君との思い出が、涙に溶けて消える前に
望月くらげ
第一章 笑顔という名の仮面の下に
第1話 大っ嫌いな自分自身
ざわつく一年三組の教室で、
記念日を忘れただとか行きたいって言ってた場所を勘違いされたとか、本当に些細なことばかりだ。
「って言うんだよ! 酷いと思わない!?」
頬を膨らませながら言う藤乃に朱莉は大袈裟に頷いた。
「それは酷いよ! ね、彩楓も酷いって思うよね!」
「うん、酷い! そんなこと言わなくてもいいのにね!」
朱莉と彩楓が自分の味方について怒ってくれる、それだけで随分と気持ちは落ち着いたらしく「だよねー!」とまだ怒った口調で言いながらも藤乃は机の上に置いたチョコレートをひとつ頬張った。
「はー、ふたりに話したおかげでだいぶ気持ちが楽になったよ! ありがとうね」
「全然だよ。話を聞くぐらいならいつでもできるって! ね、彩楓」
「うん、そうだよ。いつでも話してね」
笑みを浮かべる彩楓に、藤乃は「もう大好き!」とひとつ前の席から抱きついた。その態度にもう一度へへっと笑う。
「彩楓も何かあったらいつでも話してね!」
「そうだよ、彩楓もちゃんと相談してよね。なんかこう彩楓ってば、私たちの知らないところで変な人に絡まれてそうで心配なんだよね」
朱莉の言葉に、藤乃は「そうそう!」と力強く頷いた。
「なんかしっかりしているように見えて誰もいないところで転んでそうっていうか」
「知らない人に声をかけられて誘拐されそうっていうか」
ふたりは口々に彩楓の心配なところをあげていく。最初こそ心配している様子だったけれど、途中からはどこかいじっているようなからかっているような口調に変わったのに気づかないわけがなかった。
「ボーッとしてるからマンホールが開いてても気づかなそう!」
「わかる! あと犬の尻尾踏んで追いかけられたりとか!」
「えー! さすがにそこまで酷くないって!」
別に楽しくもなんともないのに、ふたりの言葉に笑ってしまう。
「彩楓のそうやって笑い飛ばしてくれるのいいよねー!」
「そうそう、本気にして怒ってくる子とかいるけどああいうのってノリ悪くてちょっと嫌だよねー!」
好き勝手言う二人に、彩楓はもう一度愛想笑いを浮かべた。
怒ってくる子の方が、彩楓よりもよっぽどかいいと思ってしまう。だってこんなふうに本心を押し殺して愛想笑いで誤魔化すんじゃなくて、きちんと自分の気持ちを伝えているのだから。
いつからか忘れたけれど、愛想笑いが癖になっていた。楽しいことがあるときはもちろん、嫌なことがあったときも苛ついたときも、悲しいことがあったときでさえもついつい笑顔を向けてしまう。
この癖のせいで怒らないと勘違いされたり悲しんでないと誤解されたことは一度や二度ではない。治せるものなら治したい。でも一度癖付いてしまったものは、ちょっとやそっとじゃ治らないのだ。
「え、待って待って」
朱莉の言葉に何かが引っかかったらしく、藤乃は両手を前に出してストップをかけた。
「ねえ、今の本気にして怒ってくる子って私のこと言ってる? ほら、この前の」
何かを思い出したらしい藤乃と、反射的に『まずい』という表情を浮かべる朱莉。意図的に藤乃のことを言ったつもりはなかったのだろう。けれど思い当たるところがあったようだった。
ふたりの間に嫌な空気が流れはじめる。こういう空気が一番嫌いだ。居心地が悪く、妙に心拍数が早くなる。
今すぐにこの場から逃げ出したい。でもきっとそういうわけにはいかない。
「……ま、まあまあ」
にへらっと愛想笑いを浮かべると、彩楓は藤乃と朱莉、ふたりへと交互に顔を向けた。
「別に藤乃のことなんて言ってないって! ね、朱莉!」
「そ、そうだよ!」
「ふーん? そうなのかな」
それでもまだ疑わしげに彩楓と朱莉を見てくる藤乃に笑ってみせる。
「ね、大丈夫だって!」
「まあ、そういうことにしようかな」
どこか不服そうではあるけれど、納得してくれた藤乃にホッとした。
人との間に波風が立つのが嫌だ。でもだからといって、楽しくもないのに笑ってしまう自分はもっと嫌だ。
嫌だ嫌だと思いながらも変わることのできない自分自身は、大っ嫌いだ。
自己嫌悪に陥ったまま、その日の放課後を迎えた。藤乃は吹奏楽部に、朱莉は女子サッカー部へと向かう中、彩楓はひとり帰る準備をすると教室を出た。
部活動は強制ではないけれど、ほとんどの人がどこかの部に所属している。当初は無難にどこかの部活に入ろうと思っていた彩楓だったけれど、入学早々風邪を引いて一週間ほど休んでしまっている間に、部活の申込期間が終わってしまっていた。
他の子たちが見学も終わり仮入部期間を過ごしている中で、今さら自分だけ見学させてくださいとは言えず、結局帰宅部となってしまった。
でも、誰かといるとついつい愛想笑いを浮かべてしまうので誰とも一緒に過ごさずにいられる帰宅部はよかったのかもしれない。
昇降口で靴を履き替え外に出る。ゴールデンウィークが終わり、梅雨が来るにはまだ早いこの時期は暑くも寒くもなくて心地よかった。
今日は帰ったらどうしようか。久しぶりに本屋さんに寄って帰るのもいいかもしれない。そんなことを考えていると彩楓の背後から声が聞こえた。
「あの」
「…………」
「あの、岡町彩楓さん」
「え? 私、ですか?」
振り返った先にいたのは――優しい笑みを携えた男子生徒だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます