カーテンから漏れる光のなかでへの応援コメント
いちど失ったひとといっしょになることができたんですね。
いちど離れてしまったからこそ、意味を持つ、いろいろなできごと…。
夜明けの部屋の情景からははっぴいえんどの「朝」という曲(作詞は松本隆)を思い出しました(歌詞は「はっぴいえんど 朝 歌詞」で検索すると出て来ます)。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
その時は辛くても、あとから思えばあれは意味があったのかも……ということ、ありますからね〜
曲の紹介ありがとうございます。検索してします(>Д<)ゝ”
クーちゃんと父と私への応援コメント
この物語は、かなり身につまされました。
私は、幼稚園のころに使っていた、犬の絵の描いてある毛布が非常に気に入っていて、小学校に上がっても、明らかにサイズが小さくなっているのに、それを捨てようとする親に抵抗して使い続けた思い出があります。
私が高校を卒業するまでは箱に入れておいてあるのを確認していましたが、その後、行方がわからなくなりました。
「そういうところが嫌だから父についていく、ということがわからないのだろう」という母に対する感情も、自分もそういう体験をしたというわけではないけれど、とても共感しました。
「自分でないと、自分のようにやらないと子は育てられない」という一方的思いこみを疑えない傲慢さとか、かんじんのところで子を持ち物としか思っていない本音が出たりとか…自分が親になる年齢になって、たんなる反発にとどまらない、複雑な感情(もしかすると自分も…とか)を思い起こしました。
ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
いわゆる「ライナスの毛布」的なものって誰しも持っていたと思うのですが、それを卒業するタイミングもキッカケも個人差があるんですよね。同じ親に育てられた兄弟姉妹でも。
そしてそれはその子にとっては、とても大切なもので……仕舞っていても、いつの間にか行方不明になっていたら寂しいと思います。
幸い我が母は、親子でもプライバシーはある、子供の物は勝手に捨てない(むしろ何でも取っておくので困っているくらい💦)という主義なので、私のライナスの毛布的なもの(ぬいぐるみ)は自分で処分してしまいましたが……
色々な親子のエピソードやラジオ等のお悩み相談を聞いていると、びっくりするような「子を親の所有物だと思っているエピソード」を耳にします。
しかもほぼ100%(と言ってもいい)親の側がそれに気付いていないのです。
当然、子供は反発とか反抗して……なかには絶縁までしているものもあり、色々と考えさせられます。
(このショートショートは1話1000文字と決めているので、色々と端折ってしまったのですが、そのうち書ききれなかった部分をプラスして短編にするかもしれません)