第4話 彼女を専属司書に(前半ディートシウス視点)

 それから数日間、ディートシウスはゲーアハルトとともに領民を慰問しながら領地を視察してまわり、食中毒が収束に向かうさまを見届けた。

 シュテルンバールの州都に向かう馬車の中で向かい合って座っていたゲーアハルトが、ふと口を開く。


「食中毒騒動もなんとか片がついたね。……そういえば、アルテンブルク伯への報賞はどうする?」


 ディートシウスは満面の笑みで言い放った。


「彼女を俺の専属司書にする」


 一瞬、間があった。

 ゲーアハルトが恐る恐る問いかけてくる。


「専属司書……って、個人的に彼女を雇うのか?」

「そ。必要なときに、文献つきで必要な情報を調べてくれる。こんなに便利な存在が他にいるか?」


 ディートシウスが自信満々に問い返すと、ゲーアハルトは少し呆れたように応じる。


「まあねえ。わたしも仕事柄、博識なほうだと自負しているが、彼女には負けるな」

「そうそう。しかも、あの司書になるために生まれてきたみたいな便利な固有魔法! お前や俺と連携すれば、どんなことになるか――想像するだけで楽しみなんだ」


 ゲーアハルトがため息をついたあとで困ったように笑った。


「それだけじゃないんだろ?」

「え?」

「多分、彼女は美人だ。それも君好みの」


 ディートシウスは言葉に詰まった。

 落ち着いた雰囲気をいっそう強調するダークブロンドの髪に、深い翡翠ひすい色の瞳、派手すぎない整った目鼻立ち。眼鏡を掛けていてもわかる、カルリアナの知的な美しさを思い出したからだ。

 つまり図星だった。


 確かに顔は好みだと思う。だが、あんなに塩対応をされても性格まで好みだと言い切れるのか?

 ただ――


(悪くないんだよなあ)


 ああいう『男なんて必要ありません』と顔に書いてあるかのような毅然とした感じ。一度はまってしまえば、容易に抜け出せないような魅力がある。

 ディートシウスが甘い思考を味わっていると、ゲーアハルトが言葉を投げかけてくる。


「とはいえ、アルテンブルク伯は半年前に婚約破棄されたばかりだと聞いたことがある」


 その話はディートシウスも知っていた。表向きは双方合意のうえの婚約解消ということになっているが、実際は男性側からの婚約破棄だという噂がある。

 しかも、「アルテンブルク伯は無愛想で本ばかり読んでいる女性だから、許嫁いいなずけも彼女に構ってもらえないことに耐えられなくなって浮気をしたらしい」とまことしやかにささやかれていた。

 つい最近までは、〝下らない憶測をする奴らもいるもんだ〟と思うくらいだったディートシウスも、今ではどうしようもなく腹が立った。


(まるで、彼女が悪いみたいじゃないか)


 双方が納得した結果の婚約解消とは違い、婚約破棄はされる側に問題があると捉えられがちだ。非があるのは明らかに浮気男のほうなのに。

 ゲーアハルトの表情はカルリアナへの同情にあふれている。


「せっかく王都で職も得て落ち着いてきたところなのに、君が彼女を召し抱えることで引っかきまわすのはかわいそうじゃないか? 君たちは若い男女なんだ。絶対噂されるよ」

「そんなゲス野郎どもは俺が黙らせる」


 思ったより強い言葉が口から出た。

 彼女のような美人で有能で骨のある女性を差しおいて浮気した挙げ句、一方的に婚約破棄するなんて、とんでもないバカ野郎だ。そのバカ野郎の肩を持つ奴らがゆるせなかった。

〝もし、あのひどい噂を彼女が知ったら〟と思うだけで、ディートシウスの胸は痛むのだ。


 逆にいえば、自分との噂が立つことでカルリアナの不名誉を拭い去れるかもしれない。

 ディートシウスはゲーアハルトに宣言した。


「彼女は俺の専属司書にする。王室図書館の司書長にも、根回ししておいてくれ。ああ、それと」


 ディートシウスは危険な笑みを浮かべる。


「伯爵をおとしめる噂、あれの出どころを調べておいてくれ」


   ***


「アルテンブルク伯、あなたにお客さまですよ」


 その日、カルリアナは資料の貸し出し業務をするために王室図書館のカウンターに立っていた。

 本は活版印刷が普及した今でも大変高価なもので、王室図書館の蔵書は特にその傾向が強い。だが、基本的に利用者が身分のしっかりした人たちなので、盗難や未返却の危険性もほぼない。


 仮にそんなことをすれば、国王の持ち物を盗んだことになり、弁償どころか刑罰を科せられる。信用第一の宮廷人がそんなことをしたら、人生が終了してしまう。

 そんなわけで、カルリアナはなんの心配もなく貸し出し業務をこなしていた。ところが、〝今日は資料を借りる人が少ないので暇ですね〟と思っていたちょうどそのとき、司書長に名を呼ばれたのだ。


 自分を訪ねてくる人物に心当たりがなかったので、カルリアナは首を傾げながら司書長の方を見た。彼のうしろに軍服を着た長身の青年が立っている。カルリアナと目が合うと、短い黒髪の青年は切れ長の目を細め、ほほえんだ。


「カルリアナ・フォン・アルテンブルク伯爵閣下でいらっしゃいますね?」

「はい」

「わたしはゲーアハルト・フォン・シュノッル大佐と申します。この国の陸軍元帥であられるディートシウス殿下の副官を務めております」


 ディートシウスの名を出され、カルリアナは自然と警戒した。


(「お礼はのちほどさせてもらう」とは言っていましたが、どうしてわざわざ副官の方をこちらによこす必要があるのでしょう)


 まだ一度しか会ったことはないが、ディートシウスの性格なら、また自分からひょっこり現れそうなものだ。

 ゲーアハルトと名乗った青年は、カルリアナの表情に何を思ったのか、困ったように笑った。よく見ると、焦げ茶色の瞳をしている。


「殿下があなたをお呼びです。とは申しましても、殿下は無体なまねはなさいませんので、ご心配には及びません。陸軍総司令部にございます殿下の執務室にご案内いたしますので、どうぞついていらしてください」


 ディートシウスとはまったく違い、紳士的で感じのいい物腰と表情だった。

 嫌な予感はするが、自分が呼び出しに応じないことで、彼がディートシウスから叱られては気の毒だ。

 そう思ったカルリアナは仕方なくゲーアハルトについていくことにした。司書長に断りを入れ、同僚にあとを頼む。慣れない場所に行くので、眼鏡は掛けたままだ。


 王室図書館を出、ゲーアハルトについていく。彼は王宮の停車場まで歩いていった。驚いたことに、陸軍の馬車が待機している。カルリアナはゲーアハルトに確認した。


「近場なのに、わざわざ馬車をご用意くださったのですか」


 ゲーアハルトはにっこりと笑う。


「閣下は、殿下の大切なお客さまですから」

(単なるお礼にしては、少し大仰ですね)


 馬車は王宮に隣接している陸軍総司令部に向かう。ディートシウスの役職は陸軍総司令官なのだ。

 車寄せで馬車を降り、陸軍総司令部の建物内に入ると、軍人たちがきびきびと歩きまわっていた。女性の軍人がいないわけではないが、ワンピース姿のカルリアナはどう見ても浮いている。カルリアナは居心地の悪さを感じながらも、ゲーアハルトのうしろをついていく。


 ゲーアハルトはカルリアナの緊張をほぐすためか、ときおり振り返っては陸軍総司令部の説明をしてくれた。本当に気の利く青年だ。

 階段を上がり、三階の奥にある両開きの扉の前まで進むと、ゲーアハルトが立ち止まった。彼は扉を叩き、名と用向きを告げたあとでカルリアナを振り返り、入室を促す。


 彼に続いて部屋の中に入ると、カルリアナの目に執務机の前に座るディートシウスの姿が飛び込んできた。初対面のとき、緩く結んでいたホワイトブロンドの長髪は、頭頂でひとつに束ねられており、今は黒い軍服をまとっている。右胸には陸軍元帥の徽章きしょうが輝いていた。

 その完璧な容姿と相まって、王弟ディートシウスは筆舌に尽くしがたい凛々りりしさを醸し出している。


 カルリアナは内心を悟られぬよう、優雅にお辞儀カーテシーをした。ディートシウスはうなずいてみせたあとで、ゲーアハルトに対し、「もう下がってよい」と告げる。

 ゲーアハルトが敬礼とともに退出してしまうと、広い執務室にはカルリアナとディートシウスだけが残された。

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