第13話 あふれた涙のその先に

 朱梨を挟んで彩楓と藤乃はベンチに腰掛けていた。響弥は自分がいると邪魔だと思うからと言って先に教室に戻ってしまった。

 何か話さなければいけないとわかってはいたけれど、今口を開けばきっと愛想笑いを浮かべて「ごめんね」と言ってしまうのは自分でもわかっていた。それじゃいけないということも。


 今まできちんと向き合うことから逃げていたツケが回ってきたのかもしれない。こういうとき何と言えばいいのか、どんな顔をしたらいいのかわからない。


 でも――きっとそれは藤乃も同じはずだ。

 彩楓は藤乃の方をそっと窺い見た。膝の腕でギュッと拳を握りしめ、俯きながら足もとを見つめている藤乃は、今何を考えているのだろう。

 ううん、違う。藤乃がどんな言葉を求めているかなんて関係ない。

 小さく息を吸って、それから口を開いた。

 

「藤乃」


 その瞬間、藤乃の肩がビクッと震えたのがわかった。


「さっきの、ことだけど」

「あ……」

「私、」

「待って!」


 言いかけた彩楓の言葉を遮るように藤乃は立ち上がった。驚いて見上げていると、座ったままの彩楓の前に立って、頭を下げた。


「さっきは、ごめん」

「藤乃……?」

「その、先生に注意されたのが悔しくて頭に血が上ってて、それで言い過ぎた。ごめんなさい」


 藤乃の言葉に彩楓は慌てて立ち上がる。藤乃が悪いわけではない。あんな言葉を言わせてしまった彩楓が悪いんだ。


「謝らないで。私の方こそごめんね」

「何の、ごめんね?」


 藤乃はまっすぐに彩楓を見つめる。その視線から目を逸らすことなく、彩楓は答えた。


「いつも本音を隠して、当たり障りのない言葉でごまかして……」


 自分自身の非を誰かに伝えるのは、怖い。それを伝えて相手がどう思うのか、想像するだけで心臓がうるさく鳴り響く。

 でも彩楓にとって藤乃と朱莉は失いたくない大事な友達だから。もうごまかすようなことはしたくない。二人から、逃げたくない。


「ちゃんと二人に自分の気持ちを伝えなくて、ごめんなさい」


 頭は下げなかった。ふたりがどんな表情をしているのか、ちゃんと受け止めようと思った。怒っていたとしても悲しんでいたとしても呆れられていたとしても、それを受け止めることがきっと彩楓の第一歩だと思ったから。


「私ってさ」


 藤乃がポツリと呟いた。


「思ったこと結構なんでも言っちゃうし、言葉キツイこともあって友達ができても陰口とか言われちゃってさ。私は普通にしてるつもりなのに泣かせちゃったこともあって、友達って難しいなって思ってたの」


 それは今まで聞いたことのない、藤乃の本音だった。


「だから高校入ってもまたそんな感じなんだろうなって思ってたら、彩楓と朱莉と知り合ってさ。……彩楓に、何考えているかわからないって言ったけど、でも本当はそんなところに甘えてた。何を言っても笑って許してくれる彩楓に甘えすぎてた。ごめん」

「そんなこと……!」

「あるよ!」


 声を荒らげた藤乃は、


「あるんだよ……。なのに、あんなふうに言っちゃって……。彩楓に『何を考えているかわからない』なんて言ったけど、彩楓に甘えてた私が言える言葉じゃなかったなって」


 グッと唇を噛みしめる藤乃の姿に胸が痛くなる。

 藤乃がこんな思いを抱えて一緒にいたなんて思いもしなかった。


「私もね、彩楓が何かを呑み込んで笑ってたり本心を隠していることに気づいてた。でもそれで上手くいってるならいいかなって思ってた。ごまかしてる裏にきっと何か思ってることがあるのはわかってたのに、波風立てるのが嫌で黙ってた。ごめん」


 ふたりから次々に謝られて、彩楓はぶんぶんと首を横に振った。言葉が上手く出てこない。なのに、涙だけは次から次へと溢れ出てくる。

 いつもなら愛想笑いを浮かべて、口先だけの言葉を紡いでいた。それがどれだけ簡単で楽だったかを思い知らされる。本心を語ることは、自分の思いを告げることは、こんなにも難しくて怖くて恥ずかしくて勇気のいることなのだと。


「わた、しは……」


 それでも話したい。二人は彩楓にとって大切な友達だから。これからもずっと友達でいたいから。

 必死に涙を拭うと、顔を上げた。


「誰かと波風を立てるのが嫌、で……争うのも、苦手で……こんなこと言ったら怒らせるかも、とか思っちゃうとどうしても言えなくて……」


 ポツリポツリと今まで誰にも言えなかったことを話し始めた。ふたりは黙って聞いてくれる。本当は今もすごく怖い。

 きっとふたりなら、どんな話をしても受け止めてくれるとわかっていた。でも黙ったまま今日まで来てしまったのは彩楓に勇気がなかったから。

 だから今、一歩踏み出したい。ふたりと本当の意味で友達になるために。


「ちょっとぐらい嫌だなとか変だなって思っても笑ってごまかすようになってた。愛想笑いを浮かべて過ぎ去るのを待つようになってた。自分の気持ちをどんどん隠すことばかり上手くなって、本音で誰かに向き合わなくなってた。それで上手くいくって本気で思ってた」


 でも、そうじゃなかった。


「今まで、ごめんなさい……。それから、怒ってくれて、ありがとう」


 拭ったはずなのに、涙が次から次に溢れてきて頬を濡らしていく。けれど泣いているのは彩楓だけではなかった。藤乃も朱莉も同じように目を真っ赤にして泣いていた。

 お互い顔を見合わせて、それから噴き出した。


「ふっ、ふふっ。ふたりともちょっと泣きすぎじゃない?」

「そういう藤乃だって、泣きすぎてウサギみたいな目になってる」

「彩楓には負けるよ。ってか、彩楓が泣いてるところ初めて見た」


 藤乃の薄らとしていたメイクは取れているし、朱莉のさらさらの髪の毛は涙のせいでベトベトだ。彩楓の目も擦りすぎたせいで腫れぼったくなっている気がする。

 でも、それでも上辺だけで笑っていたときよりもずっと清々しくて楽しかった。


「私の愛想笑いって癖、というか……トラウマみたいなもので」


 だからこそ、ふたりに言わなければいけないことがあった。


「なるべく意識して直すようにはしようと思うんだけど、つい無意識のうちにやっちゃうときもあると思うんだ。だから」


 ふたりをまっすぐに見つめた。こちらを見つめ返してくれる大切な友人の姿を。


「だからそのときは、怒ってほしい。面倒なこと頼んでるって思うんだけど……」


 言いながらどんどん声が小さくなっていく。嫌な思いをさせていたらどうしようという不安が彩楓を襲う。けれど。


「あーよかった」


 聞こえて来たのはあっけらかんとした藤乃の声だった。


「だから許してほしいとか言い出したら怒るところだった」

「わかる。大丈夫だよ、次愛想笑いなんてしたら脇腹思いっきりくすぐってあげるから」

「そうそう、本当の気持ち言うまでやめてあげないからね」


 彩楓の不安を吹き飛ばすように藤乃も朱梨も笑ってくれる。

 ふたりと友達になれてよかった。ふたりを好きになってよかった。


「うん!」


 彩楓は頷くとふたりに飛びついた。大好きで大切なふたりに。

 

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