episode1-閑 氷室明の戸惑い②

「マジックカード、オオイカズチノカミを発動! 自身のバトルゾーンにモナークスプライトが存在する時、それをフェーズ4のオオイカズチノカミ・・・・・・・・・へランクアップさせる! さらにオオイカズチノカミ・・・・・・・・・の召喚効果により、相手のバトルゾーンにあるフェーズ3以下のカードを全て破壊する!」

「な、なにィィィ!?」

「驚くのはまだ早いぜ兄貴! さらにマジックカード、コーラスマジック・スサノオを発動! 自身の場にオオイカズチノカミ・・・・・・・・・とシナツヒメノカミが存在する時、その2体を除外してフェーズ5・スサノオを召喚する!」

「完成していたのかッ! 風神雷神デッキの究極系、嵐神デッキがァッ!!」

「兄貴の使う眠り姫ライブラリアウトは確かに強力だった。だけどもう時代は変わったんだ! とどめだ! スサノオでダイレクトアタック!!」

「ぐアアァァァ!? バカな!! この俺が、こんな小僧にィィィ!?」


 などと寸劇を挟みつつ勝敗は決した。

 大袈裟にのけ反って倒れ込んだ兄がゆらりと立ち上がり、ビシッと明を指さした。


「ノーカンだ! 俺はまだ負けてない!」

「えぇ……? 思いっきり負けただろ」

「明が一々俺の集中を乱して来るからだ! ズルだ! 反則だ!」


 あれだけノリノリで悪役のように豪快なやられっぷりを見せていた癖に、兄は負けを認めていないようでブーブーと文句を垂れながら抗議の声をあげている。

 相変わらず負けず嫌いなんだなと明は若干呆れつつ、同時に兄の言い分も理解できなくはないという気持ちもあった。

 一度服装について指摘した後も、兄は度々考え込んで段々前のめりになっていき、そのたびに明が声をかけて姿勢を正させていた。それが妨害だと言われると反論するのは難しい。


 明からすればそんな破廉恥な格好をしている兄の方こそ集中を乱す妨害工作をしているのではないかという気持ちだが、自覚はないのだろうし、それを言えば自分が変に意識してしまっていることを白状するも同然であるため、まさか言えるはずもない。


「わかったよ、じゃあ今のはノーカンだ。でも次はカードゲーム以外で勝負しよう。兄貴弱すぎて相手になんないし」

「な、なんだとぉ!? 弟の分際で生意気だぞっ! でもお前がどうしてもカード以外が良いってんなら寛大な精神で受け入れてやろう」

「はいはい。じゃあ、テレビゲームでもするか?」

「それは駄目だ」


 対面しない形であれば見えそうとか見えてるとか気にする必要もないと明は提案するが、バッサリと切り捨てられる。昔からコンピューターゲームは圧倒的に明の方がセンスがあり、一緒に遊ぶならともかく勝負となれば確実に負けるであろうことは兄もわかっているのだ。


「そうだな、んー、よし! じゃあボールキープ対決はどうだ? 昔よくやっただろ?」

「別にいいけど、俺サッカー部だぞ? 昔はそりゃ兄貴の方がうまかったけど、勝敗は目に見えてるっていうか……」

「おいおい、カードゲームはともかく運動は怠けてないぞ? そんな余裕かまして良いのか?」

「兄貴が良いなら別にいいけど、外に出るんだから服は着替えろよ」


 氷室家の自宅は庭付き一軒家であり、さすがに本格的なサッカーを出来るほど広い庭ではないが、ワンオンワンのボールキープくらいなら問題ない程度の余裕はある。

 また、外とは言っても目隠し用のフェンスや庭木もあるため家の外から丸見えということは流石にないが、こんな格好のまま動き回れては気が散ってしょうがないため、一応は外であるという口実を使って明は着替えを促した。


「これだと動きづらいしな。着替えてくっから先行って待ってろ」


 持ってきたデッキも放置して兄はそそくさと部屋を出て行った。

 遊びたいだけ遊んで、満足したら片づけを明に押し付けてくるのは昔からであるため、今更それに思うこともない。

 残された明は自分のデッキと兄のデッキ、そして勝手に使われたクッションや折り畳み式のテーブルを片付けてからボールを持って庭へと出た。


「勝負だ!」


 明が暇つぶしにリフティングをしながら待っていると、数分もしないで戻ってきた兄が高らかに宣言した。

 今度はちゃんと身の丈にあったサイズの服を着ており、上は紺色を基調としたTシャツに下は黒の短パン、端的に言えば学校指定の体操服だった。咲良第二高校が休校の間に、学校生活で困ることがないよう今の身長や体格に合った制服や体操着、ジャージなどは一通り買い揃えていたのだ。

 運動に適した動きやすい服を選んだのだろう。先ほどのようにブカブカで見えそうということもなく、明としては一安心だった。


「お互いに攻守を一回ずつやって、制限時間内にボールを奪えるかって勝負でいいか?」

「あぁ、それでいいぞ。時間は3分くらいで良いだろ」

「オッケー。じゃあ、最初は兄貴が攻めで俺が守りで」

「おうよ! 30秒で終わらせてやる!!」


 兄が言っていたように、この遊び兼練習は昔からよく二人でやっていたものだ。そして当時から兄は攻め役を好んでおり、順番に攻守を交代するという時は必ず先に攻めをやりたがった。気性の荒さが好みにも反映されているのだろう。


「んじゃタイマーをセットして、スタート!」

「おら! くらえ!」


 スマホのタイマーをセットするのと同時に、明は兄が背後に来るように態勢を変え、半身になってボールを兄から遠い方の足にキープする。それに対して兄は、以前によくやっていたように強く明の身体を押し込んでボールを奪おうとするのだが、


(軽っ! 全然奪られる気がしねー)


 昔は年齢差と体格差によって一方的に弾き飛ばされて簡単にボールを奪われてしまっていたのだが、今ではそれが逆転し、兄がどれだけ力を込めてタックルするようにぶつかって来てもほとんど明を動かせていない。密着することで妙に甘い匂いがすることの方がよっぽど気が散るくらいには、兄のタックルは全然効いていなかった。


「くそっ、このっ!」

「ははっ! 大したことないな兄貴! 30秒なんてとっくに――っ」


 可愛らしい声で悪態をつきながらどうにかボールを奪おうと四苦八苦している兄に追い打ちをかけるように、明は身体と腕を使って兄をブロックするように行動を阻害しようとして、一瞬動きが硬直する。

 普段相手にしている同年代の子よりも今の兄はかなり小さく、いつもと同じように押さえ込もうとすると腕が顔に当たって危ないかもしれないと、安全に配慮して腕の位置を気持ち低めに動かした。もちろん視線はボールの方を向いていたため、一切の他意はなかった。

 だから、兄を押さえ込もうとした明の腕が、思いっきり兄の胸を触るように押し付けられたのは全くの偶然だったのだ。


 下着もインナーもつけていない、地肌に直接体操服を着ている兄の胸の柔らかな感触が、明の思考を一瞬ショートさせる。


(小さいけど、たしかにある)


「隙ありだ! はっ、大したことねぇなサッカー部!」


 唐突に動きの悪くなった明の隙を突き、強引に弾き飛ばすのではなく背後から股を抜くように足を差し込んでボールを弾き飛ばし、転がったボールを素早く確保した兄が得意げに笑う。胸を触られたことなど全く気にしていない、というより熱くなって気づいてすらいなかったのかもしれない。


(何やってんだよ、俺は)


 腕に残る柔らかな感触の名残を振り払うように、明はパシンと自分の頬を叩いて気持ちを切り替える。

 今、身勝手な兄の思いつきに付き合っているのは、兄の真意を聞き出すためだ。久しぶりに兄と全力で遊ぶのが楽しくないと言えば嘘になるが、それ以上に、負けたくないという気持ちの方が大きい。


「まぐれで勝ったくらいで良い気になるなよ兄貴。俺が攻めでボールを奪ったらもう1セット、まぐれに二度目はないぞ」

「おーおー、負け犬の遠吠えは心地がいいぜ」

「言ってろ。タイマーをセットするぞ」


 今度は兄がボールを持って、明がそれを奪うように攻勢をかける。とはいえ、今の明が本気で押し込めばこの華奢な兄など簡単に吹っ飛ばせるだろう。むしろ吹っ飛ばし過ぎて怪我をさせないかの方が心配だった。


「しっかしお前、デカくなったなっ!」


 あまり勢いはつけず、じわじわと押し込むようにプレッシャーをかけて少しずつ兄のボールさばきを崩す明。体格差による圧力は確実に兄の行動を制限し、兄はその事実に噛みつくように文句の声をあげる。


「兄貴が小さくなったんだろ!」

「うおっ、くっ、ヤベ!」


 そしてボールのキープが甘くなったところで、すかさず明が背後を回り込むように外側から足を出してボールを蹴飛ばした。兄は咄嗟にそのボールを追いかけようと足を動かそうとするが、無理な動きをしようとしたせいで足をもつれさせ体勢を崩した。


「死ねば諸共だ!」

「ちょ、ま、反則――」


 転ぶのを避けられないと悟った兄は、明の服を掴んで一緒に地面に転がることを選択した。当然反則だが、そんなの知ったことかと言わんばかりに迷いのない即断即決だった。

 今の兄は体重が軽く腕力もない。普通の状態なら引っ張られたとしても明が一緒に転がることはなかっただろうが、ボールを追いかけようと駆け出すタイミングだったためバランスを崩し、兄の目論見通り一緒に地面に倒れ込むこととなった。


「ぐえっ」

「だ、大丈夫かよ兄貴!」


 明のデカイ図体に圧し掛かられる形になった兄は可愛らしい見た目に似つかわしくないうめき声をあげ、明は咄嗟に心配しながら立ち上がろうとするが、明の服を掴んだままの兄が、服を引っ張ることでそれを制止した。


(なんで、こんなに弱いんだよ)


 兄の力は本当に弱弱しく、振り払おうと思えば簡単に振り払える。

 いつも強くて、格好良くて、自分を引っ張ってくれていたはずの兄が、今はこんなにもひ弱であるという事実を改めて突きつけられたようで、少なからず明は動揺していた。


「明……」


 今は体力もないのか、たった数分身体を動かしただけだというのに、兄はすっかり息切れしてしまており、赤く上気した顔で明の名前を呼んだ。

 なにか伝えようとしているのか、息を整えるように大きく呼吸をしながらじっと明のことを見つめている。


 傍から見れば明が兄のことを押し倒しているようであり、汗で張り付いた髪の毛や乱れた息、上気した顔など、インモラルな誤解を与えること間違いなしの絵面のまま、二人の視線が交差する。


「なんだよ――」


 痺れを切らして明が問いかけようとしたその時、ピピピという軽快な電子音が鳴り響いた。


「っしゃあ! これで俺の勝ちだな!」

「……いや、兄貴の反則負けだろ」


 屈託のない笑顔で嬉しそうに宣言する兄の姿を見て、どうやら3分が経過するまでの時間稼ぎだったらしいことを察し、明は兄の腕を振り払って立ち上がりながら不服そうに言葉を返した。


「はぁ~~? 反則なんて決めてないんだがぁ~~? んん~~?」

「うっざ」


 明に続いて立ち上がった兄が、煽るような声を出しながらツンツンと明の脇腹をつつきだす。


「はぁ、はいはい、もう俺の負けで良いよ」


 どうせ最初から負けを認める気などないのだろうことを理解して、明は諦めたようにそう言った。反則なんて決めてないなどと言い出せば一戦目のカードゲームで反則を主張したのは何だったのかという話だが、それを言っても何かと言い訳をすることは目に見えている。


「わかればいいんだよわかれば。まあお前も一年からレギュラー入りするくらいだしそこそこ上手いんだろうけど、俺には敵わないってことだな!」

「よく言うよ。……てか、知ってたんだ」


 何気なく発せられた兄の言葉に、明は内心でひどく動揺しながらも、なんでもないように装ってそう問いかける。

 兄の鬱陶しいほどの負けず嫌いさに呆れていた気持ちも一瞬で吹き飛ぶほどの衝撃を受けていた。


「ん? 何がだ?」

「俺が一年でレギュラーになったこと」

「そりゃ知ってるに決まってるだろ。母さんが撮った試合の映像も見たしな」

「ふ、ふーん。毎日バイトしてんのにそんなの見てる暇あったんだ」

「何とか時間作ってな」


 いつの間にそんなものを撮られてたんだという気持ちもあるが、自分への興味などすっかり失ったのだと思っていた兄が、わざわざ忙しい中で自分の活躍を見るために時間を割いていたのだと知り、明は何か大きな思い違いをしていたのではないかと思い始める。


「三年が引退したらお前がエースだろ? 今年の大会は応援行けるかもだし、頑張れよ」

「別に、てか中学にもなって家族の応援とか恥ずいから来なくていいし」

「なんだよ連れないな。あぁ、あと俺が言うのもなんだけど、部活頑張るのもいいけど勉強もあんま疎かにすんなよ? 俺と同じで理数系と英語が苦手だろ? なんなら教えてやるぞ?」

「絶対母さんの方が教えるの上手いだろ。余計なことしなくて良いって」


 兄は、高校に進学して、バイトを始めて確かに忙しくなったのだろう。

 積極的に明に構ってやれるほどの時間を作ることは出来なくなったのだろう。

 一緒にゲームやサッカーで遊ぶほどの余裕はなくなってしまったのだろう。


 だが、だからと言って、明のことが眼中になくなったなんて、そんなことはなかったのだ。

 忙しい中でも、兄は明のことを知ろうとしていた。直接話す時間が取れない分は母を通じて明の活躍を聞いていた。

 明が思い返してみれば、確かに関わる時間こそ減ったものの、家の中で顔を合わせて話をする時兄はいつも自然体だった。疎遠になって話題が見つからないだとか、何を話せば良いのかわからないんてことはなく、いつだって兄は昔の兄のままだった。


「なあ、兄貴。兄貴はどこにも行かないよな?」

「あのなぁ明、そりゃその内自立して家を出ることにはなるだろうけどな、お前らを捨てていきなりいなくなったりしねえよ」

「……だよな。ごめん、変なこと聞いて」

「まあ、気持ちはわかる。安心しろよ、俺は親父とは違う」


 明たちの父は、大変革の影響によるものか、ある日突然性別が女になり、そしてまたある日突然失踪した。短く探さないでくださいという書置きを残し、家族を捨てていなくなった、

 当時はまだまだ大変革についてわかっていなかったことも多く、母の異能が発現していなかったこともあり、それが本当に父だったのかどうかも定かではない。

 だが幼かった明の心には、家族に捨てられたという深い傷が残ることになった。

 だから兄は自分を見捨てたのだと思い込み、自分から踏み込むことが出来なかった。


「兄貴」

「うん?」

「もっかいだ。次は俺が勝つ」

「はっ! いいぜ、何度でも受けて立ってやる!」


 なぜ兄が平定者を目指し、大半の時間をバイトに捧げていたのか。

 それは今でも気になるが、無理に罰ゲームで聞き出してやろうという気持ちはなくなっていた。

 聞けば普通に教えてくれるのかもしれないし、理由があって教えたくないのかもしれない。

 それはこれから、コミュニケーションをとってわかりあっていけば良い。


 きっと兄は、自分たちを見捨てていなくなったりはしないから。

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