私の可愛いツンデレ猫

七緒ナナオ

私の可愛いツンデレ猫

 猫を飼っている。


 名前は、わらび。2017年秋に我が家にやってきた保護猫だ。猫種は雑種ミックス。キジシロ柄の短毛猫である。

 ただ、雑種なだけあって、長毛猫の血がいくらか入っているらしく、短毛の中にちょろり伸びた長い毛を観察できる。


 そんな飼い猫わらびの話をしようと思う。




 わらびは保護先でヤンチャな脱走猫だった。


 わらびは保護施設で引き取った。

 生後六ヶ月近くの子猫が集まる保護部屋にいたわらびは、どの子猫を迎え入れようか、と思案する私の足元でウロチョロしはじめた。


 歩けば後ろについてくるし、しゃがめば広がるワイドパンツの裾の中に潜り込もうとする。

 玩具を持てば、お尻をふりふりしながら追いかけてくれるし、指を差し出せば匂いを嗅いで頭や頬を擦り付ける。


 ああ、可愛い。もう、この猫しかいない。


 私をその気にさせるには充分な魅了っぷり。完全にわらびの策略にハマった私は、わらびを迎え入れることにしたのだ。


 わらびのヤンチャ振りは、私がわらびの引き取り手続きをしている際に判明した。

 書類を作成するために保護部屋を出た私は、廊下に設けられた簡易的な応接セットに座り、何枚かの書類を書いていた。


 その間、ガチャガチャとドアノブをいじる音がして、その度に一匹の猫が部屋から飛び出してきた。

 その猫は廊下を猛ダッシュしては保護施設の職員さんに捕まり、部屋に戻される。


 何度も、何度も。


 字が上手くない私は、真剣に書類と向き合っていたから、ヤンチャな脱走猫がいるな、と他人事だった。

 手続きを終え、わらびを連れて帰る段階で、私はようやく気づいた。


 なんとあの脱走猫は、引き取ると決めたわらびだったのだ。


 大丈夫なのか?

 この猫を脱走させずに飼うことができるのか?


 私は一抹の不安を覚えながらも、職員さんの、


「この子は人懐こいので、初心者向きですよ」


 という言葉を信じて、わらびを正式に迎え入れた。




 わらびは物怖じしない猫である。


 あるいは、好奇心旺盛なのかもしれない。

 保護施設からわらびを連れて帰り、キャリーケースの蓋を開けると、わらびは堂々とした態度でのそりと出てきた。


 何度か鼻を膨らませ、家の匂いを嗅いだかと思ったら、すぐに行動に移る。

 家の中を把握するように、フンフンと匂いを嗅ぎながらパトロールをし、しばらくして催してきたのか、用意してあった猫トイレで排泄を済ませてしまった。


 それだけじゃない。

 その日の夕方。普段わらびが食事を摂っている時間を保護施設の職員さんから聞いていた私は、猫餌であるカリカリをお皿に出した。

 するとわらびは、一目散に飛んできてカリカリを食べ始めたのだ。水だって、遠慮なしにゴクゴク飲んでいる。


 抱っこだって自由にさせてくれるし、シャーッ!と威嚇されたこともない。

 座っていれば膝の上に登ってくるし、必ず人間がいる部屋で寛いでいる。


 えっ、予習していた話と違う。


 私は動揺した。

 猫は警戒心が強く、新しい環境に馴染むまで時間がかかる、という予習内容を覆す結果となったからだ。


 短くて一日、長くて一週間。わらびが家に慣れるのにかかる時間を見積もっていた。

 しかしわらびは私の予想を超えて、あっさり家に馴染んだのだ。まるで、この家が自分の家であるかのように。

 我が物顔で遊び出すわらびを見て、私は笑うしかなかった。

 なんとも豪胆な猫であろうか、と。




 わらびの名前の由来は、その尻尾にある。


 長尾と短尾の中間くらいの太い尻尾。その先が、春に採れる山菜のワラビに似ていることによる。


 わらびを家に迎え入れる前、ウキウキした気分で名前の候補をいくつか挙げていた。どれもこれも、当時ハマっていた(今もハマり続けている)推しの名前から拝借した名前だった。


 けれど、わらびの尻尾を撫でた時、候補に挙げていた名前はすべて吹き飛んだ。


 短くもなく、長くもない。スマートでも、しなやかでもない。太く骨太で、少し硬めのその先が。くるんと丸まる尾先を見たら。これしかない、と天啓を得た。


 そういうわけで、名もなき保護猫はわらびと成ったのである。




 わらびはお金のかからない猫である。


 飼い猫となったわらびと遊ぶ。けれど、はじめは何も用意などしていなかった。

 猫の性格を見てから購入しよう、と思っていたからだ。

 そういうわけで、家にある有り合わせの物で猫オモチャを自作し、遊んでいた。


 わらびが食いついたのは、丸めてボール状にしたコンビニのレジ袋や、ペットボトルのキャップ。それから、ギフトラッピングとして付いてきたリボン。

 そういう物を好んでじゃれついた。


 一方で、買い与えたおもちゃには、見向きもしなかった。

 コンビニ袋のようにガサガサ鳴るおもちゃも、ペットボトルのキャップのように小さくて転がるおもちゃも。リボンのようにヒラヒラと長いおもちゃも。


 どれもわらびの関心を得ることはできずに終わった。

 飼い主の財布事情を慮った思慮深い猫である。




 そうして一ヶ月後。わらびは脱走した。


 保護施設では、部屋のドアを自力で開けて脱走していたわらびも、家ではその片鱗を少しも見せずに大人しくしていた。

 自力でドアを開けることもなく、開けて欲しいときはドアの前でちょこんと座って待ったり、にゃぁん、と鳴いて催促したり。


 そんなわらびが、とうとうやった。


 帰宅時、家の扉を開けた途端、中からわらびが飛び出した。好奇心で輝いた目と視線があった。

 飼い主がわらびの脱走癖を忘れただろう、とでも思ったのか。勢いよく飛び出したわらびは、しかし外の世界の寒さや音の大きさに驚いたらしく、動きを止めた。


 そして、可愛い飼い猫わらびが、いつかやらかすだろう、といつも警戒していた飼い主は、玄関扉からわらびが飛び出してきても冷静だった。

 正確にいうと、一瞬驚いて「わらび!!」と大声を出してしまったものの、行く手を阻むように立ち塞がることはできた。


 だからか、わらびの脱走はものの数分で終わり、無事確保されて家の中へ連れ戻されたのである。

 以降、わらびが脱走することはなく、家の中でぬくぬくと過ごしている。

 屋内のドアをガチャガチャと、自力で開けて(当然、猫なので開けたドアは閉めてくれない)自分の好きな部屋へ移動するようになったのだけれど。

 冬などは少し寒いが、わらびが外へ飛び出してしまうよりかは、マシだ。


 もしかしたらこれも、わらびの策略のひとつなのかもしれない。




 わらびはキリリとした顔立ちの中に、幼さの残る可愛らしい顔をした猫である。

 飼い主とわらびの関係は、あくまでも人間と飼い猫のドライな関係であると自負している。


 わらびを飼い始めてから六年と少しが経過した。

 すっかり大人になってしまったわらびは、もう膝の上に乗ってくることはなくなったし、夜寝ている時に脚の間に居座って寝ることもない。

 私は夜の快眠と引き換えに、わらびのズシリとした重みを味わう幸せを失った。

 これには理由があって、わらびが好む寝床を作ってあげたからだ。


 仕事がテレワーク中心となり、仕事の邪魔をされないように先手を打って作った寝床。仕事用机のすぐ隣に拵えたその寝床は、わらびのお気に入りになった。

 私の仕事中は必ずそこにいて、時々寝息を立てながら寛いでいる。


 手を伸ばせばすぐそこにある幸せ。モフッとした暖かな毛並み。時折のそっと起き出して、寝ぼけ眼でキーボードの手前に座り込み、頭突きをしてくる。

 わらびは撫でて欲しいときに、撫でて欲しい場所を擦り付けてくる。時々甘い鳴き声で、にゃぁんと鳴いて迫ってくる。


 頭突きをするということは、そういうことだ。わらびが満足するまで撫でて、モフらなければ頭突きは止まない。

 そんな時は幸せを噛み締めて、仕事を中断せざるを得ない。


 だって、仕方がないのだ。

 猫に迫られて抗える猫好きなど、いないだろう。

 それが、週に一度あるかないかであれば、尚更だ。


 こうしてわらびは昼だけでなく、夜もこの寝床で寝るようになった。

 夜間の幸せの重みは、日中帯の幸せに変わったのだ。

 だからと言って、夜間の幸せがすっかりなくなったわけではない。


 私の可愛い飼い猫わらびは、その可愛らしさと愛くるしさを夜に全振りしているからだ。


 入浴を済ませて寛いでいると、はじめてわらびと出会った頃のように、足元にじゃれついてくることがある。可愛らしい声で、にゃーんと鳴いて、私の気を引いてくる。水を飲んでいると、ちょうどいい高さの台に登って、頭突きをしてくる。


 それが合図だ。


 日中帯は、寝ぼけて甘えることはあるものの、わらびは普段、人間に甘えることはない。

 抱っこしても一分と保たず、すぐに腕の中から逃げてしまう。

 おもちゃで遊びを誘っても、気が乗らなければそっぽを向く。

 餌は自動給餌器なので、ご飯をねだって甘えることはない。

 夏は冷蔵庫の上にいるし、冬は暖かな台の上で寛いでいる。そして、呼びかけても反応はない。


 けれど、日中は塩対応であるわらびは、夜になると甘えてくるのだ。


 撫でろ、撫でろと頭突きをして、気が済むまで撫で回される。

 時には、寝転がる私の胸に登って居座って、ごろごろと喉を鳴らしながら目を閉じる。

 私が夜更かししている時は、まだ寝ないのか、早く寝ろ!とでも言うように「にゃーん」と鳴いて就寝を催促してくる。


 なんて可愛いツンデレか。

 たまらなく愛らしい。


 私の可愛いツンデレ猫は、こうして飼い主を虜にし続けている。


 どうかその寿命が尽きるまで、私のそばで昼寝をし、夜は甘えて過ごして欲しい。

 安心できる屋内で、野生を失った姿を見せ続けて欲しい。

 どうかわらびに幸福な猫生を。

 そう切に願う。




〈了〉


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