第7話 一緒にいると笑顔になれる

 その声が聞こえた瞬間、教室の中がざわめきとどよめきに包まれた。そしてそれは、先ほどまで彩楓に対して怒っていた朱莉と藤乃も同様だった。


「なっ、なんで池田先輩が……!?」

「え、もしかして彩楓に会いに!? この短い休み時間の間にわざわざ!?」


 彩楓の背中をバンバンと叩きながら「なんで!?」と繰り返す。けれどなんでと言われたところで彩楓にだって理由はわからない。お昼ご飯を一緒に食べようと言われていたので昼休みはどうにか先輩が来る前に教室から出なければと思っていたけれど、まさか一時間目の休み時間に来るなんて。


「ほ、ほら。彩楓! 行って来なよ!」

「そうだよ! 先輩のこと待たせちゃ駄目でしょ!」

「え、あ、ちょっと……」


 背中をぐいぐいと押してくる二人の圧力に負けて、彩楓は教室の入り口に立つ響弥の元へと向かった。


「急に来てごめんね」


 そう言いつつも笑みを浮かべる響弥に彩楓は恐る恐る尋ねた。


「あの……お昼の時間はまだ先ですよ……?」


 彩楓の言葉に響弥は――。


「ふっ、ふふ……あはははは」


 腹を抱えて笑った。


「え、あ、あの……?」

「あ、ごめんね。つい……ふふ。彩楓ちゃんっておもしろいね」

「おもしろい、ですか……?」


 その言葉に過剰に反応してしまう。「彩楓っておもしろいよね」そうやって友人たちが言うときは決まって彩楓のことを下に見て馬鹿にしているときだ。


 この人も、そうなのだろうか。


「うん、おもしろい。というか、癒やし系? 一緒にいるとこっちまで笑顔になれる」

「笑顔に……」


 馬鹿にして笑っているわけじゃないことは、響弥の表情を見ればすぐにわかった。なのにさっきみたいなことを考えてしまった自分が恥ずかしい。

 でも、一緒にいると笑顔になれるなんて思ってもらえたのは初めてだ。

 自分の笑顔はニセモノで、本当の笑顔に比べれば汚くて全然いいものなんかじゃない。本当に素敵なのはいつでも優しい笑みを携えて笑いかけてくれる響弥みたいな笑顔だ。そうわかっているのに、響弥の言葉は彩楓の胸の奥をあたたかくさせる。


「彩楓ちゃん?」

「なんでもないです。先輩の笑顔って素敵なので、一緒にいると笑顔になれるって言ってもらえるととても嬉しいです」

「あー……や、それは」


 嬉しい気持ちを込めて伝えた言葉に、響弥は片手で口元を隠した。どうかしたのだろうか。


「先輩……? 私、何か変なこと言いましたか……?」

「あ、いやそうじゃなくて……。それって、天然……?」

「えっと……」


 何を言われているのか全くわからない。どうしていいかわからずにおろおろしている彩楓に、響弥はふっと笑った。


「なんでもない。でも今みたいなこと、他の男子に言っちゃ駄目だよ? 勘違いされちゃうからね」

「他の男子に? そんなこと言うわけないじゃないですか。先輩にしか言わないですよ」


 他の男子の笑顔を見てもなんとも思わない。それに男子はすぐに大きな声を出したりふざけて殴り合ったりするから嫌いだ。みんなが響弥のように落ち着いていて優しければいいのにと思ってしまうほど。

 だから――。


「って、先輩……? 顔、真っ赤ですよ!? 熱してるんじゃないですか!? 保健室に行った方が……」

「ったく、この子は……」


 心配する彩楓の頭に、響弥は二度三度と優しくポンポンと触れた。


「熱はないから大丈夫。ああ、そろそろチャイムが鳴るし、教室に戻って」

「え、で、でも。何か用があって来たんじゃあ……」


 早口で言うと彩楓を教室に戻そうとする響弥に尋ねた。そもそも何のために教室まで来たのか未だに理由はわかっていなかった。


「彩楓ちゃんのことが気になって様子を見に来ただけだよ」

「私の?」

「そう。誰かに何か言われてないかなって思って。でも」


 教室に視線を向けると響弥は、彩楓のことを気にしてこちらを見ていた朱莉と藤乃に微笑みかけた。


「友達がついててくれるなら大丈夫だね。二人とも彩楓ちゃんの友達だよね。彩楓ちゃんのことよろしくね」

「は、はい!」

「もちろんです!」


 響弥から声をかけられて、二人は舞い上がるように声を上擦らせて返事をする。そんな乙女な表情見たことないと思うぐらいに頬を赤く染めて。


「それじゃあ俺は教室に戻るよ」

「ありがとう、ございました」

「ううん、全然。そしたらまた昼休みにね」


 来たときは悲鳴が上がった教室内を、響弥が去ったあとはため息が包み込む。

 改めて、響弥の人気を思い知らされる。


 自分の席に戻った彩楓は、夢見心地に話すふたりの会話に混じれなかった。


「はー、やっぱり池田先輩格好いいよね」

「格好いいのもあるけど、あの笑顔が素敵だよね! 微笑み王子!」

「え、やだ。何そのちょっとダサいネーミング」

「そうかな? じゃあ何だろう。スマイルプリンス?」

「一緒じゃん! センスどこやったの!」


 両手を組みながら言う藤乃に、朱莉は呆れたように首を振る。普段なら揉めそうな一言だけれど、今日はあっさりと受け流されるのは響弥高価なのだろうか。

 女子に人気で優しくて明るい先輩、ということぐらいしか知らない彩楓は、おずおずとふたりに響弥のことを尋ねた。


「先輩ってすごく人気、だよね?」


 つい疑問系にしてしまった彩楓に、ふたりは食いつくように顔を寄せた。


「だよね? じゃないよ。めちゃくちゃ人気。二年生だけど三年生にも池田先輩のこと好きって人いるし、一年なんて二年が怖くて告白さえできないって泣いてた子もいるんだから」

「そんなになんだ……」

「元カノもめっちゃ美人さんばっかり! だからなんで彩楓と付き合うことになったのか不思議だよ」

 

 藤乃の言葉に胸の奥がチリつく。それを感じ取ったのか、朱莉が藤乃の肩をそっと小突くのが見えた。


「ちょ、ちょっと。藤乃……」

「なに? どうしたの?」

「どうしたのってあんた……」

 

 一瞬顔が引きつりそうになるのを堪えて、彩楓は必死に笑った。笑顔の仮面で本音を覆い隠すように。


「ひ、ひどいなー。そりゃ私は美人じゃないですけど? そこまで言わなくてもよくない?」

「いやいや、元カノのこと見たら絶対ショック受けるレベルだよ。あ、今度見に行く?」

「どこの世界に、自分の彼氏の元カノを見たい女子がいるのよ。ほら、馬鹿なこと言ってないで席に戻るよ」


 まだ何か言いたそうだった藤乃を引っ張るようにして朱莉は自分の席へと戻っていく。彩楓にだけ聞こえるぐらいの小さな声で「ごめんね」と囁いて。そんな朱莉に「大丈夫だよ」と笑いかけることしか彩楓にはできなかった。 

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