第12話 恋バナ

「そうだ、映画行かない、弾?」


 女子社員達がいなくなって、二人きりになった休憩室で、梓がそう口にした。


「映画? 何で?」


「仲直りの印」


「……いいよ別に。昔のことはもう忘れてるから。これからは、普通の同僚だな」


「ねえ、今、リバイバルで映画やってるのよ。昔、一緒に観たやつだけど」


「……そうか……」


「観に行ってみない? 懐かしいじゃない」


 こいつも、そんなことがあったことは、覚えていたんだな。けど……


「いや、いい。行くなら、俺一人で、静かに観るよ」


 本当は、もうそれは実施済なのだけど、ここでは言いたくない。

 俺の中での、大事な非日常だったのだ。現実を一時忘れて―― 


 そうだ、白石さんと出会ったのも、そこだったよな。

 彼女にとってどうかは分らないけれど、俺にとっては、やっぱり特別な時間だったんだ。


 あっさりとそう告げると、梓は残念そうに、眉尻を下げた。


「分かったわ。すぐには許してもらえるとは、思ってなかったけれど。でも、これからまた、よろしくね」


「ああ、よろしく。同僚…… てか、ここでは、お前は俺の後輩だからな」


「はい。ご指導よろしく、先輩」


 何を言ってやがる。そんな心にもないことを。

 昔からこうだ。ずっと手を引っ張ってもらっている感じだった。

 告白してきたのも、別れを切り出したのも、彼女からだった。

 

 ずっと振り回されっぱなしで、俺が彼女の手を引いたことは、なかったな。

 きっとそんな所が、物足りなかったんだろうなと、今になれば思う。


 そんな昔の自分と今の自分…… 五年経っても、大して変わっていない気がしてしまう。

 

 梓と別れてデスクに戻ってパソコンを開くと、明日の諌山常務へのプレゼンの参加者一同向けに、メールが入っていた。

 差出人は、白石さんで。

 日時と場所、目的とか、読みやすく綺麗にまとまっている。


 そのすぐ後に、白石さんから社内チャットでメッセージが入った。


『お疲れ様です。明日、頑張って下さいね』


 白石さん、きっと忙しいだろうに、俺のことなんか気づかってくれるなんて。

 何てマメで優しい人なんだ。


『はい、頑張ります』


 邪魔にならないように、それだけを返信した。


 自分の出番があるのかどうかは分らないけど、一応準備だけはしておくか。


 珍しくやる気になって、その日は残業して、プレゼン資料をじっくりと見返した。




 ◇◇◇


 翌日、午後からのことを考えると、段々と緊張してきた。


 何かやっている方が気が紛れるので、朝から実験室で黙々と仕事をしていると、新人の木根塚さんがやって来た。

 いつもの、ちょっとふてぶてしい笑顔ではなくて、困り顔だ。


「高坂さん、ちょっとご相談が」


「何だ? 俺に相談って、珍しいな」


「今日、山県さんいないし」


「あー、今日はあいつ、出張だったな」


 彼女についていくと、電源がついた測定装置があった。

 その周りには、沢山の評価用の部品サンプルが山積みだ。


「何でだか分らないんだけど、測っても数字が出ないんです。今日中に全部測っておくようにって、山県さんに言われているんですけど」


 よほど困っているのか、今にも泣き出しそうな顔だ。


 えっと、機械の故障なのか、それとも…… ざっと調べてみて、

 ああ、そういうことかと、すぐに原因に気づいた。


「木根塚さん、測定プローブのつなぎ方、逆だよ」


 要は、配線のつなぎ方を、間違っていただけなのだ。極めて素人的なミス。

 そう教えると、彼女は途端に、顔が真っ赤になった。


「あ……すいません!!」


「いいって。山県には、内緒にしとくからさ」


「ありがとうございます……」


 自分の勘違いに落ち込んだのか、しゅんとなって俯いている。


 相談事は造作もなく解決したので、さっさと自分の作業に戻ろうとその場から離れようとすると、彼女が顔を上げた。


「あの、高坂さん? ちょっと訊きたいんですけど」


「なんだ?」


「……その……山県さんって、彼女とか、いるんですか?」


 なんだ? 朝っぱらから仕事場で、恋バナか?

 やれやれ、最近の新人は……

 などとじじくさいことを思ったけれど、そう言えば、自分も昨日仕事時間中に、梓とみっちり話をしたことを思い出した。


 みんなこういう話って、好きなのかな。


「うーん……なんて言ったらいいか……あいつは女の子の知り合いが多いから、どの子が本命なのか、よく分らないんだよな」


「そう、なんですか……高坂さんでも、分からないんですか?」


「ごめんな。人のそういうことにはあまり興味がないから、強く訊いたことが無いんだ」


「そっか……」


「木根塚さんは、山県のことが好きなのか?」


「ええ……っ!?」


 多分そうだろうなと思って口にすると、彼女の顔や耳の赤みが、どんどんと増していく。

 目を細めて俺を横目で睨みながら、


「高坂さん……デリカシー無いんですね……」


「そうか? すまん。でも、普段見ていて、分かりやすいなとは思うぞ?」


「そうかな……気にはなっているんです。でも、好きかどうかは、よく分からなくて……」


 何だか、普段はちょっと生意気な後輩が、普通の可愛いらしい女の子に見えてきた。

 しかし、ライバルは多そうだな。

 恋愛経験値なんかほとんど無い俺が、アドバイスできるようなことは、思いつかないけれど……

 

 それでも、半面教師くらいにはなれるかもと思い、口を開く。


「気になるんならさ、積極的でいいと思うぞ? 何もしないで後悔するよりも、やって失敗する方が、ましだと思う。上手くいけば良し、仮に残念な結果でも、その方がいい思い出にもなるだろ」


「そうでしょうか?」


「ああ、そう思うよ。言葉や行動にしないと、分らないことだってあるさ。それに、自分に好意があると分って、悪い気がする奴はいないさ」


 喋っていて恥ずかしくなる。

 自分では全く、そんなことはできていないからだ。

 ただ、昨日梓と喋ってみて、もし自分がそうできていたら、また違った未来があったんじゃないかとは、思ったりするんだ。


「ありがとうございます。何だか、元気が出てきました」


「良かったよ。まあ山県に振り向いてもらいたかったら、仕事も頑張らないとな。そっちで頑張っていたら、そのうちご褒美がもらえるかも知れないぞ?」


「はい、頑張ります!」


 笑顔が戻った木根塚さんは、測定装置の配線を繋ぎ変えて、てきぱきと作業を始めた。

 それを見届けてから、自分の作業場の方に戻ろうとすると、彼女から声が掛かる。


「高坂さん?」


「なんだ?」


「ありがとうございました。あの……私からも一つ、いいですか?」


「なんだよ?」


「高坂さん、多分自分で思っているよりも、恰好いいですよ」


そんな顔できたのかよと言いたくなるような優し気な表情で、急にそんなことを口走る。


「……そうか、ありがとう」


 2つ後輩の女子からの言葉を真に受けて、ちょっと嬉しくなりかけた自分が恥ずかしくなる。

 陰キャは自惚れてはいけない。

 楽観も悲観もせず、いつもの日常を、たんたんとこなすんだ。



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