第3話 本物の笑顔

 右手を差し出し、にこやかな笑みを浮かべる響弥に左手をおずおずと重ねる。自分の手より少し大きな響弥の手は冷たくてゴツゴツしていた。


「それじゃあ、とりあえず一か月よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 ギュッと手を握りしめる響弥は嬉しそうに笑みを浮かべている。それに対してどうしても作り物の笑顔になってしまう自分が嫌になる。愛想笑いだと見抜かれたりしないだろうか、もっと自然に笑えよと思われたりしないだろうか。

 そんな自問自答をしながらも、心のどこかでこのお付き合いも長続きしないだろうと感じていた。

 今までも、彩楓の笑っている姿が好きだと言ってくれる人はいた。その中の何人かと付き合ったこともあった。自分の笑っている姿は嫌いだったけれど、誰かが好きだと言ってくれるならもしかしたら好きになれるかもしれない。何より、自分のことを好きだと言ってくれるのが嬉しかった。

 でも、最後はみんな離れていった。『何考えているかわからない』『ずっと笑顔だけどホントに笑ってる?』と言って。

 だけどそう言われるのも仕方がないと彩楓自身もわかっていた。だって、その人たちの前でどうしても愛想笑いを浮かべることができなかったから。自分の本音を口にすることが出来なかったから。

 だから今回も同じだ。目の前で柔らかい笑みを浮かべながら立つ響弥もきっと、一か月も経たないうちにその表情を曇らせて言うだろう。『もう別れよう』って。

 わかりきっている結末が虚しささえ感じさせる。

 聞こえていた弓道場の声が止まった。休憩時間なのだろうか。 


「えっと、そうしたら私は……」

「ね、歩き? それとも電車?」

「え、あ、電車です」

「そしたら一緒だね」


 響弥は当たり前のように「じゃあ帰ろうか」と彩楓を誘う。本当は帰りに本屋へ行って新刊のチェックをしたい。でもそれを響弥に言うことはできない。


「は、はい」


 笑って頷くと、彩楓は響弥の隣に並ぶと歩き出す。

 ふたりで校門までの道のりを歩いていると、運動場がにわかに騒がしくなった。


「えっ、なんで……!」

「何あれ、普通の子じゃん」


 非難めいた声があちらこちらから聞こえて来た。知ってはいたけれど、響弥はとても人気がある。今だって歩いているだけで何人もの女の子が響弥に視線を向けている。みんなの人気者で憧れの人。そんな人の彼女が、自分で本当にいいのだろうか。


 やっぱり今からでも、たとえ嫌な顔をされたとしても断ったほうがいいのでは。でも今断れるぐらいなら最初から引き受けたりしていない。


 答えの出ない問いかけを自分の中でグルグルと繰り広げていると、いつの間にか響弥が彩楓の顔をジッと見つめていた。


「ど、どうしましたか?」


 にへら、とした笑みを浮かべながら響弥を見上げる。すると、ふっと笑って響弥は目を細めた。


「ううん、なんか難しい顔をしてたから考え事かなって思って」

「す、すみません。隣にいるのに黙ったままで……」


 慌てて謝る彩楓に響弥はキョトンとした顔を向けた。


「どうして? いろんな顔が見えるの、嬉しいよ」

「そう、ですか?」

「うん。ああ、でも。好きな子の悲しい顔は、見たくないかな」


 そう言って微笑む響弥の顔が、笑っているはずなのにどこか悲しげに見えて妙に胸に引っかかった。

 そういえば、告白してくれたときも『いつも君が笑っているから』と言っていた。笑っている顔が好きだから、悲しい顔が見たくない? それとも、悲しい顔を見るのが嫌だから笑っている子がいい?


 その答えは今の彩楓には出ないけれど、一か月だけの付き合いならせめて嫌な思いはさせないように、なるべく笑っていよう。愛想笑いだけは、得意だから。



 ようやく着いた駅で、響弥は彩楓に尋ねた。


「俺はこっちだけど、彩楓ちゃんは?」


 当たり前のように『ちゃん付け』で呼ばれて少しだけドキッとする。それを愛想笑いで隠しながら、彩楓は響弥と同じ方を指差した。


「私もこっちです。途中で乗り換えなんですけど」

「そっか、じゃあそこまでは一緒に帰れるね」


 ふわっと笑う響弥の表情は本当に自然で、ああこの笑顔にみんな惹かれるんだなとわかってしまう。響弥の表情には優しさやぬくもりが込められているように感じる。

 貼り付けた能面のように冷たい彩楓の笑みとは大違いだ。


「そう、ですね」


 笑顔を浮かべようとしているはずなのに、心の奥がずーんと沈み中途半端に乾いた笑いを向けてしまう。こんなんじゃダメだとわかっているはずなのに、どうしても上手く笑うことができない。それはきっと本当の笑みを浮かべる響弥の隣だから。


「ねえ、彩楓ちゃん」

「え、あ、どうしました……か? って、え」


 顔の前にあったのは羊のようなクマのような謎のぬいぐるみだった。可愛くないわけではないけれどどちらかというとブサカワといったほうが正しい気がする。これはいったい、と彩楓が尋ねるよりも早く、響弥はぬいぐるみのお腹を親指で押した。

 その瞬間、ぬいぐるみから『ふぬあー』というなんとも言いがたい音が聞こえた。


「ふ、ふふ……あはは。え、これ羊? クマ? というか何今の鳴き声……って、あっ」

「ふふ、変だよね」


 彩楓を見下ろすようにして、響弥は優しい笑みを浮かべていた。気を、使わせてしまったのかもしれない。


「すみません、私……」

「なんで謝るの? ほら、彩楓ちゃんも鳴らしてみて」

「え、えええ」


 言われるままにぬいぐるみのお腹にそっと触れると――先ほどと同じように『ふぬあー』という気の抜ける鳴き声が聞こえた。


「……変ですよね?」

「変だよね」


 彩楓は響弥と顔を見合わせると、もう一度笑った。愛想笑いじゃなくて、自然な笑顔で。

   

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