008 百回はコンプリートした世界 Ⅰ
乱雑に衣類が散らばった室内。ベッドには荒い息を吐き、汗に濡れたエレナの裸体が転がっている。
街娘をナンパするなどして羽目を外さない程度に遊んでいたものの、最近はご無沙汰だったために無理をさせた感はあった。
「クリーン」
『クリーン』の魔法で彼女から汚れを取り去る。
綺麗になっても体力は減ったままなエレナは、小さく、だが荒く呼吸をしている。胸が上下に、気怠げな視線を俺に向けてくる。
俺はベッドの脇に置いてあったワインの瓶を掴んで、グラスに注がずにそのまま口をつけた。
ぐびりぐびりと喉を通っていく酒精の感覚。痛飲して脳が麻痺するような快楽を望むも、職業を通して肉体に備わっている異常耐性が潰れるほどの酔いは齎さない。
その辺の市民が好んで買うような安酒だ。酔いを感じることはできる。だが酔いつぶれるほどではない。そういう酒。
職業を持っている人間を酔い潰れさせるにはもっと高い酒が必要になる。
げふぅ、と酒臭い息が口から漏れる。
「はぁ……ほんの少し、弱音を吐く」
本当のところ俺はこの世界に絶望していた。
コットンが奪われたとかそういうことじゃなく、根本的な部分でこの世界に俺は絶望している。
だからこういう弱音は定期的に吐かないと頭がおかしくなるから、弱音は吐き出せるときに吐くことにしていた。
エレナが驚いたように俺を見るが「黙って聞いていてくれ」と懇願するように告げれば、彼女は荒い呼吸のままに枕に顔を埋め、そうして横目で俺を見る。それをぼんやりと眺めながら、俺は胸中の懊悩を吐き出した。
「本当は、どうでもよかったんだよ。俺は」
そう、どうでもよかった。最初からだ。
この世界がゲームだと気づいて、俺は、何もする気になれなかった。
どうして、どうしてクリアしたゲームをもう一度遊べようか。
面白かった。名作だった。やりこみ要素をコンプリートした。
だから? だから、もう一度遊びたい、とはならない。楽しい旅行に行ったとして、もう一度同じ旅行を楽しみたいと思うだろうか。山に行ったから次は海。そのぐらいの感覚で、前の旅行は思い出に沈めて、別のことをしたいと思わないだろうか?
芋粥と同じだ。食いすぎて、胸焼けがして、食いたくなくなる。俺にとって『職業英雄』はそういうものだった。
――おれはこの世界を飽きるほどクリアしている。
「……俺は、別に、あのなにもない農村で一生を終えてもよかったんだよ。だから……」
せいぜいがこの世界でやれることの究極なんて最難関ダンジョンで待ち構える
だけどそんなことはとっくにやったことだ。ゲームで遊んだ。不老不死になって世界を百周は遊び尽くして、固有名を持つ全ての災厄モンスターを討伐し、人類最強となった。
RTA動画も撮った。DLCも全部クリアした。攻略サイトのメンバーにもなった。プレイの配信もしたし、その関係で公式のRTA企画の生放送メンバーになったこともあった。
そうして、果ての果てにユニークNPCを殺し尽くしてあらゆる武器防具宝物を手に入れて、実績、称号、スキルを収集し尽くして――俺は『職業英雄』に飽きて、ゲームをアンインストールした。
「この世界は全部知ってることばかりで、つまらなかった。生まれてきて絶望したよ俺は。なんで知ってるゲームなんだよってな」
知らないゲームなら、新しいゲームなら、一度しかない人生を最高に面白く遊べただろうに。最強でなくても、ステータスビルドに失敗しても、ああ、そういうやり方があったのか、と嘆くこともきっと楽しかったはずだ。
だけれど俺はこの世界を知っていたから最も
「だけど俺は……初めて魔法を使ったときに、俺の家の隣に住んでた女の子が喜んだから。俺がなにかやるたびに、すごいすごいと喜んでくれたから」
幼馴染のコットンがすごいと言ってくれた。
いや、別に誰だってよかったのかもしれない。だけれどコットンはどんくさくて、どうしようもなく頭が悪くて、田舎臭すぎて、人間的にも性格的にも俺に合わなくても、俺が多くを我慢する形になっても、ただ笑った顔が可愛かったから俺はコットンを選んだ。俺はそれでいいと思ったし、不快な部分があろうとも笑顔がかわいいの一点だけで十分に満足できた。
「だから俺は、俺がすごいと思ったことを、全部見せてやろうと思っただけだったんだけどな」
俺自身がどっかぶっ壊れてるから、どこかで破綻する関係だとは思っていたが、まさかこんな最初の都市で離れていくとは思わなかった。
正直、俺の何が悪かったのか、わからない。
『勇者』はきっと理由じゃないと思う。俺の何かが致命的に悪くて、コットンは俺から離れていったのだ。
――それが俺には、どうにもわからない。
「あいつには、愛情も何もかも与えたはずだったんだがな」
恋人として付き合ってからは他の女と寝ることもやめた。不貞行為の一切をしていないというのに。
酒臭いため息を吐いて、ワインの瓶に口をつける。職業持ちを酔わせるほどではなくとも、そこそこの味の評判のワインのはずだった。
だが味はよくわからない。
(はは、そもそも俺にワインの味の良し悪しはわからない)
コットンがすごいと言ってくれるから、かっこいい男を演じるために、ワインの味がわかるように勉強しただけだ。
だからこのワインは世間的に美味いと言われている、ということはわかるが、実は俺はワインを美味いと感じたことはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます