第24話 オイゲーンからの手紙、再び

 さまざまなことがありつつも、カルリアナはディートシウスの専属司書としての日々を送っていた。


 仕事にもすっかり慣れたといっていいだろう。ディートシウスの秘書役もこなせるようになったし、通訳や翻訳で彼の役に立つ機会も増えた。カルリアナが作成した資料はわかりやすいと評判だ。今では重要な手紙の作成も任されている。


 ディートシウスの側近以外の職場の人たちから、今まで培ってきた知識を頼られることも増えてきた。王室図書館では、利用者へのレファレンス回答にやりがいを感じていたカルリアナにとっては煩わしいどころか、喜ぶべき変化だ。


 ゲーアハルトからは「おかげさまでわたしたち副官の仕事がだいぶ減りましたよ。ゆっくりコーヒーを楽しむ時間ができてありがたいです」とお礼を言われてしまった。


 ディートシウスの面倒でどうでもいいような質問にも、平常心で答えられるようになった。

 これには訳がある。ディートシウスはカルリアナにお勧めの店や食べ物を尋ねてからしばらくたつと、決まって仕事上がりにその店に連れていってくれたり、買ってきた食べ物を差し入れてくれたりするのだ。

 そういうことをされてしまうと、こちらも懐柔されざるを得ない。


(……それに、出勤の日は必ず殿下に会えますし)


 出会ったばかりのころは彼のことが苦手だったなんて、今では信じられないくらいだ。

 とはいえ、彼とはまだ付き合っているわけではない。

 恋愛経験の乏しいカルリアナは想像するしかないのだが、多分、今の二人はその前段階の微妙な時期なのだろう。

 下手に動かせば壊れてしまいそうな、繊細な関係。

 ただ、カルリアナはそれが嫌ではなかった。

 というよりは、勇気が出せず、その先に進むのが怖いのかもしれない。


(もしかして、殿下も同じ気持ちなのかもしれません)


 あれで結構、傷つきやすいところがあるから。

 そんなことを考えながら、カルリアナはディートシウスたちに退勤の挨拶をしたあと、馬車で帰宅した。

 メラニーに手伝ってもらいコートを脱ぎ終わると、出迎えてくれたジムゾンが一通の手紙を差し出した。


「オイゲーンさまからでございます」


 メラニーが凄まじい形相になる。


「お嬢さま、そんな手紙焼いてしまいましょう」

「そういうわけにもいきません。しかるべきところに訴えるための証拠になりますから。まあ、先方の出方次第ですが」

「さすがお嬢さま。出過ぎたことを申しました」

「いいのですよ。メラニーがわたしの代わりに怒ってくれるから、すっとします」


 カルリアナとメラニーの会話が一区切りつくのを待っていたのだろう。ジムゾンが言い添える。


「それと、以前、お嬢さまがお命じになったオイゲーンさまの動向についてですが」

「何か動きがあったのですか?」

「はい。修道院の関係者によると、オイゲーンさまは最近、修道院を出て俗世に戻られたのだそうです」


 前回の手紙の内容を思い出してしまったこともあり、カルリアナは気分が悪くなった。


「そうですか……ヒルシュベルガーのおじさまが彼をおゆるしになったということですか?」


 ジムゾンは顔を曇らせた。


「それが、違うようなのです。ヒルシュベルガー子爵は今回の件に関わっていらっしゃらないそうです。おそらく、子爵はご令息が修道院を出られたことをご存知ないのではないかと」

「となると、誰が……。オイゲーンの現在の居場所はわかりませんか?」

「はい。どなたかの世話になっていらっしゃるとは思うのですが……」


 気にはなるが、ジムゾンがそう言う以上は、今考えても正解にはたどり着けないだろう。

 カルリアナは手紙を受け取りながら「ありがとうございます。また何かありましたら教えてください」とジムゾンを労い、いったん書斎に戻った。机の前に座り、手紙の封を開ける。

 手紙にはこう書かれていた。


『ようやく、あの忌まわしい場所から出られたよ。これで君を迎えに行ける。待っていておくれ』


 ぞわり、と肌が粟立あわだった。以前だったら〝気持ち悪いですね〟くらいで済んでいたと思うが、ディートシウスに強くかれている今では、ひたすら嫌悪感を覚えずにはいられなかった。

 それに、オイゲーンが今どこにいるのかわからない以上、恐怖も感じる。


(わたしの手に負えるかわかりませんね……誰かに相談しないと)


 真っ先に浮かんだのはディートシウスの顔だった。

 カルリアナの身近で一番地位が高く、ときたまそうでない場合もあるにしろ、頼りにもなる。少し前だったら男性に頼ることなど考えもしなかったが、彼になら頼りたいと素直に思えた。


 その夜、カルリアナは安心して眠りに落ちた。相談先の当てがなかったら、きっと寝つけなかっただろう。

 翌日、陸軍総司令部に出仕したカルリアナは、ディートシウスに朝の挨拶をしたあとで、こう切り出した。


「殿下、ご相談があるのですが、よろしいですか?」

「カルリアナからの相談ならいつでも大歓迎だよ」

「実は、元許嫁いいなずけから手紙が送られてきたのです」


「元許嫁」と聞いたディートシウスは描いたような眉をひそめた。

 カルリアナは昨日届いた二通目の手紙とともに、一通目の手紙を彼に向けて差し出す。受け取ったディートシウスは一通目の手紙から目を通し始めた。

 読み進めるうちに、プッと吹き出し、笑いをこらえる表情になる。読み終えるころには、腹を抱えて笑っていた。


「いやー、いいね! 絶妙にリズムの狂ったポエムみたいな文章に、狙ったとしか思えない誤字脱字の数々……君の元許嫁って貴族だよね? 太陽学院出身だとしたら、学院始まって以来の逸材なんじゃない?」

「わたしにとっては笑いごとではございません」


 カルリアナが呆れていると、ディートシウスは涙を拭いながら「ごめんごめん」と返し、二通目の手紙を開いた。文面を見た彼はさすがに真顔になる。


「つきまといの案件にも強い、いい弁護士を紹介しようか?」

「そうしていただけると助かります。我が家の顧問弁護士は領地におりますので」

「わかった。紹介状を書いておくよ」

「ありがとう存じます」

「その元許嫁が本当に君を迎えに来たら困るからね」


 カルリアナはドキリとしてしまい、うまく反応できなかった。ニコニコ顔でこちらの様子を見守っていたディートシウスが、ふと考え込むように視線を落とす。


「それにしても、元許嫁くんはどうやって修道院から出たんだろうね。婚約破棄騒動からまだ一年もたっていないでしょ? 家名に傷がつくような問題を起こしたバカ息子を家族がすぐに赦すとも思えないし」

「わたしもそれが疑問なのです。どうやって修道院から出て、今はどこにいるのか……実家に戻っていないことだけは確かなのですが」


 カルリアナとディートシウスは互いの目を見合わせ、首を傾げた。

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