006 『賢者』エレナの思惑 Ⅱ



 私の名前はエレナ。姓はないが、強いて言うなら祖母がドルイドのため、エレナ・ドルイドとでも名乗ればいいだろうか。

 外見は灰色の髪をして、そこそこの体つきの、そこそこの顔の女――だと思う。

 美醜の面で他者と比較をしたことは余りないが特別秀でているわけでも、劣っているわけでもないことは知っている。

 そんな私がこの人口十万を超える城塞都市エグセスにおいても他者の目を惹く美男子のエドワード――エドに連れられ、夜闇に包まれていく途中の大通りを歩いていた。

 街路に設置された街灯の魔道具や、大通りに立ち並ぶ商店や家々から漏れる明かりが都市の夜景を照らしていく中、エドに握られている手だけが酷く熱く、胸の奥の心臓が鼓動を早めていく。


 ――エドは、エドワードは特別だった。


 特別な人。特別な存在。特別な男。特別な才能。特別な――。

 幼い頃から彼は賢く、働き者だった。

 なんでも一度やらせてみれば覚えてみせた。うまくやってみせた。教えた人間よりも優れた結果を残した。

 私たちが物心をつける前から何かしら大人を驚かせていて、英明だと、神童だとは思っていたけど、エドが長じるにつれ、その才覚は目に見えて実績を上げるようになった。

 彼は村を襲う野盗の襲撃を事前に予期し、罠にかけて全滅させ、村人の信を得た。

 そうしてから村の若い大人たちの『職業』の中でもあまり戦闘向きではないと思われていた『職業』持ちたちで――評価されていないせいか扱いやすかったのだろう――隊を仕立て、モンスター退治をやってみせた。

 そしてその隊をいくつか作ると村周辺を巡回させ、ゴブリンやコボルトの日常的な被害を防ぎ、畑の収穫量を上げ村を飢饉から救ってもみせた。

 加えて彼は成人前だというのに、村にある冒険者ギルドの出張所で様々な依頼を受けては村の困りごとを次々と解決していった。

 そんなエドに村の少女たちは熱狂した。皆が彼を誘惑し、彼はそれを受け入れ、楽しんでいた。楽しませてもらっていた。

 私もそんな熱狂する少女の一人だった。

 だけれど地味な私がエドの目に触れることはなかった。

 私には、何もなかったから。

 そんな私がエドに抱いてもらえたのはひとえに幸運と、エドの気まぐれもあったのかもしれない。

 エドは、村の傍の森――もちろん村の森は、都市の森ほどの凶悪な、深くて危険な森ではない――で活動するのに必要な知識を私の祖母から得るべく、私の家に足繁く通ってきていた。

 私がエドに抱かれたのはそのときだ。目についた若い女にエドは楽しげだった。からかうような口ぶりで言い寄られて、私は抵抗しなかった。そしてエドが家に来る度に体を許した。

 エドが森での活動に慣れてしまって、祖母の家に来ることはなくなり、幸福な時間はすぐに終わってしまったけれども……そのときの甘くて柔らかな日々はずっとずっと記憶に残っている。

(……エド……好き……ずっと好きだったよ……)

 隣に立っているエドは、彼を突然に訪ねてきた私を不審に思うことなく、笑顔で街を案内してくれる。

 身体を綺麗にしてくれて、髪を整えてくれて、服を贈ってくれた。かつてのあの日々のように。

 そんなエドの振る舞いはまるでこの都市にずっと住んでいるかのような――そんな案内の仕方だった。

 同じ都市で一ヶ月を過ごしたというのに、私は未だにこの都市を歩くときは、都市の外からやってきた村出身の冒険者に向ける市民の視線が少し怖いというのに。

(低級な冒険者は都市では基本的に乞食と同じ扱いなんだよ……エド)

 だけれど、エドの振る舞いはまるでこの都市の市民のようだった。


 ――そうだ。エドは特別なんだ。


 エドはどんなときも堂々としている。

 エドはどんなときもかっこよく、賢く、特別なことをする。

 それは私たちが成人し、『職業』を得たときもそうだった。

 あのときはブレイズが『勇者』を得てみんな驚いていたけれど。みんなの内心はきっと別だったはずだ。

(きっとみんな、『勇者』はエドがなるべき職業だったと思っているはずだ。だって、私がそうなのだから)

 だからエドが『賞金稼ぎ』の職業を得て、村人の驚きはもっと大きなものになった。

 あんな底辺の職業になるはずの人じゃなかったのに。

 それでもエドの経験なら、たくさんの職業の中から特別に優秀な職業を選べたはずだった。

 だって職業はその職業につく前の経験の中から選ばれるものだから。

 だから底辺の職業を選んだ人間は差別される。努力してこなかった。できなかった出来損ないだと。

 それでも、エドは選んだ。選んでしまった。

 私にはわからない。エドがどうして『賞金稼ぎ』を選んだのかなんて。

 だけれどそのときのエドは、私の祖母から一人での森での活動を許されたときと同じ顔をしていた。

 目的を達成した顔。満足げな表情。不思議に魅力的な顔。

(それでも……その顔はすぐに曇ったんだったっけ)

 エドが怒鳴る声を聞いたのはそのときが初めてだった。

 コットンに対してエドが怒っていた。

 コットン。ああコットン。あの馬鹿娘。

 エドの恋人という二度とない幸運を手放し、下半身だけは『勇者』並の活躍をするブレイズを選んだ、愚かなコットン。

 彼女に対し、エドは『メイド』ではなく『聖女』を選んだのか、なぜなのかと怒っていた。

 そのエドの怒りはすぐに『聖女』コットンへ粉をかけにいった『勇者』ブレイズによって遮られてしまったけれども。

(きっとエドがコットンを見限ったのはあのときだ……そしてコットンもエドを諦めた)

 すべてが特別で、ずっとみんなの憧れだったエドは気づかなかっただろう。コットンの気持ちを。

 だけれど、顔も髪色も地味だと言われ、村の男の子たちからはモテなかった地味女の私には理解できた。

 『勇者』ブレイズに肩を抱かれ、世間的に評価されない職業を選んだ恋人を見た、コットンがそのときに抱いていた感情を。

 それは世間的な底辺職である『賞金稼ぎ』を選んだ愚かな恋人を蔑む感情。

 そして伝説の職業である『勇者』となったブレイズに守られて得られる優越感。

(馬鹿なコットン。今のエドを見なよ。彼はどこでも特別になれる存在なんだよ?)

 私と同じ村生まれなのに、彼はもうこの街に生まれたときから住んでいたかのように振る舞っている。

 地味に生まれ、地味に生きるしかない私を、再会して一時間でどこかの令嬢かのように変貌させ、私の手を恋人のように掴んで、お姫様かなにかのように、甘やかに扱ってくれる。

 エドを追放して嗤っていたブレイズを思い出す。エドに利用された・・・・・哀れなブレイズ。コットンと円満に別れるためだけに利用されたブレイズ。

 彼は気づいていないだろう。

 だけどエドをずっと見てきた私には理解できた。


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