第肆話 偵察

 海南島沖 伊820発令所 5月9日 13:22

 艦は予定通り1112に海南島沖に到着した。

 現在は新型原潜が出てくるまで、身を潜めている。

 発令所は沈黙が支配していた。


「………」


「………」


「………」


「………」


 誰も、何も話さない。

 しかし、こんな事は良くある事だ。

 皆慣れている。


「!推進音探知!」


 聴音種の報告が発令所全体にさらなる緊張をもたらす。

 例の新型原潜だろうか。


「1軸推進…あ、聞いたことある…これは」


 この報告に私は少し落胆した。

 しかし、何を捉えたのかは重要だ。


「…改キロ級、遠征73ですね」


「成程」


 遠征73か。

 いつもの哨戒だろう。


「きっと定期哨戒任務でしょう」


「サーバーにあるデータと照らし合わせてみようか」


 この伊820のサーバーには艦隊隷下の艦艇から収集されたありとあらゆる情報が集積されている。

 これまでのデータをすぐに入手する事が出来るのがこの艦の強みの1つだ。


「情報員、どうだ」


「航路が直近の哨戒航路と一致していますから、定期哨戒任務で正解でしょう」


「そうか、分かった」


 いつもの定期哨戒ならば無視しよう。

 さて、問題は探知されたかだ。


「探知された様子は?」


「ありません。どんどん遠ざかって行きます」


「分かった」


 探知されてない様で安心した。

 原潜は通常動力型と比べ、騒音が出やすい。

 冷却ポンプを常に動かしておかないといけないからだ。

 しかし、最近は停船中ならば通常動力型と大差無い静粛性を発揮できる。


「何日待つのかな」


「1週間待ってれば出てくるよ、多分」


「どうかな…」


 彩華の言う通り、1週間で出て来てくれれば有難いのだが。

 さて、何日耐久する事になるのか。


「そういや、ここには伊738も居たね」


「そう言えばそうでしたな」


「疾歌、伊738から何か情報は無いか」


「いえ、何も」


「定期報告はあるよね?」


「はい」


 伊738が何か掴んでいるかもしれない。

 そう思ったが、あちらもまだ何も掴んでい無い様だ。


「十和田少将、伊738の位置は」


「はっ、本艦から西に32kmの地点です」


「了解」


 伊738は通常動力型だ。

 定期的に浮上して、酸素を取り込まなければならない。

 これでは行動に大幅な制限が掛かる。

 これでは、原潜の追尾は少し難しい。


「新たな目標探知!これは…長征8の様です」


 長征8号潜水艦。

 中国の攻撃型原子力潜水艦である。


「相変わらずやかましいです」


「我々も似たような物だ、人の事は言えんよ」


「しかし、我々の方が静かです」


「まぁ、そうだな」


 中国の原潜は発見した。

 しかし、これは目的の艦じゃない。


「で、何処に向かってるんだ」


「…方位079、東の方へ向かっています」


「了解」




 14:42

 長征8探知から約1時間20分が経った。

 目標の艦は捉えられない。

 しかし、待ち続けていれば必ず出てくる。


「スクリュー音探知!聞いたこと無い音です!」


「総員!音を立てるな!」


 艦長が叫ぶ。

 きっとコイツが例の新型原潜だろう。

 1日も経たずに出て来てくれた、有難い。


「しっかり音紋は取ってるな?」


「はい」


「何処に向かってるんだ」


「南です、副長。方位172、速力12。間もなく本艦の真上を通過します」


 どうやら気づかれた様子は無い。

 このまま追尾して、情報を収集しよう。


「よし、目標が本艦を通過したら反転、追尾する」


「目標、本艦の上方を通過、離れていきます」


「よし。反転180度、方位172、深度このまま、目標を追尾する。強速前進」


「反転180、方位172、前進きょーそーく」


 収集出来る情報を全て収集してから帰投しよう。

 しかし、バレてしまったら攻撃されると言うリスクもある。


「訓練で出て来たのか、コレは」


「きっとそうでしょう」


 艦長の言う通り、きっと訓練だろう。

 もしかしたら公試かもしれないが…。


「目標のミサイルハッチが開きました」


「ミサイル発射訓練かな?」


「多分、そうじゃないかな。私達も良くやるし」


 彩華の言う通り、ミサイル発射訓練だろう。

 実際に撃ったとしても、きっとそれは訓練用弾。

 実弾だとしても、何処かの海上に堕ちる。


「目標のミサイルハッチが閉じます」


「やはり訓練か」


 予想通り訓練であった。

 ミサイル発射を想定した訓練、この艦でも良くやる。


「どうだ、音紋は取れたか」


「はい。バッチリ取れました!」


 艦長の質問に、聴音手は笑顔で応える。

 あの聴音手のあんな笑顔、初めて見た。


「大きさはどれ位かな」


「本艦と同じ位ですね、2万トン程度です」


「成程、気づかれた様子は?」


「ありません」


「良し、追尾を継続。収集出来る情報は全て収集するぞ」


 2万トンのSLBMか。

 有事になればこの艦からミサイルが放たれる事だろう。

 発射管の数は写真を見る限り24つ。


「発射管の数は分かったか」


「24つです」


 写真の通りだった。

 つまり、有事になればこの艦だけで24本の弾道ミサイルが放たれる訳だ。


「よし、追尾を続行せよ」


「目標、魚雷発射管を開きました」


「数は?」


「8門です」


 全発射管を開いたか。

 片弦4門づつ、合計で8門の魚雷発射管だろう。


「今度は魚雷発射の訓練か」


「どうやらその様ですね」


 まさか訓練を日本の原潜に付けられてるとは思うまい。

 こんなに長く追尾して、気づかれていないのは奇跡としか言いようがない。




 15:11

 追尾開始から約30分、敵がこちらに気づいた様子は無い。


「司令、そろそろ十分かと」


「そうね…」


「取れる情報は取りました。これ以上の追尾は不要かと」


「そうね、そろそろ離脱しようか」


 一番の目的である音紋も取れたし、艦の大きさも分かったし、ミサイル発射管の数も分かった。

 この情報は大きな価値を持つ。

 特に音紋、各国がこの情報を欲しがる事だろう。

 その為に、早く帰還しなければならない。


「離脱する。取り舵30度」


 艦長が号令を掛ける。

 それに従い、操舵手が舵を動かす。


「取り舵30度、宜候」


「横須賀に帰投する。今回は缶詰の出番は無さそうだな」


 鯨の大和煮、ちょっと食べたかったな。

 でも、必ず食べる機会は訪れる。


「缶詰の出番の無い航海何て、いつぶりでしょうか」


「司令が着任して最初の航海以来では?」


 洛人君の言う通り、私が着任して最初の航海は缶詰は食べなかった。

 その次の航海から今に至るまで、毎度毎度缶詰のお世話になっていた。

 しかし今回は、缶詰の世話になる事無く帰れそうだ。


「確かに、そうかもしれない」


「紫雲ちゃん、絶対余るよコレ」


「そうね…結構多く積んじゃったから…うーん」


 まさかこんな早く目標が出てくるとは思わなかった。

 さて、この生鮮食品はどうした物か。


「次の航海まで倉庫区全体を冷やしておこうか」


「倉庫区自体を冷蔵庫にする訳ですな」


「冷やしたら良くない物を他の所に置いて、冷やそう」


 これでどうにか鮮度を保つ。

 まぁ、今の状態でも鮮度は保てているのだが。



 司令官室 16:01


「まさかこんなに早く出てくるとは」


「覚悟が無駄になったねー」


「ねー」


 現在伊820は海南島沖を離脱して、南シナ海を航行中。

 横須賀への帰路に付いている。

 相変わらず彩華は私に抱き着いている。


「彩華」


「なぁに」


「戻ったらドライブ行こうよ」


「行こう~」


 最近、車を運転していない。

 久しぶりに高速道路を走りたい気分だ。


「何処行く?」


「紫雲ちゃんが行きたい所!」


 彩華は完全な甘えモード。

 こうなれば私にずっとくっついてくる。

 しかし、彩華の体温を直に感じれるので問題無い。


「OK~」


 本棚に仕舞ってある地図帳を取り出して、行く場所を見定める。

 …北の方にでも行こうか。


「長岡の方行って見ようか」


「首都高通りたーい」


「んじゃ、首都高経由で関越自動車道入ろうか」


「はーい」


 ルートは事前に決めておくに越したことは無い。

 私が乗っている車はカーナビが存在しない。

 故に、ICインターチェンジとかJCTジャンクションを事前に決めて、頭に入れておく。

 最悪、スマホで何とかなるが、頭に入れておくに越したことは無い。


「彩華、お風呂入ろっか」


「うん!」


 そろそろ良い時間だ。

 私はタオルと着替えを持って、彩華と一緒に部屋を出た。

 さて、今日は少し長く湯舟に浸かろう。

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