幸せが急に壊れる瞬間

かまくら

第1話


「いらっしゃいませ〜」



カラコロと鳴るベルのついた扉を開けてお店に入ると、そんな声が私達を迎えてくれた。


初めて訪れる空間に少しだけ緊張していると、それを察したかのように右手が優しく包まれる感触がする。


彼だった。


何も言わずに私の手を握ってくれた彼の左手、そこにはまっている指輪の冷たさが、彼の手のひらの暖かさをより感じさせてくれる。


私は、それがとても好きだった。


そして、そんないつもの感触に安心感を覚え、いつの間にか緊張はワクワクへと変わっていた。



「じゃあ、見よっか」



にこりと優しい笑顔を浮かべて私の手をゆっくりと引いてくれる彼に、何も言わないが肯定するようについていく。



「こんにちは、ではご注文がお決まりになりましたらお声掛け下さい」


「分かりました、また決まったらお願いします」



彼が店員さんと会話をしている中、私の視界はガラス越しにある色とりどりの宝石のようなケーキに釘付けだった。


大きなイチゴのショートケーキ、テカテカと光沢が輝くチーズケーキ、様々な果物がいっぱい乗ったタルト…ふわぁ……



「ふふっ」


「!?」



不意に、すぐ隣から笑い声がした。

勢いよくそちらに視線を向けると、彼が優しそうな瞳でこちらを見つめながら笑っている。



……何がおかしいの…?



そんな思いも込めて少しだけ頬を膨らませて彼を見つめる。



「あぁ、いやごめん…ふふっ……ケーキを見つめるりんちゃんがあまりにも可愛くて、つい笑っちゃった」


「…!?」



何故彼が笑ったのかは分かった。

でも、その理由があまりにも恥ずかしくて、でもちょっぴり嬉しくて、赤らんでしまう頬を見られないように顔を逸らす。


照れ隠しで、少し怒ったように。


私がここで素直に嬉しいと言える女であったならば、世の中はもう少し生きやすかったんだろうと思う。

だけど私はこう言う女で、そんな女を選んだのは彼なのだ。


だから、こんな私も受け入れて…欲しい。



彼は困ったようにまた笑って、ケーキを二つ買っても良いから許して欲しいと、そんな条件を出してきた。

私も最初から怒っていなかったため、彼の手をギュッと握ると同時に顔を向け、笑顔で頷く。



彼はチーズケーキを、私はショートケーキと果物いっぱいのタルトを買ってお店を後にした。



「やっぱりお店によってケーキに少し個性が出るよね。今回のケーキもすごい美味しそう」



彼の言葉にコクリと頷く。


私と彼には色んなケーキ屋さんのケーキを食べるという趣味のようなものがあり、今回もそれで先程のお店に足を運んだ。


店内の雰囲気も良く、店員さんもとても優しくしてくれたので、お気に入りのお店になった。



「さっきのお店、りんちゃんの好きそうな感じだったね。お気に入りになった?」


「!」



私の小さな歩幅に合わせながら、彼は私が思っていた事と全く同じ事を言った。

思考が読まれてしまう程彼が私の事を理解してくれていると思うと、少しの恥ずかしさはあるがとても嬉しい気持ちになった。



…帰ったら、私のタルトを半分こしてあげよう。



暖かい日差しを受け、それと同じくらいのポカポカした心にそう誓い、彼の温もりを感じるべく少しだけ握る手に力を……



「っ!?危ない!!!」



右手から温もりが消えたのは、今まで聞いた事のない程焦りの籠った彼の声が聞こえた瞬間だった。



キキィィィッッ!!ダンッ!!!



そんな彼の発した声よりも大きな音が聞こえたのは、彼の声にとてもびっくりして思わず目を閉じてしまった直後だった。



一体、何が……?



ゆっくりと瞳を開ける。

最初に映ったのは、泣きじゃくる子供だった。



どうして、泣いているの…?



次に映ったのは、停止線ではなく横断歩道まではみ出した車だった。



どうして、そんな所に…?



そして、最後に映ったのが……





……どうして、そんなところで寝ているの…?





彼が、道路で横たわっている姿だった。

おかしなことに、何故か彼を中心にして赤い水溜りが広がっている。



違う、違う違う違う、そんな筈ない。



急いで彼の側へ行き、呼びかけた。

だが、返事は返って来ない。

すぐに救急車を呼び、再び彼に呼びかけた。


どんな事を言ったのかは覚えていないが、彼の左手を握った時、それがいつもと違ってとても冷たく、優しさを感じることが出来なかった事だけは鮮明に覚えている。



救急車が到着し、彼を病院まで運んでくれた。


まるでドッキリでも仕掛けられているような、ふわふわした感情だった。

何も考える事が出来ず、夢だとさえ思った。


そして病院に行ってすぐに伝えられた。



……彼は、即死だった。



信号無視の車から子供を庇って、そして、死んだ。


こんな私を救ってくれた、彼らしい最期だと……



………嘘だ、嘘だうそだうそだうそだうそだうそだうそだっ!!!!!



ねぇ、嘘だよね

ずっと一緒だって、言ってくれたよね

ずっと私を守ってくれるって、言ってくれたよね

ケーキだって、まだ食べて無いよ?

私まだ、まださっきのこと、許して…っ……

なんで、何も言ってくれないの?

また笑ってよ、また一緒にケーキ買いに行こうよ、また私の事好きって、可愛いって、言ってよ……なんで、なんでなんでなんでなんでっ!!!



………なんでっ…私を、置いていくの……?



彼の手をどれだけ強く握ろうと、彼が再び握り返してくれる事は無かった。



冷たくなった彼の側に居ると、ひしゃげてボロボロになった箱を渡された。

彼がずっと持っていた、今日買ったケーキの箱だった。


渡すか迷ったらしいが、渡さなければいけないと、そう思ったらしい。



そんな事知らない。

そんなものいらない。

医者なら彼を返して。

またいつもの…彼のいる生活を返して。



そう、言っても無駄だと思いながら、その箱を受け取った。


中のケーキは案の定、ぐちゃぐちゃでもはや原型など留めておらず、全部が混ざっていた。



彼の買ったチーズケーキは、どれだろう



何がどのケーキのどの部分なのか分からないまま適当に手で取って、無気力に口に運ぶ。


口に広がる甘さと、鼻を抜ける少しのチーズの香り。


チーズケーキは今まで敬遠していたが、彼の好んでいたケーキはこんな味だったのか……




「……………チーズケーキって、美味しいんだね。私、初めて知った……だから、だからね?また、一緒に……っ…う…うぁ………っ!!」




うぁああああああああああああああああああっ!!!………






病院にまた一つ、大切なものを亡くした悲しみが響いた。

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