006 『賢者』エレナの思惑 Ⅲ
――『
『勇者』を大事に扱えば、コットンは今後一生飢えることなく食べていける。
いや、それ以上を得ることもできるだろう。
数年は危険と隣合わせな冒険者の生活を続ける必要があるだろうが、職業『勇者』の逸話が本当ならば最終的にブレイズは冒険者の最高峰たるSランクになり、いずれは貴族の地位を得ることになるだろう。
そのときにコットンがブレイズの隣に立っていることができれば彼女は貴族の妻となってその生涯を素晴らしいものにすることができる。
でも、と私はコットンではなくブレイズを嗤う。
(哀れで愚かで無能なブレイズ。職業『勇者』しかない男。だから、エドからコットンを下げ渡されたことにも気づかない)
村の特別だったエドから
きっとブレイズは気づいていない。エドから離れてコットンは日々
ブレイズは気づいていないが、今のコットンは『聖女』の職業を授かっただけの村娘だ。
『勇者』のおこぼれで職業を授かった『剣聖』や、私の『賢者』と同じく、ただ運良く『聖女』となっただけの村娘。
ステータスの魅力の数値こそ高いから幾分か顔や身体がマシになっているが、それだけだ。
(いえ……ただの穴か。ブレイズの性欲を吐き出されるだけの穴)
おかげで私に視線が向かなくなったからよかったけれど。
村から出て冒険者として活動するまでの、つまりはエドがパーティーから出ていってコットンが頻繁に抱かれる以前のことを思い出す。
あの苦痛な時間だ。特別なエドを無視して、愚かなブレイズを褒め称えなければならなかったときのこと。
あのときは『剣聖』であり、同じ村の出身であり、私よりもずっと美人なアーシャを盾にしてブレイズの欲望を躱していたけど、ブレイズはエドが抱いたことのある私に興味を持っていた。
貧相で地味だと言われる私だけど、職業『賢者』であることは間違いがなく、つまりはブレイズの『賢者』を抱きたい欲望が私に向けられていたのだ。
だから私は非常に神経を使わなければならなかった。
ブレイズと二人きりにならないように必ず人目のある場所で活動し、泥酔しないようにお酒は控えて果実水だけを飲むように心がけた。
あとは適度にブレイズを褒め称え、『
だから実のところ、私はブレイズの手すら握っていない。強引に肩を抱かれるぐらいはされたが、そんなのは蟲にたかられた程度のこと、エドは気にしないだろう。
もちろんエド自身は私がブレイズに抱かれたと思っているだろうが……大丈夫だ。
(私がブレイズに許していないことは証明できる。
私はエドに握られていない方の手で首に下げているネックレスの先を指で確認する。
「どうした? 考え事か?」
エドが問いかけてくるので私は「これから話す内容を考えていた」と言えば、エドはふーんと訝しげな目線を向けてくる。
ブレイズの手先となって活動しているか、金の無心に来たとでも思われているのかもしれない。
好きな人にそう思われることの苦痛をこの先の幸福を脳裏に思い描くことで相殺し、私はエドに連れられて、再会した場所に戻ってきた。
――ホテル『猫の尻尾』
私を含めた勇者ブレイズパーティーが泊まっている宿よりも2ランクは高い宿にエドは泊まっている。
今年の若手冒険者パーティーでも期待の星と呼ばれているブレイズパーティーですら常宿にするのを戸惑うレベルの高級宿。
村での活動のときにそれだけの貯金を作っていたのか。それとももうそれだけ稼げるようになったのか。
でもエドのことはずっと見ていて、彼が市壁警備から森での活動を始めたからこうして会いに来たんだけど……お金、稼いでたのかな? あんな報酬が悪い依頼で? わからない。
「まぁ飯でも食いながら話そうか。エレナ」
恋人にするように肩を抱かれ、髪をそっと撫でられながら、私は楽しげなエドの隣を歩いていく。
そんな私の視界に入ってくるのは、先程私が待っているときに誰何してきたホテルの警備の人だ。
入口で周囲をにこやかに見つつも警戒を解いていない彼は変貌した私を見てエドに「へぇ、エドさん。この娘、さっきのと同じ娘なの?」と問いかけていた。
――訂正する。常宿にするのを戸惑う、ではなく私たちでは宿泊を拒否されるレベルである。
エドがコットンを矯正していた理由は、これが理由だったのだろう。
都市の中には正しいマナーを知らないと存在することさえ許されない場所があり、エドは都市で活動するならとコットンを厳しくしつけて教育していたのだ。
そしてこれがパーティーの離脱に際して私たちを誘わなかった理由でもあるのだろう。
私たちでは教養が足りないと思われていたのだ。
もちろん引き抜きをすればブレイズに睨まれるのもあったのだろうし、私もエドがブレイズと争いたくない気配を出していたのを察していたから頼まなかった。
それにエドは注目されたくないような空気を出していたから、職業によって目立っている私たちを意識的か、無意識的にか、避けていたこともわかっている。
(それでも、やっぱりマナー。一緒にいるためには必要だった。良かった)
マナーに関しては、うん。
(大丈夫。練習した。大丈夫)
エドが教会の司祭様から特別に都市でも通用する上級のマナー講座を受けていたのを知っていたから、私もお婆ちゃんに懇願して教わったのだ。
いつか都市にいくだろうエドにずっとついていけるように。恋人になれなくても、彼と離れ離れにならずにすむように。
――エドに与えてもらった、短くとも、甘やかな時間を心の支えにして。
こうして都市に来てからも、冒険者業のあとにくたくたになった体で、眠るのをこらえて、ブレイズとコットンとアーシャの嬌声が響く部屋の隣でずっとずっと、
私を見てきた警備兵に向けて、私は「冒険者のエレナです。エドワードとは幼馴染なんです」とぺこりと商家のお嬢様風のお辞儀をしてみれば警備兵はおや、という顔をしたあとにようやく客向けの顔で「こんばんわ。エレナさん、ようこそ『猫の尻尾』亭へ」と気障にお辞儀を仕返してきた。
(合格点はもらえた)
門番に顔をしかめられないということの幸福を感じながら、私は、どうだ、と言う顔でエドを見れば、エドはへぇ、と感心したように私の肩を抱き寄せると
「頑張ったんだな」
と、甘やかな声で囁いてくれた。
――ああ、よかった。がんばってきて、本当によかった。
だから私は思う。
きっとこれからの話もうまくいく。
今のエドなら、手足となる部下が誰もいないエドなら、評価の基準は甘いはずだ。
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