第6話 友達なんだから
春ヶ丘高校では、一年生の教室は二階、二年生の教室は三階にある。
「それじゃあ、私こっちなので……」
「うん、わかった。あ、そうだ」
ぺこりと頭を下げて廊下の方へ曲がろうとする彩楓を響弥は呼び止めた。
「お昼休み、迎えに行くから一緒にご飯食べようね」
「え、あ、それは」
響弥が教室に迎えに来たりなんかしたらきっと女子たちが騒ぎ立てる。教室が居心地の悪い空間になるのは避けたい。といっても、もうすでになっている可能性は十分にあるのだけど、わざわざ確実に引き起こすであろう選択をするのはさすがに。
うだうだと、それでいてなんて言えば穏便に、この優しい笑みを浮かべる先輩を傷つけずに断れるだろうかと彩楓が考えているうちに、響弥は「じゃあ、昼休みにね」とひらひら手を振りながら階段を上がって行ってしまう。
「え、先輩? ちょっと、ま……って、行っちゃった……」
彩楓が引き留めるより早く、響弥は階段を上がってあっという間にその姿は見えなくなってしまった。
「はぁ……」
人の顔色を窺いすぎて、言いたいことを言えないのは自分の悪い癖だと彩楓自身自覚している。けれど、わかっていてもどうしようもないことはたくさんある。
嫌な顔をされたらどうしよう。自意識過剰だって思われたら? そんなつもりなかったのに。どうしてそんなふうに思うの? 自分の言葉で相手がどう思うのかが怖い。それなら全部気持ち呑み込んで、笑って「大丈夫だよ」と言っていれば波風立たずに過ごすことができる。
それでいいと、そう思って今までずっと生きてきた。なのに。
ひとりで教室の前に立つと、心臓が嫌な音を立てて鳴り響く。この扉を開けたら、いったい何を言われるのだろう。
嫌だ、逃げ出したい。
「岡町? 何をやってるんだ?」
「え、あ、先生……」
背後から声をかけて来たのは、数学の先生だった。そういえば、今日の一時間目は数学だった気がする。
「こんなところに突っ立ってないでさっさと教室に入りなさい。ん? その格好、今来たのか? 遅刻か?」
「あの……その、電車の中で気分が悪くなってしまって」
「そうか。もう大丈夫なのか? 担任の先生にも言っておけよ」
わかりました、と返事をする彩楓の隣で数学の先生は教室の扉を開けた。瞬間、視線が彩楓へと集まってくるのを感じる。
「じゃあ、授業始めるぞ。何ざわついてるんだ。ほら、岡町はさっさと座る」
「は、はい」
明らかに女子たちは彩楓に対して何か言いたそうだったけれど、授業が始まってしまえばそれを態度に出すこともできない。
おかげで授業中は何も言われることのないまま平穏無事に過ごすことができた。
――授業中は。
チャイムが鳴り響き、先生が授業の終わりを告げる。普段ならその場でお喋りをしたりお手洗いに行ったりするはずが、今日はみんな様子を探るかのように彩楓へと視線は向けつつもその場から動かずにいた。
「彩楓ー、おはよ!」
「おはよー、遅れてきたから心配しちゃったよ」
「藤乃も朱莉もおはよ。学校来る途中に電車の中で気持ち悪くなっちゃって。遅くなっちゃった」
へらっと笑いながら、先ほど数学の先生にしたのと同じ言い訳をふたりに告げる。
「寝坊して朝ご飯食べられなかったせいかも」
「もー、彩楓ってば」
「心配するんだから連絡ぐらいしてよね!」
「ごめんね! 次からはそうする!」
両手を合わせてふたりに謝る。全てが本当ではないけれど、だからといって全てが嘘なわけでもない。でも、気分が悪くなった原因を聞かれてしまえば答えることができないので、こう言って申し訳なさそうに笑うしかできなかった。
そんな彩楓にふたりは顔を見合わせると、声を落とした。
「連絡といえば!」
「私たちまだ聞いてないんですけど!」
「え?」
聞いてない、と言われて一瞬なんのことかわからなかった。けれど、ふたりにはそんな彩楓の態度がすっとぼけていると映ったのか、イラッとした空気が辺りを漂った。
「池田先輩のこと!」
「あ……」
しまった。友達なら、当たり前に報告をしなければいけない。そうじゃないと怒られるのは知っていたのに、昨日の夜はそれどころじゃなくてつい連絡を怠ってしまった。
「昨日の夜、別のクラスの友達からメッセで回ってきてさ、私すっごくビックリして! でも、彩楓から言ってくれるって思ってたから連絡せずに待ってたのに」
「私だって、部活中に運動場から彩楓が池田先輩と帰ってるところが見えて、まさか! って思ってさ。でも何の連絡もないからやっぱり違ったんだと思ってたのにさ」
マシンガンのようにふたりがどれだけ自分たちがショックだったかをぶつけてくる。そんなふたりに彩楓はただ謝ることしかできなかった。
「ご、ごめんね。私もちょっと混乱してて、いったい何が起きてるのか全然わかんなくて。もちろん今日学校に来たらふたりに話を聞いてもらいたいってそう思ってたよ? でも、昨日はホントそれどころじゃなくて」
「私たちに連絡するどころじゃないぐらい池田先輩とのことに浮かれてたってわけだ」
「はーー、友達だって言ったって彩楓にとって私たちはそんなもんなんだね」
けれど、謝罪の言葉を重ねても怒っているふたりには届かない。それどころか彩楓の言葉がきっかけで余計に怒りが大きくなっている気がする。
どうしよう、このままじゃ――。
「まあまあ、そんなに俺の彼女のこといじめないであげてよ」
其の声に顔を上げると、教室のドアにもたれかかりながら、眉を八の字にして困ったように笑う響弥の姿があった。
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