花鳥風月
柴野弘志
藤色想い ~花の段~
池に浮かぶような
ゴールデンウィークの休みを利用して訪れた京都は、
旅行計画をたてる上で平等院をメインディッシュに据えたのは、紫織が無類の藤好きであったからである。
これまでにも彼女は、暇さえあれば藤の名所と言われる場所へ出向いていたようである。あしかがフラワーパークの圧倒的な紫の世界を生み出す巨木や、
そんな紫織ほどの熱量はないものの、花を観賞するのは好きだし、どんなに人混みであふれていても平等院の藤も美しいと、
「壮大で異世界に飛びこんだような藤もいいけど、由緒ある建物と合わせて見るのもいいなぁ」
紫織はしみじみと呟いた。
確かに、藤棚越しに見る鳳凰堂は絵になった。古都に身をおいて、街並みの歴史を肌で感じながら藤を観賞することに、ひとつの「味わい」を覚えたような気がした。
多くの人が撮影スポットでデジカメを向けるのに同調して、
ゆっくりと流れる人波と、天から降りそそぐような藤を眺めながら紫織は唐突に付き合っている彼氏の話を始めた。
「ケントがさぁ、全然メールを返してくれないんだよね」
「えっ?」
話題が突然恋人のことに飛躍し、
「もう別れるかもしれない」
悲壮感たっぷりに伝えてくる紫織に、できるだけ無感情に「そっか」と答える。
今にも涙がつたい落ちそうな声音で紫織は続けた。
「どうしたらいいかな?」
「別れちゃえば」
アッサリと返すと、紫織は「なんでそんなこと言うの」と憤然した。
このとき、この話を聞くのはもう三回目であった。
恋愛話はキライではないのだが、ドライな性格である
かねてから紫織は、話題にあがるケントという男と浮いたり沈んだりをくり返していた。はじめて聞いたときこそ、親身になって相談にのったりはしたのだが、根本的な解決には至らず同じことをくり返している。
話を聞く限りケントはどうも煮え切らない男で、自分の都合に合わせて紫織との関係を繋いでいるようであった。基本的に男友達と遊び回るのを優先し、会いたくなったら紫織に連絡をよこすといった具合である。「付き合っているはずなのに、全然付き合っている気がしない」と、たびたび紫織は言うのだった。
紫織も紫織でそんな男のなにがいいのか、執拗にメールや電話をくり返して恋人の絆を太くしようと必死であった。「一日に五十回もメールしてるのに一通も返ってこない!」とプリプリして愚痴をこぼしたのにはさすがに仰天して、「そりゃアンタ、重いよ!」と忠告したものである。
紫織は決して男に困るような女ではない。むしろ、引く手あまたの女なのである。
端正で
だからこそ、そんな男とはさっさと別れて次へ行ってしまえばいいのに、こと恋愛には真面目すぎたようだ。付き合う人とは真摯に向き合い、忠実で誠意を尽くし、一生を添い遂げるという意思が、相手を必要以上に追いこんでしまっていることに気づかなかった。結婚を見据えたお付き合いをなんて言うほどの齢でもないのだからもっとフランクでいいと助言しても、紫織には難しかったようだ。それでも、こんな真反対の恋愛観を持つわたしに相談をしてくるのはどういうわけか——ふしぎなものであった。
その後に別れたと聞いたのは卒業した後だったろうか。
テレビに映る紫織の姿を一方的に見ていたので、活躍ぶりは目にしていた。
それだけの活躍を遂げれば、メディアはこぞって恋愛事情を嗅ぎまわり、『恋愛体質』だの『男依存症』だの『金咲紫織に背負わされた十字架』だのと、あることないこと見出しにして書きたてた。本人を知る者にとってはずいぶん気の毒に思ったものである。
テレビ局を退社し、フリーに転身してからはあるていど仕事量をコントロールできるようになり、少しは落ち着いているらしい。そのタイミングで会ったのを最後にもう五年以上も会っていない。
この写真を送ったら、紫織は懐かしがるだろうか。あれだけ藤の花が好きだったのだから、憶えていないことはないだろう。
なんだか、無性に紫織のコイバナを聞きたくなった。
彼女の結婚の噂は聞かないし、
こんな未来を、あの頃は想像もしなかったが、年甲斐もなく恋愛話に花を咲かせるのも悪くないなと
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