007 貞操の指輪、白の書 Ⅱ


 俺はウェイターが空になった皿を下げていくのを横目にワイングラスを揺らして、揺れるワインの水面に映る自分の顔を見た。しょぼくれた顔。『聖女コットン』と『剣聖アーシャ』。一晩で二人の女に振られたことを知った男の顔。

 敗北感が胸の中に満ちる。

 この世界では常にかっこいい男でいようと思ったのに。これか。これが俺か。

 エレナはそんな俺に穏やかな声で説明をしてくれる。

「私たちはこの都市に来て、森で薬草を採取して、ゴブリンやコボルトを倒す依頼を受けて、お金を稼いだ。武器の修繕費や道具の補充を終えて、食事をとって、残金を貯蓄に回して。それで使えるのはここよりも2ランクほど下がる宿屋」

「俺は貯金を切り崩してるしな」

「でも、森に入れるようになったエドは、私に高価な服をプレゼントできるぐらいには稼げるようになったでしょ?」

「それは、まぁな」

 謙遜してもしょうがないから頷く。今の俺は強力な攻撃スキルである熔解スキルがある。だから俺自身のレベルが低くても他の冒険者が立ち入らず、獲物の取り合いがない森の中層域で活動ができる。

 ちなみに、あの森はここの中堅冒険者でも立ち入らない死地だ。ひょい、と自身の適正レベルをオーバーした魔物が気軽にやってくるような場所。

 ゲームのフリーシナリオモードだと運が悪ければドラゴン程度なら普通に遭遇するし、それは現実化したここでも同じだろう。

 だから中堅になった冒険者は森ではあまり活動せずに山賊だとかゴブリンの巣だとかの討伐依頼なんかを受けるのだ。

 そんな同業者のいない狩り場で活動するのだ俺は。利益は莫大である。

 そして『アイテムボックス』があるから、収穫のすべてを選別することなくまるごと回収して売却することができる。

 もちろん他の冒険者だって戦力にならない『運び屋』や『ポーター』を雇って活動することもできるだろう。

 だがそんなことする冒険者は稀だ。戦力にならない人員を連れて活動するにはあそこは魔境にすぎるゆえに。

 それに俺はソロだから取り分で揉めることはない。利益のすべてが俺のものだった。

 ソロだから全ての困難を自分ひとりで処理する必要があるが、戦闘は『熔解』スキルがあるから問題ない。

 それにソロには他にも利点がある。

 他の村出身冒険者と違って、数少ない費用対効果の良い依頼を奪い合う必要が今の俺にはない。

 推奨四人の依頼。四人で挑めば赤字になるような依頼でも一人でこなせるなら黒字にできるのだ。

 ゆえに俺はこの都市の、どの新人冒険者よりも快適に冒険者を楽しむことができるようになっている。

 エレナはそんな俺を誇らしそうに語る。

「私たちは、エドがどうやってお金を稼いでいるのかわからない。どういう段階ステップを踏めば、市壁警備から森の探索に移れるのかわからない。それがアーシャが理解できない部分。でも、わからないからエドは凄くて、特別・・なの」

「特別、ね」

 そしてエレナは侮蔑するような口調で言い切る。

「ブレイズはきっとドラゴンだって討伐できる。ゴブリンを倒して、オークを倒して、オーガを倒してって、そうやって階段を登るように強くなっていく。短期間だけど一緒に活動してわかった。『勇者』はすごいよ。他の職業よりもずっとずっと強力な戦闘特性を備えてて、他の職業よりステータスの成長も高いから」

 ドラゴン。特別なモンスターだ。『職業英雄』でもストーリー終盤のレベルでしかまともに戦えないぐらいに強力なモンスターでもある。

 ゆえにそれを殺すということは、国の英雄になるには十分な実績だった。そう、国王から王女を下賜されてもおかしくないほどの偉業。

 だがエレナは、でも、と続けた。

「ブレイズはドラゴンまでで終わり。ドラゴンを倒すまでがブレイズや私たちの想像の限界。でもエドは違うでしょ。そのがある」

「どうしてそう思う?」

 コットンと違って俺はエレナに手間を掛けていない。甘やかに抱いたことはあっても、エレナに夢や将来のような未来を語ったことはない。

「それは、エドが『賞金稼ぎ』を選んだから。みんながわからない行動をするとき、エドはみんなが想像できないすごいことを考えてたから」

「どうして、それがわかる?」

 エレナはにこりと笑って、首にかけていたネックレスを俺に差し出した。ネックレスにはリングが繋がれている。

 その意匠を見て、俺は口の中に苦い唾があふれるのを感じた。

「『貞操の指輪』、か」

 教会で金を払えば貰えるものだ。真実の愛を誓った男女が贈り合うことで、どちらかに不幸・・があったときにそれが魅了スキルや強姦などの、仕方がない不貞だったことを証明するためのアイテム。

 俺もコットンのものを持っていたが、パーティーを離脱した日の晩に真っ黒に汚染されたので鍛冶屋にもっていって金を払って鋳潰してもらった。

 それでもこうしてあんな田舎女いらねぇよと嘯きながら、このホテルにやってくるのを待っていたあたり、自分が女々しい奴だなと思わなくもなかったが――今の俺が注目すべきはそこではなく、エレナが俺に貞操の指輪を差し出した理由だ。

「あなたに抱かれたその日に作りました。私は、ブレイズとは何もありません」

 エレナが差し出した貞操の指輪は、完全に純白だった。それは強姦すらされていないという証拠だ。

「私はエドを、あなたをずっと見ていました。私があなたを理解しているように見えるなら、ずっと見てきたからです」

 俺はエレナの言葉を聞きながら、指輪を手に取り、作成日時と文言を確認する。この世界の貴族の風習で、婚約者を持ちながらも愛しい恋人を持つ男女がその身の潔白を証明するためにこういったことをするという話は聞いたことがある。

(本当にそんなことするやつがいるとは思わなかったが……)

 そして、その場合は相手の同意を得ずとも良い。

 本人に知られずとも、認められずとも、貞操の指輪の相方に指定することは可能だ。

 指輪の内側に彫られている年月日は、確かに俺がエレナを抱いたその日だ。そして『アガト村のエドワードに心と体を捧げる』という神への宣言が彫られている。

 神から実際に恩恵を受けて生きているこの世界の住民の信仰心は前の世界のものとは違う。職業という、実際の力を神から授かっているのだから。だからこれは信用ができるものだった。

「エレナは、俺の恋人にしてほしいのか?」

 俺にその気はない。だが、問いかける。どういう気持ちでこんなものを持っていたのか知りたかった。

 だが、ううん、とエレナは首を横に振る。否定。なぜだ? ここまでして俺を求めないのか?

「ただ、私をエドの傍に置いて貰えればいい。特別・・なエドの傍に」

 無欲というわけではなさそうだが……内心で首を傾げながら話をすすめていく。

「そうか。俺も『メイド』がほしかったから、エレナが来てくれるというなら、それは構わないが……」

 魔石ハックを入手し、様々なスキルを得たことで俺の冒険も段階が進んでいる。ソロでも効率は十分だが、先を考えるならパーティーでの活動も考慮しておく必要がある。

 エレナが『メイド』になるなら、確保しておいて損はない。

(全体を平均的にサポートする『賢者』と違って『メイド』は主人と決めた人間を強力にサポートする単体向けサポーターだ)

 だからコットンについてほしかったのだが――口中の苦い唾を飲み干して、意識をゲーマーとしてのものに切り替え……切り替えられない。

 コットンがエレナになったとしても、人選は問題はない。

 コットンはできる女ではなかったから、誰が代わりでもコットンより劣るということはない。

 だが、エレナの言葉が引っかかる。特別? 特別だと? 俺が特別? それとも特別な俺? どちらの意味なのか。どちらもか?

 ため息。考えても仕方がない。そもそもエレナがここにいるということは、だ。

「で、俺はブレイズと話をつけなきゃならんわけか」

 奴のパーティーからの引き抜きは面倒だが、戦って勝つだけならできるし、数日もレベリングすれば『ハッカー』のスキルツリーから対人最強のスキルを習得することもできる。無力化は余裕だ。

 いや、今ここで余っているポイントを注ぎ込めば習得することだけでもできる。

 だが現状、他に優先したいスキルもあるからポイントを振らずに温存するだけで済ませている。

(ポイントを振らないのは単純に保険だけどな。人生何があるかわからない)

 面倒だが仕方ない、と俺が早速ブレイズに会いに行こうと椅子から腰を持ちあげようとすれば、エレナはううん、と首を振った。

「大丈夫。前のパーティーからは、ちゃんと追放・・されてきたから」

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