第10話 優しさに隠された本音

 響弥の言葉の意味が、彩楓は上手く理解できないでいた。待っていたと言ってもそれは結果に過ぎなくて、本質はただ教室に来てほしくなかっただけだ。

 なのにそんな彩楓の行動を、真実を知っても響弥は『嬉しい』と言ってくれる。どうして。

 不思議に思いながらも、響弥のような考え方ができればきっとドロドロした気持ちを持たずに済むのではないかと思った。そうすれば彩楓のような思ったことを全て呑み込んで、周りに合わせて誤魔化すだけの愛想笑いではなく、響弥みたいに全てを理解した上で笑いかけることができるのではないかと。


「食べようか」

「……はい」


 それでも、染みついてしまった習慣というのはなかなか抜けず、声をかけてくれる響弥に彩楓は薄っぺらい笑みを返した。



 響弥と向かい合わせでお弁当を食べる。卵焼きを頬張ると、少ししょっぱかった。


「どうかした?」


 彩楓の表情が変わったことに気付いたのか、響弥は優しく声をかけてくれる。彩楓は苦笑いを浮かべながら卵焼きを指差した。


「お塩入れすぎたみたいでちょっとしょっぱくて。失敗しちゃいました」

「卵焼き、意外と難しいよね。俺も、ほら。ちょっと焦がしちゃった」


 響弥は箸で摘まむと、自分のお弁当箱から卵焼きを持ち上げた。言われてみれば、黄色いはずの卵焼きに茶色い焦げがあるのが見えた。けれど、気になったのはそこではなくて。


「先輩、自分でお弁当作ってるんですか? すごい」

「すごくないよ。必要に駆られてってだけ。それに失敗しちゃったってことは彩楓ちゃんも自分で作ってるんでしょ?」

「まあ、そうですけど。でも私の場合はお母さんが忙しい今の時期限定なので」


 母親の仕事が繁忙期で、朝は六時に家を出て夜は十時頃帰って来る生活を送っている。その状態でお弁当を作らせるわけにはいかないと数日前から一か月限定で自分の分のお弁当は自分で作っていた。


「それに卵焼きとウインナー以外はほとんど冷凍食品ですし」


 言いながら恥ずかしくなってきてへへっと笑った。響弥のお弁当はいかにも『手作り!』という感じで、卵焼きもにくじゃがも、それからアスパラガスの牛肉巻きも美味しそうだ。

 

「お母さんが忙しいからって、手伝おうとするだけでも偉いよ。それに冷凍食品を使ったって別にいいんじゃないかな。時間を有効活用しているだけだよ。俺だって唐揚げは冷凍のを温めただけだし、肉じゃがは昨日の晩ご飯の残りだしね」

「そんなふうに言ってくれてありがとうございます。それにしても先輩のお弁当、おいしそうですね! 先輩はずっと自分で作ってるんですか?」


 少しの興味と、それから褒められたことに対する照れ隠しを隠すために、彩楓は響弥に尋ねた。響弥は口に入れた卵焼きを食べ終えると、なんともなしに答えた。


「そう。うち両親がいなくて祖母と暮らしてるから。弁当まで負担かけたくなくてさ」

「え……」


 さらりと言われた言葉に彩楓は思わず声を失った。動揺してお箸を落としそうになって慌ててギュッと握りしめる。

 平然とした顔をしているけれど、両親がいないなんていう話をそんなに自然と言えるわけがない。

 ごめんなさい、と口走りそうになって彩楓は慌てて口を噤んだ。

 きっと今まで何度もこの話をいろんな人にしてきて、その中で「可哀想に」といか「ごめん」とか言われたのだろう。だからこそこうやって自然に話したんだと思う。相手から同情の言葉を言われないために。

 なら、彩楓がかけるべき言葉はなんだろう。なんと言えば響弥を傷つけずにいられるだろう。


「……そうなん、ですね」


 小さく息を吸って、口を開く。


「でもご飯を買うって選択肢もある中で作ってみようって思うのはすごいです!」


 できるだけ明るい声のトーンで、重くならないように心がけて彩楓は言う。そんな彩楓の言葉に、響弥は驚いたように目を丸くして、それから微笑んだ。


「やっぱり彩楓ちゃんは優しいね」

「え? 私が、ですか?」

「そう。気を使ってくれてありがとう」


 響弥の言葉に彩楓は、小さく首を振った。

 優しいなんて嘘だ。こんなの仮初めの言葉でしかない。何の解決にもなっていない。

 ただ耳障りのいい言葉で誤魔化して、その場を乗り越えれたらいいと思っているいい加減な言葉だ。


「そんなこと……! 私なんて全然ダメで、誰に対してもいい加減な態度を取ってしまうんです」

「そんなふうには俺には見えないけど」

「見えないかもしれないけど、実際の私はこういうやつなんです。だからもし別れたければいつでも言ってくださいね。こんなやつに付き合っててもしょうがないでしょうに……」

「そんなことないよ」


 今度は響弥が彩楓の言葉をさえぎる番だった。お箸を置くと、まっすぐに彩楓を見つめた。


「君は優しいよ。さっきのだって俺のために言ってくれたでしょ。あれが言われた人を傷つけないための言葉だってことはわかってるから」

「先輩……でも……! 私は、こんな私のことが好きじゃないです……」


 今までの彩楓なら決して言い返さなかった。だから、言い返してしまった自分が信じられなくて思わず俯いて黙り込む。

 そんな彩楓に少し考えるように黙ったあと響弥は優しく声をかけた。


 「自分のことを全部好きな人なんてきっといないよ。嫌いなところも含めて自分なんだから」


 その言葉に顔を上げる。響弥の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようにさえ思えた。

 響弥の言葉の奥に何かがあるように思えて仕方がない。そばにいればいつか、その言葉の裏に隠された響弥の思いを、知ることができる日が来るのだろうか――。                                                                                                                                                                    

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