第2話 君を好きな理由

 突然、声をかけられた彩楓は戸惑いを隠せないまま、目の前に立つ人の姿をマジマジと見てしまう。

 整った顔立ち、柔らかそうな髪の毛、テレビに出てくるアイドル顔負けの笑みを浮かべて、その人は彩楓の前で立っていた。

 誰か、なんて聞く必要はなかった。池田いけだ響弥きょうや先輩は、彩楓よりひとつ年上の高校二年生。桜高に通う女子生徒なら、一度は見とれたことがあると言われるぐらいに、全学年の女子生徒から大人気だった。

 彩楓ももちろん存在は知っていた。いつだって笑顔を絶やさない人。彩楓とは違う、本物の笑顔を浮かべている人。

 愛想笑いばかりしている彩楓だからこそ、わかってしまう。ニセモノの笑顔と本物の笑顔の違いが。響弥の笑顔は、間違いなく本物だった。


 でも、そんな響弥がいったいどうして彩楓に声をかけてきたのか、全くわからなかった。名前を呼ばれたから、人違いというわけでもないだろうし。


「えっと、何の用でしょうか……?」


 あの場で話していると目立ちすぎるから、と響弥に連れられて中庭へと向かった。近くにある弓道場からは練習の声が聞こえてくる。

 ベンチに並んで座り恐る恐る尋ねる彩楓に、響弥は誰もが好きになってしまうような笑みを浮かべた。


「彩楓ちゃんのこと、いつも見てて。いいなって思ってたんだ」

「いいなって……」


 いったい何がどう『いいな』なのか教えてほしいけれど、それを面と向かって聞けるほど、彩楓の神経は図太くなかった。


「は、はあ」


 戸惑いながらも、ううん。戸惑っているからこそ笑顔を作ってしまう。


「それは、えっと、ありがとう、ございます?」


 頑張ったものの疑問形になってしまったお礼に対して、響弥は「ふふっ」と笑った。


「彩楓ちゃんっておもしろいね」

「そう、ですかね……?」


 そんなふうに言われたのは初めてで、褒められているのか馬鹿にされているのかさえわからない。いや、響弥以外からだったら間違いなく馬鹿にされていると感じたはずだ。なのにどちらか確証が持てないのは、響弥が絶えず浮かべている笑みのせいなのかもしれない。


「えっと、いいなと思ってくださってありがとうございます」

「うん、それでさ付き合ってほしいんだ」

「……誰と、ですか」

「俺と」

「……え?」


 ついうっかり『どこにですか?』と聞いてしまいそうになるほど、響弥は気軽に、まるで『ジュースでも買ってきてよ』とでも言うかのように言う。いっそジュースを買ってくるように頼まれたほうが引き受けるにしても断るにしてもよかったかもしれない。


「ど、どうしてですか」

「ん? どうしてって?」


 それでも彩楓は尋ねずにはいられなかった。だって響弥ほどモテている人が、自分なんかに付き合ってと告白をしてくるなんて何かの間違いじゃなければのっぴきならない理由があるに違いない。全くその理由が思いつかないけれど。


 まっすぐに響弥を見上げていると、ふわっとした笑顔で響弥は言った、


「君がいつも笑っているから」

「え……」


 まさかそれが付き合ってほしい理由……?

 そんなこと言われると思っても見なくて、ショックさえ受けてしまう。自分の嫌いなところを気に入ってくれた。それは人によっては嬉しいことなのかもしれない。けれど彩楓にとってはどうしようもなく苦しいことだった。

 断ろう。せっかく自分のことを好きだと言ってくれたけれど、響弥の好きな自分を自分ではどうしても好きになることができないから。


「あの、私……」


 お付き合いできません、と続けようとした彩楓の言葉を遮るように、響弥は口を開いた。


「お試しでもいいんだ」

「お試し、ですか?」

「そう。たとえば一か月。一か月付き合ってみて、僕のことが好きになれなければフってくれて構わない。どうかな?」


 そこまで言われて、それでも頑なに『ノー』を突きつけられるほど、彩楓はつよくなかった。


「それ、なら……」


 いつもよりもさらに曖昧な愛想笑いを浮かべると、躊躇いながらも頷いた。

 人の機嫌を損なうのが嫌で、周りの反応に即した返事をしてしまう。頼まれごとを断るのも苦手で、教師の手伝いや友人たちの掃除当番を引き受けてきたけれど、まさか告白の返事にまでこんな態度を取ってしまうなんて自分で自分が情けなくなってしまう。


 けれど、落ち込む彩楓とは反対に、響弥は嬉しそうな笑みを浮かべ、顔をくしゃっとさせた。


「やったね」


 自分なんかと付き合うことがそんなにも嬉しいのかと思うと、胸の奥がじわっとあたたかくなるのを感じる。

 でも、きっと響弥もそのうち気付く。彩楓の笑顔が本物ではなくて、ニセモノだということに。そのときに響弥はどんな反応をするのだろう。騙されたと思うのだろうか。それとも……。


「それじゃあ、これからよろしくね」

「あ……私こそよろしくお願いします」


 響弥の言葉に彩楓は慌てて頭を下げる。

 断れなかったからと言って、付き合うことになってしまったけれどこれで本当によかったのだろうか。そんな疑問を抱えながら、彩楓はへらりと愛想笑いを浮かべた。

 

 

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