮するようにそわそわとしていたが、ラウル王が両腕を広げてみせると、ゆっくりとその胸に収まった。

 やがて、ギュスターヴの表情がくしゃっとゆがんだ。


「父上……! 会いたかったよ、父上……!」

「わたしもだよ、ギュス。無事でよかった。あのときははぐれてしまって、すまなかったな。しばらく会わないうちに大きくなって……見違えたよ」


 五か月ぶりに再会した父子は、涙ぐみながら抱き合っている。

 カルリアナの胸中は複雑だった。本当によかったと思う反面、ひどくつらい気持ちだ。ディートシウスを見上げると、彼も今までに見たことがないくらい沈んだ表情をしていた。


 一行は国王が利用する、王宮の応接間の前まで歩いていく。扉の前に立つと、アーロイスがディートシウスとカルリアナに言った。


「わたしは両国の今後についてラウル陛下とお話がある。そなたたちは、それまで別室でギュスターヴ王子のお相手をしていてくれないか」


 カルリアナは心の中で英明な国王に感謝した。アーロイスは自分たちとギュスターヴが三人で過ごす最後の機会を設けてくれたのだ。ディートシウスも兄王の気持ちを察したらしく、すぐに返答した。


「はい、承りました」


 カルリアナとディートシウスはギュスターヴを連れ、応接間の近くにある小さな広間に入った。

 三人でソファに座ったあと、カルリアナが涙でぬれたギュスターヴの頬をハンカチで拭ってあげると、ギュスターヴが小さな声で尋ねた。


「父上と国王陛下のお話が終わったら、もうカルリアナとディートシウスには会えないの……?」


 カルリアナはほほえんでみせた。


「もう会えないというわけではありませんよ。ギュスがもう少し大きくなったら、お互いに外交の場で再会することもあるでしょう。手紙のやり取りもできますし」


 ディートシウスがギュスターヴの頭にぽん、と手を置く。


「そうだよ。当面ギュスがしなくちゃならないことは、こっそり武術と芸術を両立することだ。そうやって一生懸命に毎日を過ごしていれば、すぐにまた会える日がやってくるよ」

「……でも、もう今までどおりには過ごせないんだよね? 三人でご飯を食べたり、どこかへ行ったり……『おやすみなさい』って言ったり……」

「ギュス……」


 カルリアナの目に涙がにじんだ。ソファから立ち上がったディートシウスがしゃがみ込み、ギュスターヴと目を合わせながら語りかける。


「ギュス、今までどおりには過ごせないけど、俺もカルリアナも君のことを忘れたりしない。この先、俺たちに子どもが生まれたとしても、俺たちにとって、ギュスは特別な子だ。それは未来永劫えいごう変わらないんだよ。たとえ、この世界が滅んだとしてもね」


 カルリアナはうれしかった。ディートシウスがそこまでの想いをギュスターヴにかけてくれることが。三人が出会ったばかりのころ、ディートシウスとギュスターヴはあんなにいがみ合っていたのに。


 ディートシウスはもう、ギュスターヴにとって立派な師匠であり、もう一人の父親だった。

 自分はギュスターヴにとって、もう一人の母親になれただろうか?

 そう口には出さず、カルリアナもギュスターヴに言った。


「わたしもディートと同じ気持ちです。一日だってあなたのことを忘れたりしません。あなたはいつまでも『わたしの可愛いライオンさん』ですから」


 ギュスターヴは黙ってそれらの言葉を聞いていたが、ぽつりと言った。


「……僕も二人のことを忘れない。だから、最後にカルリアナとディートシウスにぎゅっとしてほしい」


 カルリアナとディートシウスは顔を見合わせて笑った。


「ええ」

「うん」


 二人は代わる代わるギュスターヴを抱き締めた。彼が苦しくならない程度に強く強く。


 数時間後、ケルツェンの国王一家に見送られ、王宮の転移魔法陣からシュテルンバール城に移動した一行は、車寄せまでシェジュ王室の馬車を移動させた。

 城の車寄せで、ギュスターヴはシェジュ王室の馬車に父王とともに乗り込もうとしていた。馬車の周囲には騎乗したマルクの姿もある。ギュスターヴは馬車に乗り込む直前、見送りの最前列にいるこちらを振り返った。


「じゃあね、カルリアナ、ディートシウス。今までありがとう」


 カルリアナとディートシウスはうなずきながら応えた。


「身体に気をつけて」

「元気でな。何かあったら、俺とカルリアナが言ったことを思い出して」


 ギュスターヴは少し大人っぽく笑うと、馬車に乗り込んだ。

 馬車が動き出したあとも、ギュスターヴは車窓から手を振ってくれた。いつまでもいつまでも。

 カルリアナとディートシウスも大きく手を振り返す。

 二人はギュスターヴの乗った馬車が点のように小さくなるまで、その場にたたずんでいた。


   ***


 王都のシュテルンバール公爵邸に帰ってきたカルリアナとディートシウスは、互いに無言で廊下を歩いていた。

 ギュスターヴ一人がいなくなっただけなのに、屋敷はがらんとしたように感じられ、火の消えたようだった。


 ギュスターヴの部屋の前を通ったとき、カルリアナは思わずその扉を開けた。

 中には誰もいなかった。

 当たり前だ。ギュスターヴは帰国の途に就いたのだから。

 あの子が「お帰りなさい」と言って迎えてくれることは、二度とないのだ。


 そう思ったとたん、カルリアナの目から涙があふれた。まるで涙腺が壊れてしまったかのように、涙は次から次へとあふれ出てくる。

 引き裂かれるような胸の痛みを覚えながら、子どものようにしゃくり上げて泣いていると、ディートシウスがそっと抱き締めてくれた。


「カルリアナが泣くところ、初めて見た」


 カルリアナは彼にしがみつくようにして、しばらく泣き続けた。ディートシウスは時折、カルリアナの背中をポンポンと優しく叩き、慰めてくれた。

 彼がいてくれてよかった。ディートシウスがそばにいてくれさえすれば、自分はどんな悲しみにも耐えられる。そんな気がした。


 どれだけの時間がたっただろう。カルリアナの涙がようやく引くと、ディートシウスが居間まで連れていってくれた。そのまま二人並んでソファに座る。ディートシウスはカルリアナの涙のあとをハンカチで拭ってくれていたが、ふと口を開いた。


「カルリアナ、俺、結婚したらすぐにでも子どもが欲しい」

「え……?」


 ディートシウスは子どもを持つことに前向きではなかったはずだ。

 ギュスターヴと接し、共に過ごすうちに、彼の中で何かが変わっていったのはカルリアナも感じ取ってはいた。

 それでも、こうして本人の口から以前とは正反対のことを聞くと、どうしても戸惑ってしまう。


 大泣きした直後ということもあり、カルリアナがうまく反応を返せないでいると、ディートシウスは柔らかく微笑した。


「前と全然違うことを言って、節操ないって思うかもしれないけど、子どもを育てたいんだ。俺と君の子の世話を自分でして、成長を見守りたい。もし、子宝に恵まれなかったら養子を迎えてもいいくらい」

「それは……わたしもやぶさかではありませんが……一人目は早めに欲しいですし」


 カルリアナが照れながら応えると、ディートシウスは明るく笑った。


「あー、カルリアナと早く結婚したいなー。俺、婚前交渉はしない主義だし」

「ひ、昼間から変なことをおっしゃらないでください」

「夜ならいいの?」

「よくありません」

「やっぱり? あ、そうだ。結婚式にはギュスを呼ぼう!」

「そうですね」


 ディートシウスのおかげで、カルリアナはだいぶ元気が戻ってきたような気がした。

 次に会うときはきっと、家族と再会したギュスターヴの幸せを皆で喜べる。自分はディートシウスが隣にいてくれて、ギュスターヴが「おめでとう」と言ってくれるだけで、十分幸せだから。


 ディートシウスが少し甘えるような目をする。


「ねえ、話は変わるけどさ。これからもここに住まない? 俺、もう君がいない生活には戻れないんだよねー」

「全く……そんな重大事項を次から次へと……」


 そうぼやきつつも、カルリアナの口元は緩んだ。おそらくディートシウス自身も、ギュスターヴがいなくなったことで喪失感を覚えているのだろうが、カルリアナが一人で寂しくならないように、いろいろ希望を伝えてくれたのだろう。


 とはいえ、まだ頭が混乱していて、素直にお礼を言う気にはなれなかったので、自分からディートシウスの端麗な唇に口づける。

 一瞬の間ののち、ディートシウスは激しく唇をむさぼってきた。自分からキスをしたカルリアナの息が切れてしまうくらいに。

 ようやく唇を離した彼は、切なそうにつぶやく。


「……あー、ほんと可愛いなあ。早くカルリアナと結婚したい。幸せな家族計画を一緒に考えたい」

「焦る必要はないでしょう?」

「そう?」

「わたしはずっとディートのそばにいます。子どもが出来ても出来なくても」

「それって、これからも一緒に暮らしてくれるってこと?」


 婚約指輪の宝石と同じ色の瞳をキラキラさせるディートシウスを前に、カルリアナは思った。


(このままだと押し切られてしまいそうですね。まあ、それも悪くありませんか)


 カルリアナは使用人を呼ぶために卓上のベルを手に取る。


「それはともかく、お茶をれてもらいましょう。泣いたせいか、喉が渇きました」

「俺は何時間でも粘って、君を口説き落としてみせるよ」

「やってごらんなさい」


 カルリアナが挑発的に笑ってみせると、ディートシウスも口角を上げて笑い返した。

 本当にこの人といると退屈しない。これからも、悲しいことやつらいことがたくさん待ち受けているのだろうけれど、彼が隣にいてくれればきっと自分は大丈夫だ。


「そういえば、シュノッル准将はわたしたちと同じ時期にご結婚なさるのですか?」

「少し遅くなるんじゃないかなあ。クラウスの結婚が一番あとになりそうだね。メラニーちゃんは結婚したあとも侍女を続けるの?」

「本人はそう希望していますね」

「あ、うまーく話題を変えられた!」

「ふふ。一本取りました。それはそうと、いいですよ。これからもここで暮らしても」


 不意打ちに、ディートシウスがぽかんとした顔になる。その表情が歓喜に変わる前に、カルリアナはベルを鳴らした。



   第2部・完

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