第二章 笑顔の理由

第15話 この気持ちの名前はなに?

響弥のおかげで藤乃たちと仲直りできたあの日から、彩楓の中で響弥の存在が少しだけ大きくなった。響弥の笑顔を見ると嬉しくなるし、名前を呼ばれるとドキドキする。でも、未だにこの感情に名前がつけられずにいた。

 出会ってからまだ一週間と少し。好きになるには早すぎる気がする。もう少し時間をかけてゆっくりと。そう思う気持ちと、けれど一か月のお試し期間の間に答えを決めなければいけないという焦りが彩楓を迷わせていた。


「それで?」


 放課後、テスト前ということもあり部活が休みだった藤乃と朱莉と三人で、先日響弥とふたりで訪れたエメラルドモールに来ていた。フードコートでクレープを買うと、確保しておいた席に座り頬張る。ちなみに彩楓はいちごバナナチョコクリームクレープにした。子どもの頃からクレープといえばこれなのだけれど、藤乃に言わせると「盛りすぎ!」なのだそうだ。そんな藤乃はシーチキンサラダクレープ、朱莉は生クリームオンリーだった。


「ほれへって?」

「飲み込んでから喋りなよ」

「う、ごめん」


 慌てて飲み込むと、今度こそ「それでって?」と藤乃に尋ねる。質問を質問で返す彩楓に藤乃はイラッとした態度を隠さずに言う。


「だから、池田先輩のこと。どうするの?」

「それは……」


 ふたりにはあのあと響弥と付き合っているのが一か月限定のお試しだということを正直に話した。最初は驚いていたものの次第に呆れたような表情になり、最後には「もっと早く言ってよ!」と怒られた。

 心配してくれているのだと思うと、素直に「ごめん」と言うことができた。


「好きなんじゃないの?」

「何を?」

「池田先輩のこと」

「って、え、いや、その」


 好きか嫌いかと言われればもちろん好きだ。けれどこの好きが恋愛の好きなのか、自分のことを理解してくれた響弥に対して特別に思っているだけなのかが判断つかない。そう、例えるなら雛鳥が卵からかえって最初に見たものを親だと思ってしまうように、初めて自分のことを理解して寄り添ってくれた響弥に対して、特別だと思い込んでしまっているという可能性も捨てきれない。そもそもこんなふうに迷っている時点で、やっぱり自分は響弥のことが好きなわけではないのかもしれない。そんな中途半端でいい加減な気持ちでお試し期間終了後の返事を、関係を悩むなんておこがましいのかもしれない。

 話しているうちに結論が出たことに安堵しつつ、説明を終えた彩楓に、藤乃はもちろん朱莉まで冷たい視線を向けた。


「彩楓って、そんなに馬鹿だったっけ?」

「ばっ……!?」

「馬鹿というか、自分の気持ちに鈍感なだけじゃないかな」

「たしかに、それはありそう」


 ふたりで何かを納得してて、その間に彩楓が入ることはできない。自分の話なのに置いてけぼりを喰らったような気持ちになる。


「ねえ、ふたりとも。なんの話をしてるの?」


 話しについていけず尋ねると、藤乃が肩をすくめた。


「彩楓が、自分の気持ちを後回しにして周りに気を遣いすぎたあげく、一番大事にしなきゃいけない彩楓自身の気持ちに鈍感になってしまってるんじゃないかって話してたの」

「私自身の、気持ち?」

「そう。池田先輩がどう思うかじゃなくて、彩楓がどうしたいかだよ」

「私、は」


 自分がどうしたいか、なんて今まで考えたことがなかった。

 ううん、違う。一度だけ。響弥に言われて自分の好きなものをきちんと話したあのときだけは、本当の気持ちに向き合っていた気がする。


「彩楓は、池田先輩といて楽しくないの?」

「……楽しい」

「一緒にいたい?」

「一緒に、いたい」

「池田先輩のこと、どう思ってる?」


 最後の質問で答えに詰まった。

 どう思っているか。


「……わかんない」

「な、彩楓! ここまで言っても……!」


 しびれを切らしたように藤乃は言う。彩楓だって答えられるものなら答えたい。でも。


「わかんないんだからしょうがないじゃん! 一緒にいたいって思ったらそれは恋愛の好きなの? 楽しいって思ったら好きだってことなの!? 好きって気持ちなんてわかんないよ!」


 声を荒らげた彩楓に、ふたりだけでなく周囲も何事かと視線を向ける。彩楓は薄らと滲んだ涙を拭うと「ごめん」と謝った。


「ふたりが心配してくれてるのはわかるんだけど、私もどうしたらいいかまだ全然わからなくて……」

「……彩楓はさ、難しく考えすぎなんじゃないかな」


 藤乃がポツリと呟いた。


「そりゃ好きだってちゃんとわかってから付き合う方が絶対にいいと思うけど、めっちゃ好き! って思って付き合い始めても『やっぱりなんか違う』って別れちゃうこともあるし。だから『一緒にいたい』っていう気持ちで付き合うのもありなんじゃないかなって私は思うよ」

「一緒に、いたいから」

「彩楓はさ、池田先輩と一緒にいたい? それとも、彩楓じゃない誰かが池田先輩の隣で笑っていても平気?」


 自分じゃない誰かが――。

 想像しただけで、胸の奥がぎゅーっと締め付けられたみたいに苦しくなる。彩楓に向ける響弥の笑顔が誰か他の女の子に向けられるなんて、そんなの絶対に。


「……嫌だ」

「でしょ? じゃあいいじゃん。付き合う理由なんてそれだけでも十分だと思うよ」

「そう、なのかな」


 藤乃の言いたいことがわからないわけではない。でもそれはズルくはないかとも思ってしまう。響弥を好きな女の子なんてたくさんいる。好きかどうかもわからない彩楓が、そんなあやふやな気持ちで響弥をひとりじめしてもいいものなのだろうか。

 不安に思う彩楓に藤乃も朱莉も笑顔で頷いた。


「そうだよ。恋なんて多少ズルくないとやってられないよ」

「そうそう、彩楓は優しすぎるんだよ。たまにはさワガママになってもいいんだよ?「他の女の子に笑いかけないでー!」とか」

「何それ」


 朱莉のわざとらしい言い方に笑ってしまう。そんな彩楓を見てふたりもまた笑った。

 ズルくなってもいいだろうか。ワガママになってもいいだろうか。

 この気持ちがちゃんと恋だとわかるまで、響弥のそばにいたいと思っても、いい、だろうか。 

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