第14話 その笑顔に惹かれていく

「それじゃあお友達と仲直りできたんだね」


 放課後、ふたりで駅までの道のりを歩きながら昼休みの続きを話すと、響弥は安心したように顔をほころばせた。


「はい、ご迷惑おかけしました」

「迷惑なんてかかってないよ。もちろん心配はしたけど、でも彩楓ちゃんなら大丈夫だって思ってたから」

「私なら、ですか?」


 そんなふうに言われると思っていなくて、思わず聞き返してしまう。『彩楓ちゃんなら』なんて言葉が出てくるほど、響弥が彩楓のことを知っているとは思えなかったから。

 けれど響弥は当たり前のように頷く。


「そうだよ。優しくて周りの人のことをよく見ていてて、でもきちんと芯がある。自分の正直な気持ちを呑み込んでしまうことはあるかもしれないけど、でも逃げることはない。そんな彩楓ちゃんだから大丈夫だって思ってた」

「私……先輩が思ってくれてるほど、いい子じゃないですよ」

「そうかな? 俺、これでも人を見る目はあると思うんだけどなあ」


 茶目っ気たっぷりに響弥は言う。そんな姿に彩楓も笑顔になる。

 響弥と一緒にいると笑顔になれる。それも、自然に。


「そうだ、今日少し寄り道しない? ちょっと買いたいものがあって」

「あ、はい。大丈夫ですよ。エメラルドモールですか?」


 電車に乗ろうとしたタイミングで響弥が言った。彩楓と響弥が帰る方向とは反対の電車に乗って三駅行ったところに、大きなショッピングモール直結の駅があった。うちの高校から行きやすいこともあり、彩楓も藤乃や朱莉の都合がつく日は、よく三人で遊びに行っていた。


「そうそう。本屋とあと文具屋かな」


 いつもとは違うホームに響弥と向かう。少しだけ緊張して、少しだけ表情と言葉が硬くなってしまう。


「そうなん、ですね。あ、私も本屋さん見に行きたいって思ってたんです」


 へらっとした笑みを浮かべながら頷いていると、隣に立つ響弥が彩楓の方を向き目をジッと見つめた。


「せ、先輩?」


 黙ったままジッと見つめられると、恥ずかしくて仕方がない。視線を泳がす彩楓に、響弥はふっと表情を緩めた。


「そういう顔をしている方が可愛い」

「ひゃう……」


 優しい笑みで、それもこんなに至近距離で言われると、心臓がありえないぐらいの速さで鳴り響く。変な声を出してしまった彩楓に、響弥は思わずと言った様子で噴き出して。


「わ、笑わないでくださいよ」

「ごめん、ごめん」


 堪えきれずに笑う響弥に最初は膨れていたものの、気づけばつられて彩楓も笑ってしまう。

 愛想笑いを浮かべる彩楓を、響弥は本当の笑顔に変えてくれる。


「それじゃあ、行こっか」

「はい」


 ちょうど来た電車にふたりでゆっくりと乗り込む。

 響弥とふたりならきっとこんなふうに笑顔あふれるような日々を過ごすことができるのかもしれない。そう思うと、胸の奥で小さな鼓動がとくんとくんと鳴り響き始めた、気がした。



 ガヤガヤとした店内で、ふたり並んで本を見る。


「彩楓ちゃんはどういうの読む?」


 響弥の問いかけに一瞬だけ悩んむ。普段ならファッション誌かペットの本を手に取るのだけれど。躊躇いつつも、彩楓は近くにあった塗り絵の本を手に取った。


「へえ」


 一言だけ漏らした響弥に、やっぱりやめておけばよかったと本を持つ手が僅かに震える。

 間違えて取っちゃったと言って戻そうか。今ならまだ間に合うはずだ。それで――。


「塗り絵かぁ、いいね」

「え……?」

「わ、しかも細かい。色もたくさん使いそうだし難しいんじゃないの?」


 彩楓の手から本を取ると、響弥は中をパラパラとめくっていく。驚いたり感心したりしならが中を見る響弥の表情は明るかった。


「彩楓ちゃん?」


 何も答えない彩楓に、響弥は不思議そうに呼びかける。彩楓は慌ててなんでもないと手を振った。


「い、いえ。あの、興味を持ってもらえると思わなかったので」

「どうして?」

「だって、塗り絵なんて子どもっぽいもの、高校生になって好きとか、変ですし」


 言いながら胸の奥がズキッと痛む。自分の好きなものを自分で否定することは悲しいことだ。それを悟られないように、一層笑顔を作ってみせる。


「まあ、それだと私が変ってことになるですけどね」

「別に変なんかじゃないよ」

「そう、ですか……?」


 響弥の言葉があまりにも真剣で、彩楓はそれ以上否定できなくなる。


「そうだよ。だからさ、どうせ笑顔で言うなら否定する言葉じゃなくて好きって気持ちをたくさん詰めて笑おうよ。その方が絶対素敵だと思う」

「好きって気持ちを、たくさん込めて」


 言われた言葉を復唱する彩楓に、響弥は優しく頷いた。


「たとえば、彩楓ちゃんは塗り絵のどこが好き?」

「……塗り絵って、正解が決まってなくて。どう塗っても自由なんです。色鉛筆に込める力の強弱で、よくも悪くも変わっていくところが好きです」

「他には?」

「塗り絵を塗っている間は、自分自身と向き合える気がします。どういう色が好きで、どういう色が苦手か。お花にはピンクを空には青を塗るところなんて固定概念に縛られているなとか」


 ポツリポツリと答えながら、改めて自分自身でも塗り絵の何が好きなのかを考えていた。響弥に伝えたないようは勿論だけれど、それ以上に『自分だけの世界を作り上げる』ことが好きなのかもしれないと気づいた。小さな紙の上に、色とりどりの色鉛筆を使って作る世界は、この世にひとつしかない、彩楓だけの世界だ。

 だから――。


「だから私は、塗り絵が好き、です」


 ようやく言い切ることができた自分の『好き』に胸の奥があたたかくなるのを感じる。それと同時に、響弥がどんな反応をしているのか不安で仕方がなかった。きっと響弥なら好意的に受け止めてくれると思いつつも、もしかしたら万が一、そんな可能性を捨てきれない。


「あの……っ」


 けれど、それが杞憂だったことに彩楓はすぐに気づく。隣に立つ響弥は、彩楓の話を聞きながらキラキラと目を輝かせて塗り絵を見ていたから。


「ん? どうしたの?」

「あ、いえ。……それ、気に入りましたか?」

「うん、気に入った。買ってみようかな、でもちゃんと最後までできるか不安もあるんだよね」


 眉をハの字にしながら響弥が言うから、彩楓はおずおずと口を開いた。


「それ、私が持ってるのと同じなんです」

「そうなの?」

「はい、だから……もし、先輩が買ったら、その、いつか見せ合いっこがしたいです……!


 勇気を出して必死に伝えた言葉は、響弥に届くだろうか。不安に思い俯いていると、頭上でふっと笑う声が聞こえた。


「もちろんだよ、こちらこそよろしくね」


 その言葉に顔を上げると、響弥は手に塗り絵を持ったまま嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「これ、買ってくるね」と言って、響弥はレジの方へと向かう。彩楓は息を吐き出すとその場に座り込んだ。

 目の前には、たまに買っているファッション誌。ページをめくるとそこには占いコーナーがあった。

 彩楓は、乙女座。占い結果は――。


「好きな人が、できる、かも」


 その言葉に、彩楓の脳裏に響弥の姿が浮かぶ。

 そんなはずないと、否定はしなかった。きっとそうだろうと自分でも想っていたから。


 このお試し期間が終わるまで、あと一か月。

 ようやく芽生え始めた恋心の行方は、今はまだわからないままだった。

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