第4話 余命

「小夜子夫人、私から話しても?」


 山本医師が小夜子にお伺いを立てるような仕草をした。

 頷く小夜子。

 山本医師が口を開いた。


「実はね、小夜子夫人にはすでに伝えてあったのだけれど、斉藤の心臓はそれほど長くはもちそうにないんだ。三か月前の定期健診で冠状動脈が細くなっている場所がみつかった。今の奴の体力ではカテーテル手術も無理だし、第一本人が頑なに入院を拒んでいる。そうなると、とにかく安静にして破れない事を祈るしかないのだが。今回のことで相当な負担になっているだろうから……」


 山中が目を見開く。


「ご主人様はもう?」


「うん、あの時点でもって半年という見立てだった。しかし小夜子夫人をはじめとしてみんなが献身的に尽くしてくれているから、もう少し伸びると思っていたのだがね。長くてもひと月……はっきり言って今夜死んでも不思議ではないよ」


 小夜子が両手で顔を覆う。

 使用人たちは沈痛な表情を浮かべていた。


「覚悟はしておいてくれ」


 それきり口を閉ざした山本医師は、両手を組んで目を閉じた。

 小夜子がふと立ち上がり、斉藤の枕元へ向かう。


「旦那様……もう少し頑張ってくださいな。お願いですから」

 

 相思相愛の夫婦とは言わないが、小夜子の行動は常に夫を優先したものであることを知る四人は、小夜子の口から零れた言葉に悲しそうな顔をした。


 執事の山中は、じっと夫の顔を見つめる当主夫人の横顔を見ながら、もしこのままご主人様が亡くなったらどうするのだろうかと考えた。

 当主である斉藤雅也は、いわゆる戦争成金だ。

 軍部に深く入り込み、物資の裏取引で財を成したと聞いている。

 終戦後はその金を元手に株で儲け、今の暮らしを手に入れたらしい。


 斉藤に子は無く、斉藤のどん底次代を支えた最初の妻は終戦直後に病没、すぐに迎えた後妻は花街の芸者だった。

 金儲けに忙しい斉藤に構ってもらえず、浮気を繰り返したその後妻を叩きだし、それからは独身を貫いていた。

 自分が雇われたのはその頃だったと山中は感慨深く回想を続ける。


 山中と斉藤が出会ったのはデパートの貴金属売り場だった。

 大学を卒業し、そのデパートに就職した山中が配属されたのが貴金属売り場。

 両手にそれぞれ派手な女をぶら下げた斉藤が、その女たちに選ばせた指輪を見た山中が口を挟んだのが縁の始まりだ。


「その指輪はデザインも新しく、人気の石ではございますが、出回っている数も多く今後の値打ちを考えるとあまりお勧めではございません」


 売りたい一心であるはずの販売員、それも入ったばかりの若造の偉そうな言葉に斉藤が反応したのだ。

 それからというもの、斉藤は毎回違う女を連れてきては山中を指名して貴金属を買った。

 当然のごとく山中の成績はうなぎ上りで、同期の中では出世頭と呼ばれるようになる。


 どこで退社時間を調べたのか、斉藤の秘書を名乗る男からヘッドハンティングをされ今に至るのだが……


「どうしたんだ? 山中君。考え事か?」


 山本医師の声に現実に引き戻された。


「あ……すみません。ちょっと昔のことを考えていました」


「そうか? なにやら難しい顔をしていたぞ? 顔色が優れないな。診てやろうか?」


 山本医師が腰を浮かせた。


「いえ、大丈夫です。ご主人様との出会いを思い出して懐かしくなっただけですから」


「ああ、あの頃のことか。あの頃の斉藤はバリバリの事業家で、家に帰る暇も無いほどだっただろう? 家を任せられる男を探すんだと言っていたが、連れてきたのが若い男で、そりゃびっくりしたもんさ」


「そうでしたね。私の採用面接はあなたでしたね、先生」


「斉藤は寂しい男でなぁ。金運と事業運は気持ちが悪いほど持っていたが、家族運には恵まれていなかった。私は貧乏な商家の三男坊、斉藤は天涯孤独の大事業家だ。人の縁というのはわからないものだな」


「ご主人様は先生を頼りになさっていましたね」


「そうかもしれないな。まあそのお陰で私は医学部を卒業できたし、自分の病院を持つこともできたんだ。奴には感謝しかないよ」


「ええ、私もご主人様には感謝しかございませんよ」


 会話が途切れ、山中は再び思考の波に身を任せた。

 山本医師が言うように、天涯孤独だったご主人様が亡くなったら、この膨大な財産は妻である小夜子が全て相続することになる。

 半分は税金で持っていかれるだろうが、それでも一生贅沢三昧で暮らせる財は残るはずだ。

 そして小夜子はまだ若い。

 その後小夜子はどうするのだろうか。

 大金持ちで美人の未亡人を狙う男は腐るほどいるだろう。

 自分は職を失うのだろうか。

 いや、見ず知らずの男より、気心の知れた自分を選ぶ可能性もあるのではないか?


 痛いほどの沈黙を破り、寝室の扉がノックされた。

 現実に戻った山中が扉を開ける。

 入ってきたのは藤田刑事だった。


「鑑識作業が終わりました。皆さんもうお仕事に戻られて結構です。それと確認なのですが、このお屋敷には皆さん以外で住んでいる方はおられますか?」


 小夜子がゆっくりと首を横に振った。


「この三日間でこの敷地内から出られた方は?」


 山中が代表して答える。


「この三日ということは今週になってからですよね? それなら出掛けた人間はいません。いつもの業者が食品類の配達に来た以外は人の出入りもありませんよ」


「了解しました。それではお一人ずつお話を伺わせてください。まずは……美奈さんから」


 メイドの美奈が恐々と立ち上がる。


「先ほどの客間をお借りしても?」


 藤田刑事が小夜子に確認した。


「もちろんです。どうぞお好きなようにお使いください」


 小夜子は年の離れた夫の寝顔に視線を落としたまま静かにそう答えた。

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