第26話 観劇のお誘い(前半ディートシウス視点)

「なあ、ゲア、そろそろ彼女にプロポーズしたいんだけど」


 陸軍総司令部の総司令官執務室でディートシウスがそう切り出すと、報告を終えたばかりのゲーアハルトが「はい?」という顔をした。


「いや……でも、君たち、まだ付き合ってすらいないよね?」

「なんだよ。前は無責任に『さっさとプロポーズしたら?』とか言っておいて。……ま、お前の言うとおりなんだけどさー、今のところ結構いい雰囲気だと思うんだよね。やっぱりお前のアドバイスに従って、夜会の前にドレスを贈ったのがよかったのかなー」

「君の話を聞く限りでは、アルテンブルク伯の元許嫁いいなずけを奪った女性を撃退したのがよかったんじゃないかと思うよ。そもそも人となりをよく知ってみれば、伯爵は本以外の物に心を動かされるようなタイプでもないし」

「彼女が好きなのは本というより文字そのもの。それに、読書以外にも趣味があるよ。何より自信満々で人にアドバイスしておいて、それはないだろ」


 ディートシウスがにらんでみせると、ゲーアハルトはため息をついた。


「伯爵を夜会にエスコートすればいい、とわたしがアドバイスしたから今があるんだろう?」

「……確かに」


 どうもカルリアナのことになると、過剰に反応してしまう。結婚までしたいと思えた女性に巡り会ったのは初めてのことだから仕方ない。

 ゲーアハルトやクラウスなどは呆れているが、ディートシウスがカルリアナとの結婚を早い段階で決めたのには理由がある。


 ディートシウスは幼いころから直感が鋭く、大切な場面で〝これだ〟と思った選択肢はそのほとんどが正解だった。

 多分、彼女以上に聡明かつ博識で有能、さらに美人で可愛らしい女性とは今後出会えないだろう。しかも、王族の自分と身分まで釣り合うのだ。


(本当に、可愛いんだよなあ……)


 初めはツンとした態度だったのに、こちらに心を開いてくれるようになってからは、照れる仕草や表情がとてつもなく可愛い。

 しかも、「わたしの前でも『俺』とおっしゃって構いませんから」とまで言ってくれたのだ。

 彼女の許可を得て手もつないだし、これは幸先がいいのではなかろうか。


 先日は元許嫁からの復縁要請の手紙について、相談までしてくれた。

 あの自立心が強く、男に頼りそうにない彼女が。初めて出会ったころを振り返れば、信じられないくらいだ。


 カルリアナの自立したところもディートシウスは好きだ。

 彼女のような立場であれば、領地経営を使用人に丸投げして遊んで暮らしていけるはずなのに、王都で働きながら領主としての責務も果たしている。

 母親を早くに亡くしたそうだから、きっと幼いころからカルリアナはそんなふうに父親を助けてきたのだろう。健気だ。


 そんなカルリアナを傷つけ、笑えるが不快な手紙を送ってきた彼女の元許嫁は反吐へどが出るほど嫌いだ。


 彼女を守りたい。


 最も効果的な方法は、彼女と結婚することだ。婚約まで持っていってしまえば、あの元許嫁といえども、諦めるしかないだろう。


(それに、毎日カルリアナと一緒に暮らせるし)


 問題は、どうやってプロポーズを受け入れてもらうかだ。とびきりいい雰囲気を演出すれば、成功確率が上がると思うのだが……。

 ゲーアハルトが「そうだ、趣味といえば」とつぶやく。ディートシウスはガバッと顔を上げた。


「なになに!? 何か思いついたのか!?」


 ゲーアハルトは小うるさげにこちらを見下ろす。


「【聖地】に行ったあとで、伯爵と共通の趣味があるとか言ってなかったっけ?」

「ああ、意外なことにお互い観劇が趣味で……って、あ、そうか!」


 ディートシウスの次の作戦が決まった。


   ***


 その日の仕事を終えたカルリアナは、ディートシウスに帰りの挨拶をするために彼の執務室に入った。

 ディートシウスは執務机の前に座ったまま、笑顔でカルリアナを迎えた。


「お疲れさま。そろそろ上がり?」

「はい。お先に失礼させていただくつもりです。殿下、お礼を申し上げるのが遅くなりましたが、よい弁護士をご紹介いただき、ありがとう存じます。本当に助かりました」


 ディートシウスから紹介された弁護士は優秀で人柄もよく、カルリアナの相談に親身に乗ってくれた。必要があればオイゲーンからの接触を禁止することもできると説明され、カルリアナは少し安心した。

 やはり、知識として知っているのと、実際に専門家から説明を受けるのとでは心強さが違う。


「君の役に立ててうれしいよ。ところで、折り入って相談があるんだけど」


 ディートシウスの表情が、途中から緊張を含んだものに変わった。


「これ、一緒にどうかな?」


 ディートシウスが差し出したのは、一枚のチケットだった。よく見ると、演劇の前売り券で、ちょうどカルリアナが観たいと思っていた演目が印刷されている。


「『春の庭』……マクダ・アルホフとミヒャエル・ヘルターが共演する話題作ですね」

「うん、二人を好きだって言っていたから、興味があるんじゃないかと思って」

「本当によろしいのですか?」


 カルリアナが問い返すと、ディートシウスの表情が明るくなる。


「誘われてくれるんだ?」


 これがデートのお誘いであることに初めて気づき、カルリアナは照れた。


「観たいと思っていた演目ですから。それにしてもこのチケット、特別席ではございませんか」

「そこはツテを使ってね。前にも言ったでしょ? 劇団シェーンに出資しているって」

「お代は払います」

「ダメ、これは俺の気持ちだから」


 そう言われてしまえば、引き下がるしかない。


「……承知いたしました。ありがたくお受けいたします」

「俺こそありがとう。当日は迎えに行こうか?」

「殿下の馬車ですと目立ちますね。二人そろって降車したら市民のあいだで噂になってしまいます」

「俺は構わないけど」


 カルリアナはこほん、とせき払いして、軽くディートシウスを睨んだ。


「わたしが困ります。開演時間の三十分ほど前に劇場のエントランスホールで待ち合わせ、ということでいかがでしょう?」

「うん、それでいいよ。ねえ、観劇を終えたら食事していこうよ。店は予約しておくから」

「……まさか、それも殿下のおごりではございませんよね?」

「おごらせてよ」

「そこまで甘えるわけには……」

「君と一緒に過ごせるんだ。お釣りがくるだけの価値がある」

(それはこちらのせりふです……)


 そう口には出せなかったものの、カルリアナは頬を染めうつむいた。


「では……お言葉に甘えさせていただきます。ありがとう存じます、殿下」


 うつむいているのに、ディートシウスの視線を痛いほどに感じ、カルリアナはドキドキしながら顔を上げる。

 彼はとろけそうな顔をして、こちらを見つめていた。目にしたこちらが恥ずかしくなるほどの甘い表情。

 しばらく見つめ合ったのち、ディートシウスは我に返ったように照れ笑いをし、いつもの軽い調子で言った。


「じゃ、当日はよろしくー」

「かしこまりました」


 カルリアナはチケットを受け取った。

 観劇当日は一週間後。その一週間がとても長く感じられるような気がした。

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