第16話 あなたといると笑顔になれる
自宅に帰ってからも、藤乃と朱莉に言われたことをずっと考えていた。今の彩楓にわかっていることは、響弥と一緒にいたいということだけ。それなら。
「文章、変じゃないかな」
ベッドの上に正座して、何度も何度もメッセージを読み返す。「、」の位置は変じゃないだろうか。メッセージの文末に「。」は必要だったっけ。「先輩、こんばんは」って硬すぎる? でも「やっほー!」なんて絶対に送れないし。
悶々と自問自答を繰り返し、たった三行のメッセージを送るのに十分もかかってしまった。
「これで、大丈夫だよね」
読み返しすぎて何が大丈夫で何が駄目なのかわからなくなってきた。
「いいや、もう送っちゃえ!」
えいっと気合いを入れて送信ボタンをタップする。トーク画面には彩楓の送ったテキストが表示された。
『こんばんは、彩楓です。
明日って暇ですか?
もしご都合があうようでしたら、一緒に出かけたいです。』
心臓がどきどきとうるさく鳴り響く。
やっぱり送るべきじゃなかったのかもしれない。今ならまだ取り消せる。そうだ、一度取り消してもう一度考え直して、それで、それで。
「あ……」
あたふたとしているうちに、彩楓の送ったメッセージの横に既読を示すチェックマークがついた。響弥がメッセージを確認したらしい。
「ど、どうしよう」
変なことを送ったつもりはないけれど、唐突すぎただろうか。嫌だって思われたらどうしよう。急に何を言い出したんだって思われたら。
スマホを握りしめる手が震える。画面を見ていられなくなって、ぎゅっと硬く目を閉じた。
響弥はなんて返事を送ってくれるのだろう。いつもなら気にならない返信までの時間が、随分と長く感じる。
――瞬間、スマホが震えた。
返事が来た!
パッと気持ちが明るくなって、彩楓は急いでスマホに目を向ける。するとそこには、メッセージ、ではなく着信を知らせる画面が表示されていた。
「え、あ、な、う、うそ」
慌てすぎてスマホをベッドに落としてしまう。ブーブーとシーツの上でスマホは小刻みに震えている。
恐る恐る手に取ると、彩楓は通話タンを押した。
「は、はい」
声が震えて完全に裏返る。スマホの向こうから、響弥の優しい声が聞こえてきた。
「彩楓ちゃん? こんはんは」
「こ、こんばんは……!」
「急にごめんね。電話の方が早いかなと思ってかけちゃって。迷惑じゃなかった?」
響弥の言葉にぶんぶんと首を横に振った。
「そんなことないです! 電話、嬉しいです!」
「そういえば、電話で話すの初めてだったね。ふふ、なんか変な感じだね」
変な感じと響弥は言うけれど、いつもよりもずっと近い位置から声が聞こえてきて耳元がくすぐったい。
「それで、メッセージの件なんだけど」
「あ……」
響弥の言葉にスマホを握りしめる手に力が入る。返事を聞くのが怖い。
「明日だよね。昼からなら大丈夫だよ」
「ほ、ホントですか!?」
「うん。どこか行きたいところとかある?」
「えっと、えっと」
どこか、なんて考えてもいなかった。とにかく響弥にメッセージを送ることに必死で、それからまさかオッケーしてもらえるなんて思ってもなくて。
だから、どこかと尋ねられると困ってしまう。
「その、えっと」
「ねえねえ、彩楓ちゃん」
「え……?」
「もしよければ、これからふたりで明日どこに行くか決めない?」
困っていた彩楓に、響弥は優しく救いの手を差し伸べてくれる。こういうことを自然とできるのは響弥のすごいところだと思う。きっと彩楓じゃこうはいかない。
「どうかな?」
「はい、決めたい、です」
「よかった」
ふっと微笑みかけてくれる響弥の笑顔が目に浮かぶ。
「そうだなぁ、たとえば何か買いたいものとかある?」
「とくには……」
聞いてくれた響弥に対して、素っ気ない返事をしてしまったことを口に出した瞬間から後悔してしまう。謝った方が良いだろうかと心配になる彩楓をよそに、響弥は「そっか」と相槌を打つと話を続けた。
「じゃあ、映画と水族館ならどっちがいい?」
「映画か、水族館……」
普段、映画はひとりで見に行くことが多かった。今、上映しているものをチェックしてふらっとひとりで見る。それ自体は嫌いじゃなかったし、隣に座る誰かの反応をずっと気にして『つまらなさそうにしていないかな』『やっぱり別の方がよかったかな』なんて思いながら見る映画はどうにも見た気がしなかった。
けれど、帰り道一緒に来た友達や恋人と映画の感想を言い合っているのを見るたびにほんの少しだけ羨ましくも思っていた。楽しかったシーンや面白かった台詞を、誰かと共有できたらきっと嬉しいだろうなと、そう思っていた。
だから。
「私、映画に行きたいです」
勇気を出して言った言葉に、スマホの向こうで響弥が頷いたのがわかった。
「映画いいね。俺も最近行ってなかったから、行きたいって思ってたんだ」
思った以上に乗り気な返事に安心してホッと息を吐き出した。
「彩楓ちゃんは普段どういう映画を見る?」
「えっと、私はわりと雑食で。なんでも見るんですけど……」
「けど?」
「ホラーは、苦手、です」
言ってしまった瞬間、後悔が彩楓を襲う。
もしも、響弥がホラー映画が好きだったり見たかったりしたら……。
「で、でも全然見られないってわけじゃなくて、その、めちゃくちゃ怖かったりグロテスクじゃなかったらたぶん、大丈夫、なはずなので。えっと、だから先輩がもしホラー映画を見たかったら言ってください! 私、頑張るので!」
一息で言ったせいで息が切れる。はあはあと肩で息をする彩楓を――スマホの向こうで響弥が笑った。
「そんなに力説しなくても大丈夫。俺もそんなにホラー得意じゃないから、今回は違うのを見ようよ」
「ホントですか……?」
「うん。あ、でも彩楓ちゃんがどーーーしてもホラー映画が見たいっていうのなら……」
「見たくないです!」
思わず響弥の言葉を遮ってしまった彩楓を、響弥が笑う。
そんな響弥につられて彩楓も笑った。
響弥は、彩楓の笑顔を引き出してくれる天才なのかもしれない。
だってほら、響弥と一緒だとこんなにも自然に笑えている。
だからまた、響弥と一緒にいたくなる。
響弥と一緒にいると、自分のことをほんの少しだけ好きになれる気がする。
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