ラグナロクー神々の黄昏ー

六散人

プロローグ

その日トミーは、祖父の臨終に立ち会うことになった。

トミーは祖父が大好きだった。今よりも幼い頃、長身で手足の長い祖父に持ち上げられて見た世界は、高くて、広々としていて、とても気持ちの良い場所だった。

(早く自分もお祖父さまの様に大きくなりたい。神様早く僕を大きくして下さい)

トミーは毎日毎日、心の中で神様にそう祈っていた。そう願ったのは、トミーが女の子を含めてクラスで体が一番小さかったので、いつも悔しい思いをしていたからだ。学校の皆に揶揄われて、毎日毎日、それはそれは悔しい思いをしていた。

(自分の背丈がお祖父さまの様に高く、僕の手足がお祖父さまの様に長かったら、いつも僕のことを揶揄う奴らを、遥か上から見下してやれるのに。ついでに首もうんと長かったら良かったのに。神様、早く僕をお祖父さまの様に大きくして下さい)

トミーは毎日毎日、強くそう願っていた。

その大好きなお祖父さまが、今その生涯を閉じようとしている。トミーは既に<死>ということの意味を理解していた。ベッドに横たわった祖父の体は元気だった頃に比べると随分と小さくなってしまったような気がして、トミーにはそのことがとても悲しかった。

そして遂にその時がやってきてしまった。

最後の瞬間、祖父が自分をじっと見つめていることに気づいたトミーは、その弱々しい眼差しを見るのが悲しすぎて、思わず俯いてしまった。やがて白髭の医師が厳かに何かを告げ、周りからすすり泣きの声が湧き起こっても、トミーは顔を上げることが出来なかった。背後から母が優しく抱きしめてくれた時、トミーは自分の体が細かく震えていることを感じた。

母に抱かれたまま、どれ程の時間が経過しただろうか。トミーは、祖父が起き上がったような気配を感じた。それははっきりとした気配だった。その気配にはっとして、トミーは思わず顔を上げ、ベッドに目を向ける。しかしそこには、目を閉じて静かに横たわっている祖父がいるだけだった。

二日後。

ロンドン市内にある教会で祖父の葬儀が執り行われ、小雨が降る中を黒い服を着た沢山の大人たちが参列していた。その中には父と一緒に働いているケスラーさんもいた。

トミーはぼんやりと司祭様のお言葉を聞きながら、祖父の臨終の時を思い出していた。

――あの時お祖父様は、僕に何かを言いたかったんじゃないだろうか

――だから最後の力を振り絞って、起き上がろうとしたんじゃないだろうか

――その気持ちが僕にだけ伝わったんじゃないだろうか

トミーは葬儀の間中、ずっとそんなことを考えていた。

その日からトミーは、毎日毎日神様に祈った。早くお祖父さまの様に、背が高く手足も首も長い立派な体になりたいと、神様に強くお祈りするのが、彼の日課になっていた。

そんなある日、トミーは父と母に連れられ、ピカデリーサーカスに食事に出かけることになった。祖父が亡くなってからの三か月は家の中の雰囲気も沈んでいて、家族で外出することもなかったので、久しぶりのお出かけにトミーの心はいつになく浮き立っていた。母に手を引かれながら人々で賑わう街中を歩いていると、「パルマー先生」と、突然背後から声が掛かった。驚いて振り向くと、そこには父の友人のボルトンさんと奥さんのメアリーさんが立っていた。メアリーさんはとても優しい人で、トミーは彼女が大好きだった。今日もにこやかな笑顔を浮かべ、トミーの頭を優しく撫でてくれる。

その時トミーの頭の中を、ある存在が通り過ぎて行った。トミーは今まで味わったことのない奇妙な感覚に思わず体を竦めてしまう。そんな彼の様子を見たメアリーさんが、

「トミー、どうしたの?大丈夫?突然頭を触ったので、驚かせちゃったかしら?」

と言いながら、心配そうに彼の顔を覗き込んだ。

「何でもありません、メアリーさん。大丈夫です」

その時既に不思議な感覚は収まっていたので、彼は慌ててそう言うと、メアリーさんに笑いかける。

「そう、よかったわ」

彼の返事に、メアリーさんも安心したように笑顔を浮かべた。

両親とボルトン夫妻は、しばらく雑談していたが、その間中トミーは、さっきの感覚が気になって、上の空で大人たちの話を聞き流しているだけだった。

それからもトミーは、毎日欠かさず祈り続けた。強く強く祈り続けた。

――早くお祖父さまの様に、立派な体になりますように。背が高く、手足も首も長い立派な体になりますように

やがてトミーの願いは叶った。とても悲しい形で。

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