魔界の王子は気が利かない

04号 専用機

王子が逃げた!

 目の前に巨大な鏡がある。

 決して豪華ではないけれど、とても大きくて、どこか禍々しい。

 俺はその鏡を覗き込む。

 映るのは自分の姿ではなく、どこか遠い世界のこと。

 父はこれを「現世の鏡だ」と言っていたっけ。

 鏡を見るのは好きでは無いけれど、その日は城での暮らしに嫌気が差して、何となくここにたどり着いた。父には入るな、見るなと言われていた気がするけれど、反抗期と言うやつなのか、無性に現世の鏡を見たくなったのだ。

 軽い気持ちでその鏡を見る。


 美しい人を見た。


 憂いに満ちた、美しい人。

 俺と同じように囚われているのに、その目には光を宿し、いつかの遠い未来を嘆き、変えてみせたいと足掻いている――その様を美しいと思った。


 初めて見たその時から、俺はその人をもっと知りたくて、毎日鏡の前へ来るようになった。父は足繁くそこに通う俺に心配しないでもなかったが、代わりに積極的に座学や仕事をこなす俺に黙っていてくれた。

 いい跡取りだ。きっとそう思ったことだろう。俺の思いなど露知らず。


 今思えば、一目見た時からそうなのだ。

 俺は、鏡の向こうに恋をした。


「リールスタ=ウルドーラ」


 忘れもしないその名を、冥府の国で聴いた時。


「この子と一緒に逃げ出してやる!!」


 俺の命は動き出したんだ。



 父の元から逃げ出して、城の外へ向かって走る。愛しい姫を抱えながら。気分はまさ、いつか流行ったドラマの主役。

 小煩い追手をまとめて吹き飛ばし、二人で屋根の上から壁の外を眺めると、リールスタは呟くように言った。

「……どうして私を助けてくれたの?」

 誤魔化すことは簡単だろう。閻魔らしく、鬼のように、欲望のまま……そう思ったけれど、彼女の前でそんなことはしたくない。

「一目惚れしたんだよ、お前に。だから一緒に飛び込みたかった」

 照れ臭くなって顔を背けるより前に、リールスタの掌が飛んでくる。妙にゆっくりだ。避けても良かったけど、なんとなく受けてみたくなった。

 子気味の良い音。

 頬にむず痒さ。

 リールスタは言う。

「全く、馬鹿ね貴方」

 まっすぐ言われたのは生まれて初めてだった。

 なんだか変な気持ちだ。宰相達は馬鹿にされると烈火のごとく怒り出すけど、俺は――

「私の心はこんな一言で動かないわよ」

――ああそうか。

「そうかもな」

 俺は知っている。ずっと見てきたから。

 リールスタだって、本当は自由を求めてきたはずだ。でもこんな誘い方をして欲しかったわけじゃない。もっとちゃんとした手続きを踏んで、晴れて自由の身の上になりたかったはず。

 死んでまで、魂になってまで、俺に縛られるのは嫌なはずだ。この世界に少し期待していたのかもしれない。

 頬を張られた意味が分かって、初めて痛みを感じた。その後悔が表情に出てしまったのか、リールスタはため息をつく。

「じゃあこうしましょうか」

 そして、それでも前を向く。

「なんだ?」

 今度は俺が、彼女の期待に応える番だ。

「外の世界へ飛び込んだら、貴方のすべてを見せて頂戴」

 誰よりもまず、自分が待っていただろう言葉を、リールスタは俺に送る。

 だから俺も返そうと思う。

 君が言おうと決めていた言葉を。

「もちろんだ。俺の全てを君に見せよう」


 壁の遥か向こうに見える地平線から夕日が見える。ずっと動かない夕日。その光に照らされて、リールスタの美しさが更に際立つ。誘われるように手を伸ばしたその時、不意に声が響いた。


「許さんと言ったはずだぞアルト」


 父さんの声だ。

 そう気付くと同時に、リールスタへと伸ばした手が切り落とされる。

「もう追いついたのかよ」

「ああもう、やっぱりこうなる!? どうするのよ、このままじゃ何も変わらないじゃないの!」

「どうするって……」そんなの決まってるだろ。「倒すしかないんじゃないか、父さんを」

 夕日に背を向け、魔法陣の上に立つ父を見た。

 目が合うと、父さんは俺にいつもと同じ言葉を投げかけてくる。

「城に戻れ。お前に勝手を許す訳にはいかん」

 そして、いつもと同じ言葉を返す。

「やなこった!」

 そこから先のやり取りも同じ。

 お互いに魔法陣を展開し、俺が力尽きるまで父さんと戦う。

 いつもならそこで終わりだけど、今回は違う。

「リールスタ! よく見ておけよ!」

 彼女ならきっと理解するはずだ。魔法陣の書き方や、陣に含まれる文字や図形の意味が。

 父さんと俺が同時に炎を放つ。

 向こうの陣の方が優秀なのは分かりきったことだ。威力だけで言えば俺の陣など敵わない。

 得意分野が違うだけだ。

 だから同時にいくつも展開し、範囲や速度を変えて放つ。

 この手はどうか。次はこの手で。一つ一つ試していく。

 魔法陣の全てを、リールスタに見せつけるように。

「無駄な足掻きだアルト! パパに勝てるわけないだろう!?」

「だから! その呼び方がキツいんだって!」

「安定した将来の素晴らしさがなぜ分からん! 一生困ることはないんだぞ! パパの跡を継ぎなさい!」

「やなこった! 悩みの無い人生なんて退屈すぎるだろ!」

 今度は防御の陣だ。

「安定なんてごめんだね。俺はずっと自由でいたい。毎日同じように過ごすくらいなら、俺はリールスタとの冒険を選ぶよ」

 ちらりとリールスタの方を見る。

 今の聞いてくれたかな――違う、そういうのどうでもいいんだ今は。狙い通り陣をしっかり見てくれたな。

「リールスタ! 少し場所を移す!」

「えっちょっと」

「また抱えるが我慢しろよ!」

 短い抗議が聞こえたが、そんなものを気にしている場合じゃない。

 屋根を伝って城から離れていく。城下町は思い入れのある場所だ。俺も父も、戦いたくは無いだろう。

「どうせ黄泉の果てまで追ってくるさ。父さんは倒さなきゃならない」

「どうするの?」

「どうって――リールスタ、魔法の基礎は分かるか?」

「ええまぁ……必要な魔力は感じてる。事象に変換できないだけよ」

「肉体がないからな。そのやり方だと魂ごと変換されて霧散する」

「早く言ってくれないかしら! じゃあ私、あのままだったら炎になってたってこと!?」

「そういう魂は幾らかいるよ。そうならない為に陣があるんだ」

「なるほどね……」

「以上、抗議終わり」ここまで言えばもう分かるだろう。「跳ぶぞ。足場を頼む」

 父さんから逃げながら、足場用の陣を組む余裕は無い。

 自分の脚に、脚力強化と加速を併せた魔法陣を描き、また屋根の上から跳躍した。

 リールスタはすかさず陣を描いて、空中に足場を作ってくれる。

「上手い! さすがだお姫様!」

「朝飯前よ! どれだけ学んできたと思ってるの!」

「俺たち相性いいかもな! もう一度だ!」

 父さんとどんどん離れていく。

 城下町と外を隔てる壁の上までやってきて、淡い期待を抱いた。このまま逃げ切れるかもかれない――

「ねぇアルト」

「なんだリールスタ」

「あの魔法陣は何!」

「俺も同じこと聞こうと思ってたよ」

「貴方に分からないんじゃ私に分かるわけないでしょう!?」

 俺たちの目の前で魔法陣が組み上がっていく。

 陣の中心は黒く渦巻き、そこから出てきたのは父さんだった。

「あ、なるほど……そういう陣を書くのね……」

「関心してる場合かよ!」

「パパの言うことを聞きなさい!」

 やなこったともう一度返して、リールスタの前に立つ。

 速さならまだこちらに利があるはずだ。さっき見せた空間移動は時間がかかるはず。

 ここで倒さねば、自由な未来は無い。身構えた俺に、リールスタは囁いた。

「勝った」

「なんだって?」

「気付かれないでアルト。今回だけ、貴方の願いに乗ってあげるから、今だけ言う通りにしてちょうだい」

 陣から放たれる攻撃をかわしながら、リールスタは小さな瓦礫を拾う。

「理屈が合っているなら、勝てるはずよ。賭けてくれるかしら」

「お易い御用だお姫様。初めから君を信じてる」

 そう言って、俺とリールスタは二手に別れた。

 父さんを挟み込むようにして背後に回ると、案の定、父さんは俺しか見ていない。


「もうやめるんだアルト。パパが悪かったから。これからはメイドを可愛い子にしてあげるから」

「そういうことじゃない!」

 遠距離攻撃は使わない。

 父さんに向かって、拳を構えて駆け出す。

 同時に、その背後のリールスタが瓦礫を投げた。

「この王女のどこがいいんだ……ほらアルト、このままじゃ死ぬぞ?」

 瓦礫が加速する――俺からしたらゆっくりだけど――音速に近づいている――父さんは、何気ない仕草で瓦礫を躱した。

「そうはならないんだな」

――俺の前に、魔法陣が開かれる。

 音速で飛んできた瓦礫は陣の中へと吸い込まれ、音もなくどこかへ消えた。

 さすがの閻魔大王と言えど、数秒の隙は生まれるだろう。狙い通りだ。

 勝った。彼女と同じことを思う。

 驚きだ。

 まさか、避ける方向まで予測済みだなんて。

 父さんが動いたその先に、魔法陣が開いた。

「え――」

 驚愕の声と共に、音速で飛来する瓦礫に貫かれ、父さんは意識を失った。


「豆腐にぶつかって死ぬんだもの。閻魔大王だって痛いはずよ」


 リールスタは自慢げに微笑んで、俺に手を伸ばす。

「悪くないわ、アルト。今度は貴方が魅せる番。私をどこまで連れて行ってくれるの?」

 その手を取って、俺はまた、愛しの姫を抱え上げる。


「どこまでもさ。俺たちがそう望む限りな」


 俺たちは、新たな世界へ踏み出した。

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