第27話 鉢合わせ
観劇当日。仕事を終え、いったん帰宅したカルリアナは、付き添いのメラニーと一緒に馬車で劇場の前に到着した。
入口にある受付でチケットをもぎってもらい、ディートシウスとの待ち合わせ場所であるエントランスホールで待つ。
金のレリーフで飾られた壁掛け時計は、待ち合わせ時間の開演三十分前をちょうど指し示していたが、彼はまだ来ていないようだ。
「お嬢さまをお待たせするなんて!」
メラニーはぷりぷりしている。ディートシウスと顔を合わせてから少し態度が軟化したものの、メラニーの彼への心証は必ずしもよくはないようだった。あくまでも「お嬢さま至上主義」でいてくれる可愛いメラニーをなだめ、カルリアナは気取られぬようにため息をつく。
あれほど目立つ容姿の人だから来たらすぐにわかるだろうが、少し切ない気分になる。
今夜のために仕事を早く終わらせ、念入りにおしゃれしてきたのだ。ディートシウスに早く見てほしい。
観劇の際は夜の礼服を着るのがマナーだ。そのせいもあって、観劇に行くときのカルリアナは普段しないようなおしゃれを楽しむことにしている。
今夜はディートシウスとのデートということもあり、メラニーたち侍女と相談して選んだ薄緑色のローブデコルテを着て、白い長手袋をはめていた。
(殿下は「似合う」と言ってくださるでしょうか……)
胸を高鳴らせながら五分ほど待ったときだった。出入り口から見知った姿が現れたのは。
「カルリアナ、やっと会えたね」
カルリアナは身をこわばらせた。目の前にいる人物が最も会いたくない相手――元
メラニーがカルリアナをかばうように前に出る。
(どうしてここに?)
オイゲーンに観劇の趣味はなかったはずだ。それどころか、カルリアナが好きな舞台や俳優の名にすら興味がなかったはず。
オイゲーンは苦手にしていたはずのメラニーを気にせず、彼女越しにこちらをじっと見つめた。
「観劇のとき、カルリアナがこんなに着飾るなんて知らなかったよ。わたしでよければ、いつでもついていってあげたのに」
「あなたのことは弁護士に相談済みです。わたしに不用意に近づかないでください。あなたからの接触を禁止してもらうことになりますよ」
カルリアナの警告にも、オイゲーンは引き下がらなかった。余裕すら感じさせる笑みを浮かべる。
「ひどいなあ。君の可愛い嘘なんだろう?」
カルリアナはぞっとした。この場は逃げなければ。とっさにそう思った。
「お嬢さま、ここはわたしが食い止めますので、移動なさってください」
カルリアナの意思を
そのとき。
「いたいたー。カルリアナ、遅れてごめん。待たせちゃったね。思ったより準備に時間がかかっちゃって」
ディートシウスだった。以前二人で参加した夜会のときのように、後頭部でホワイトブロンドの髪をひとつに結わえている。黒と白でコーディネートされた観劇用の礼服姿は、恐怖を感じていたカルリアナにとって、いつも以上に輝いて見えた。うしろにはクラウスを従えている。
カルリアナはくるりと方向転換し、出入口側に立っているディートシウス目がけて駆け出した。カルリアナが彼とクラウスの間に隠れると、ディートシウスは驚いたような顔をしたあとで、愛おしそうにほほえむ。
突然の展開に硬直しているオイゲーンの方を見ると、ディートシウスは低めた声で聞く。
「ナンパ?」
「違います。彼が例のオイゲーン・フォン・ヒルシュベルガーです」
「……ああ、こいつが」
ディートシウスの背後にいるカルリアナにも、彼がオイゲーンを
「わたしの彼女に何か用?」
オイゲーンが目を見開き、
「か、彼女!?」
カルリアナはディートシウスの広い背中から顔を出しながら何度もうなずく。
「そうです。わたしは現在、この方とお付き合いしているのです。ということで、さっさとどこかへ行ってください」
オイゲーンを諦めさせるためにカルリアナは話を合わせたのだが、彼は何やらぶつぶつとつぶやいている。
「そうか、この男がディートシウスか……ここまで顔がいいなんて聞いてないぞ……カルリアナはいつから面食いになってしまったんだ……」
カルリアナは顔を引きつらせそうになった。
(どうしてそういう受け取り方しかできないのでしょう? 相変わらず、嫌な人ですね!)
それにしても、オイゲーンはなぜ、カルリアナと一緒にいる男性がディートシウスだとすぐにわかったのだろう。
ディートシウスが来てくれたおかげで、カルリアナも冷静さを取り戻しつつあった。
オイゲーンのつぶやきがディートシウスにも聞こえたようだ。ディートシウスは軽く首を傾けながら聞く。
「で、君はわたしがディートシウスだと知ってなお、彼女につきまとうわけ? これ以上、わたしの彼女につきまとうならどうなるか……わからないわけじゃないよね?」
「くっ……」
オイゲーンは悔しそうにうめいたが、完全に気圧されてしまったらしい。カルリアナの方をチラチラ見ながら、出入り口に向けて歩いていく。
カルリアナはホッと胸をなで下ろした。メラニーが
「あの男、完全にわたしをなめていましたね。以前なら、わたしを煙たがっていたのに」
「そうですね。何か心境の変化でもあったのでしょうか」
カルリアナはそう答えたあとで、自分たちがその場に居合わせた人たちから遠巻きに見られていることにようやく気づく。
恥ずかしくなり、ディートシウスのうしろから前へと回り込む。
「殿下、ありがとう存じます」
ディートシウスは優しく笑い、頭をかいた。
「いや、俺がしたかったことをしただけだから。それより、ごめん。俺が遅刻したせいで、君に怖い思いをさせちゃったね。……本当に、何もなくてよかった」
心から申し訳なく思っている表情と声だった。カルリアナはディートシウスの端正な顔を見上げながら笑ってみせた。
「そのお言葉だけで充分です。それに、殿下はわたしをお守りくださいましたから」
ディートシウスは照れたようにこちらから視線を外した。
「カルリアナさ……君のそういうところ、可愛すぎるよ。俺だけにそういう面を見せてくれるなら大歓迎だけどね。それに、今日のドレスもよく似合っているよ。他の男には見せたくないくらいだ」
カルリアナも照れてしまい、可愛くないことを言った。
「うれしいです……ですが、時間どおりにいらしてほしかったというのが本音です」
「うん、そういうことにしとく」
ディートシウスはほほえんだあとで、急に何かを思い出したように視線を上に向ける。
「蒸し返すようでなんだけどさ……どうして、奴はここにいたんだろう? 観劇に来て、偶然君を見掛けたのかな?」
「それはないと思います。彼は演劇にまったく興味がありませんでしたから。せいぜい若くて奇麗な女優に注目する程度で」
「それならなんで……君がここに来ることを知っていた、ってこと?」
「そういうことになりますね……問題は、どうやってそれを知ったのか、ですが」
ディートシウスは緑がかった青い瞳に真剣な光を灯したが、すぐにそれを消し、ニコッと笑った。
「今は考えても仕方ないね。今日は楽しもう」
(そうですね……せっかくの殿下とのデートですもの)
カルリアナも気持ちを切り替え、ディートシウスにうなずいてみせた。
ディートシウスがクラウスに指示を出す。
「クラウス、もしまた奴を見掛けるようなことがあったら、追い返してくれ。できれば、洗いざらい情報を吐かせてからね」
「御意」
なんとも頼もしい王弟とその護衛だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます