月の降る夜に

春夏冬瑞胡貴

1~10

第1話 珈琲

 強い風に靡かれて、入学式と書かれた看板の前で桜が舞い落ちた。


 大きく貼られていたクラス分けの紙の前では人がたくさんたむろしている。そのおかげで、クラス分けが見えない。

 クラス見たならどいてくれないかなぁ。全然見えない……


「ちょっと、どい――」

「同じクラスじゃん! ヤバすぎ!」


 私の声はクラス替えに興奮している人たちのものに負けて誰にも届いていない。


「見えないの?」


 もう一度声をかけようとしたとき、後ろからそんな声が聞こえてきた。


「俺が見よっか?」


 声の方を振り返れば、男の子だった。ニコニコしながら目に手を当ててどこかなぁと名前を探している。

 え、でも……


「あれ。そういえば、名前なんだっけ?」

「……月海つきみです。つきみりょうか」


 私の方を向いた彼に、ガックリとしてしまった。

 この人抜けてるの? 名前も聞かずに探すなんて。


「つきみさんね。つきみ……」


「おぉ! 同じクラスじゃん! つきみさん。

じゃあー一緒行こ――!」


 そんな風に手を引かれて、人混みから連れ出された。

 え、私この人の名前すら知らないんだけど。


「あ。俺たち、二組だったよ」


 私の視線に気が付いたのか、彼はこちらを向いてそう言ってきた。しかも先ほどよりもニッコリとしながら。

 でも、そこじゃないんだけどね、私が欲しい情報。まぁ、そこも欲しいっちゃ欲しいけど。


「お、降谷ふるやじぇねぇか! 今年もよろしくな」

「山口! やっほー」


 一年二組についた途端、名前も聞くことなく彼は友達の方へと行ってしまった。

 あ。ありがとうって言えなかった。


「涼香、はよ」

「れん」


 ふるやと呼ばれた彼の方を向いていると、突然肩をたたかれた。

 先ほどのように後ろを振り向くと頬に人差し指が突き刺さる。


「てはなひてよ」

「ふはっ、なんか変」


 そう言って笑いながらグニグニと私の頬を押すのは幼稚園からの幼馴染、夜宮よみやれんだ。

 廉はふるかわさんの方をを見て私の耳元で喋った。


「一緒に来たっぽいけど、知り合い?」

「ううん、全然。名前も知らない」

「そ。……それより、さ。今日空いてる?」


 首に手を当てながらそう聞いてきた廉。

 今日は確か母たちの手伝いをしなければいけないはずだ。


「ごめん、働かなきゃ」

「言い方すげぇな。いつも通り?」

「うん、珈琲飲みに来る?」

「じゃあ……いくか」


 ちょうど会話が終わったところで先生が入ってくる。体育館へと向かってください、と言われゾロゾロとみんなが移動していった。


………

……

「涼香、行こ」

「うん」


 高校の入学式も終わり、まだあまり仲がいい人がいないからか静かな教室に廉の声が響いた。


「一緒に帰るの久しぶりだね」

「あぁ」


 幼稚園から小学校までは同じだったものの、中学受験をした廉とは中学が違った。中高一貫のこの学校に高校受験で私が合格したことで一緒に帰るのは三年ぶりくらいだった。


「ただいま」

「こんちは――」


 家の中に二人の声が響く。私は荷物を置いて、家のカフェの制服のようなものを着た。


「お待たせ」

「さっき、おじさん来てたぞ。今人いないからゆっくりでいいって」

「えぇ、急いだんだけど」


 ゆっくり歩きながら家の裏側にあるカフェへと向かう。

 二人で歩いていれば前から声が聞こえた。


「廉くん。……とお姉ちゃん」


 前を見れば、そこには双子の妹がいた。

 月海つきみ舞香まいか。私たちとは違う高校に通う高校一年生だ。

 双子とはいえ、私たちはそこまで似ているところがない。舞香は私とは違ってアイドルになれそうなほどかわいくて、私は背が高めで釣り目だからきつめに見られるし二重でもない。街中で一緒に歩いていても双子だと思われることはほとんどないくらいだ。まぁ、二人で出歩くことなんてそれこそほとんどないのだけれど。


「どうしたの? 二人で」

「廉にお店に来てもらうの。舞香も来る?」

「……いいよ。私すぐ出るから」


 私の言葉に舞香はその端正な顔を歪めた。

 舞香はそうぶっきらぼうに言うと、私たちが歩いてきた方向へと早歩きで歩いて行く。


「何かピリピリしてんな」

「うん、最近磨きがかかった気がする」

「ダメだろ、それじゃ」


 カフェのドアを開けると、ちょうど常連のお婆さんが帰ろうとしていた。


「あらぁ、涼香ちゃん。久しぶりね

見ない間にこんなに大きくなって

隣はもしかして廉ちゃん? まぁ、カッコよくなったのね。二人とも恋人みたいだわぁ」

「……」


 お婆さんの言葉に廉はペコリとお辞儀をした。

 私が言える立場ではないが廉は人との交流(主に異性との)が苦手だ。

 前になんでかを聞いたことがあったっけ。

 確か「何考えてるかわかんないんだよ、女子は」って言っていた気がする。どことなく馬鹿にされたような気がしたのもちゃんと覚えている。


「そう言えば、舞香ちゃんは? 涼香ちゃんよりも見てないわねぇ。元気?」

「た、ぶん。元気だと思います」

「そう、なら今度言っておいてちょうだい。おばちゃんが気にしてたって」

「はい、ありがとうございます」


 それだけ言うと、お婆さんは出て行った。母と父も顔を出してありがとうございました、と言っている。

 そして、ドアがパタンと音を立てると母がこちらを見た。


「涼香、舞香が何時に帰ってくるかなんて知らないわよね」

「舞香ならさっき会ったよ。すぐ出るって言ってたけど」

「はぁ。またどこかいくのね。あの子ったら

あぁ、そうだ……ごめんなさいね廉くん待たせちゃって。座ってちょうだい

いつものでいいかしら?」

「はい」


 母が出した珈琲を飲む廉。そしてそれを見つめる母と父と私。

 あっという間に珈琲を飲み終わった廉はあざっした、と言って席を立った。


「あら、もう帰っちゃうの?」

「あ……はい」

「なら、涼香。送ってあげなさいよ」

「それふつう逆じゃないの」


 母がニコニコしながら私に向かってそう言ってきた。別に外はまだ全然明るいし、なんなら眩しいくらいだ。例え、廉が変な人に襲われたとして、周りには人がいる。大丈夫だと思うけど。

 そんな思いも込めて廉の方を見ると、首を横に振った。


「大丈夫っす」

「そう。じゃあ、またおいでね」

「はい」

「バイバイ、廉」


 私の言葉に左手を上げた廉はそのままバッグを右肩にかけて帰っていった。


「いやぁ、ホントに男前ね。廉くん」

「そう、かなぁ」

「涼香にはああいう人とくっついてほしいんだけどなぁ」

「うるさい、というか廉だったら舞香のほうがいいよ」

「そう? あんまりイメージないけど。舞香、最近きちんと顔見せないし」


「あの子、何度か警察に補導されて――」


 母のそんな呟きと同タイミングでドアのベルが鳴った。

 その途端、母の顔からカフェの店員の顔に変わる。


「いらっしゃいませ――!」

「あの……珈琲を」


 そんな声が聞こえ、母は父に向かって注文を繰り返した。


「オリジナル一つ!」

「おー」


 さっき、廉が飲んでたやつの店バージョンを父がパパっと作る。廉のは専用だから少し甘みが強いんだとか。

 できた珈琲を父から受け取り、お客さんのところまで運んだ。

 そこで気が付く。この人、うちの学校の生徒だ。でも知ってる人いないしな、そんな風に思いながら、テーブルに珈琲を置いた。


「こちら、オリジナル珈琲でございます」


 そう言って顔を上げお客さんを見た瞬間、「あ」と思った。

 多分、相手も同じ。

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