008 百回はコンプリートした世界 Ⅱ


 ――俺が好きなのはコーラとポテトチップスだ。


 飲みたいという郷愁に意味はない。コーラだって、一生飲めないものじゃない。この世界で活動していれば手に入るものだ。

 コーラが飲めるようになるのは、古代都市ダンジョンを攻略したあたりになるだろう。古代都市と呼ばれる機械系モンスターが出現するダンジョンには地球文明の物品を生産するための設備がある。現在でも稼働しているものを回収するか、『メカニック』を育成して故障しているものを直させればコーラ程度、好きなだけ飲めるようになる。

 そこまで考えて、思考を投げる。

「ああ畜生……嫌になる。すぐに対処法・・・が浮かぶ。俺は、答えを知っていて、試行錯誤する余地がない。楽しめない・・・・・

 どうしても、やり直しになる。知っている過程をこなすだけになる。最短で進んでしまう。回り道ができない。

 そうだ。だから世間的に底辺職と呼ばれる『賞金稼ぎ』になる予定だった俺は、万が一にもこんな序盤でコットンを失わないように、コットンに『メイド』になるように懇願したのだ。

 『メイド』には、マスターと決めた対象以外の魅力値を無効化するスキルがあった。習得できるスキルには『魅了耐性』や『洗脳耐性』もあった。

 『聖女』にはなかった。名前こそ大層なものだが、あれはただの回復職の延長でしかない。

 絶望の予感に俺の心は怯える。

 俺は、このままだと、また世界に飽きる・・・。あのどうしようもない少女の世話を焼いて、笑顔にさせ続けないと、俺はこの世界に飽きる。

 俺は渇望する。新しい刺激を。

「大規模アップデート……いや、俺の知らない追加DLCでもいい……何か、ないのか。この世界には」

 この世界は何一つ俺が知っている『職業英雄』と変わりない。

 せいぜいがリアルになった影響のみ。

 魔王が討伐されたという話は聞かない。おそらく本編メインストーリーからいくらか年数が前後していると思われるが、見える変化も多少環境が変わっている程度で、この世界では、あらゆることが経験済みだ。

 だから俺にとっての娯楽なんて、女を抱いて酒を飲んで快楽で脳をごまかすぐらいしかない。

 俺は前世読んだウェブ小説の主人公を羨ましいと思う。

 最強の力を手に入れて、わずか三話程度でこの世のすべてを制覇する力を手に入れながら、のんきに世界を楽しめる主人公が。

 世界一強ければ何を殺そうが何を手に入れようが一緒だろうに。身に余る能力一つですべてが殺せる主人公。ならば、彼が手に入れるすべてが無価値に見えないのだろうか?

 スローライフと言いながら、我武者羅に働きまくる主人公たち。あいつらそんなあくせく働いて、やることがなくならないと思わないのか。

 俺は……俺は、なんだかんだと手を抜いているよ。

 市民に犯罪者だと疑われるリスクを受け入れ――市壁周りでなにかしてれば当たり前だがそう思われる――、こっそり市壁を探索して全力でマイマイを狩り続ければ三日で『熔解(幼)』スキルを手に入れられたけど、わざと依頼を受けて遠回りに一ヶ月かけてスキルを手に入れた。

 たぶん時間稼ぎでもあったんだろう。無意識にそうした。俺がコットンに振られたことを受け入れるための時間を手に入れることを。あるいはコットンが俺のもとに帰ってきてくれる時間を。

 ああ、だが、俺は手に入れてしまった。最強の攻性スキルを。

 熔解スキル。使用感は変わらない。前世のままのそれ。

 時間稼ぎはもうできない。

 俺は自分を誤魔化せない。だから森の探索も始めて、レベルを上げ始めてしまった。

 俺は恐ろしい。

 場所が場所だ。活動しているだけで、レベルがすごい勢いで上がっていく。

 だからもうすぐ対人間最強のスキルが手に入る。手に入ってしまう。この世界は危険だから、手に入れないという選択肢はない。だけれど、手に入れたら俺に敵う人類はいなくなる。俺を殺せる人類はいなくなる。また一つ段階を進めてしまう。世界の攻略を終えてしまう。

「…………」

 エレナがベッドの中から俺を見つめている。その目を見ていれば、エレナは不思議そうに俺の話を聞いていることがわかる。

 エレナは俺の話を理解できているだろうか? いや、黙って聞いてくれているだけでもいいんだ。

 この話をコットンにしたのはあの娘を最初に抱いたその日だけだ。俺がすべてを知っていると言っても、彼女はきょとん・・・・とした顔をしていて……――俺は、俺の絶望をコットンに理解させるのを諦めた。

「エレナ。俺は……この世界にまた飽きる。それが俺は恐ろしい。俺の知らない何かを、俺は知りたい」

 この世界に、新しい刺激はない。

 ワインの酒精は俺を酔わせてはくれない。

 すごいとほめてくれるコットンはもういない。

 このあとの人生に広がる無味乾燥とした世界を想像して、俺は今日も絶望し――「えっと、じゃあ、エドは、私が何を好きで、何を嫌いか知ってるってことなの?」

「は……?」

 問いかければ、間髪入れずにすごい・・・、とエレナは俺を見つめて興奮したようにまくし立ててくる。

「エドは私のこと、全部知ってるってこと? すごい! やっぱりエドはすごい! 私、私のことをエドが知ってくれてるなんて思ってなかったから!! ああ、でも、私の気持ち良いところ全部知ってたもんね。やっぱりエドは、特別・・だ」

 いや、知らない。エレナが何を好きで嫌いかなんて俺はわからない。性交の快楽は、経験を用いて探って与えただけだ。

 だがエレナは目を輝かせて、そんな動揺している俺を見ている。俺の動揺に、気づいている? 気づいていない? わからない。

 俺は、この娘を全然知らない。知らなかった。


 ――それで、ほんの少しだけ、俺の灰色の世界に色がつく。


 急速に冷静になった俺が頭を働かせれば、俺の中の知識がエレナについての情報を探り出そうとする。同じ村の出身者、『賢者』の職業持ち、祖母はドルイドで、森の知識を持っている。かつて何度か抱いたことのある少女。誕生日は、知らない。好きな食べ物も、嫌いな食べ物も知らない。こいつが都市でのマナーを覚えていることを知って驚いたぐらいの存在。これぐらいか? こいつ、何が好きなんだろう。考える。どうしてか、後ろめたくて、余裕を持った男の演技で誤魔化す。すべてを知っていると大言壮語したのだ。ここで何も知らない、とは言えなかった。

「……エレナ、お前についてはおいおいな。話しても気味悪いだけだろう。さぁ、寝よう。俺は弱音を少し吐いて楽になったからな」

「そう、なの? もっとエドの話を聞きたかったけど」

 ベッドに戻りつつ、エレナの肩を抱いてみれば、エレナはそんなことを残念そうに言う。

「あー、エレナは、俺のことが好き、だろ?」

 恐る恐る言ってみれば、エレナはにやり・・・、と笑ってみせた。

「不正解」

「なッ……嘘だろ」

 ビビった俺に対して、にへら、とゆるい笑顔をエレナは浮かべる。俺が初めて見る表情。

「正解は、エドのことが大好き! だよ!!」

 その言葉に、内心のみで安堵を吐いた。間違ってたわけじゃなかった。


 ――驚かすなよ。


 そんなことを思いながら、俺は、灰色髪の少女を抱きしめて寝た。

 その日は、コットンにはじめて褒められた夢を見た。



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