episode1-42 帰路へ
「凡その経緯と状況は理解しました。モンスターの件もありますし、ダンジョンアサルトに巻き込まれてそのまま踏破しようだなんて非常識にもほどがあります。……ですが、私のような立場の人間からは本来こんなことを言うべきではありませんが、ありがとうございます。あなた方のお陰で私の娘も助かりました」
「いえ、お気になさらないでください。それに、私はほとんど何もしていません。ダンジョン踏破の大部分は彼の――、ああ、ちょうど戻ってきたみたいですね。この氷室くんの功績ですから」
桜ノ宮がこちらに視線を向けて、俺の存在に気が付くと手招きをしてくる。
「何の話だ桜ノ宮? この人は?」
「こちら、異能庁の対策本部からきた赤沼さんよ。ダンジョン踏破の経緯と状況について簡単に説明してたのよ」
「異能庁ダンジョン局ダンジョン対策室所属の赤沼と言います」
「氷室凪です」
ダンジョン踏破に関する話をしていたとなると、さっき受付で対応した桐井さんとはまた別口なのかもしれない。
しかし組織の名前をごちゃごちゃ言われても覚えられん。ダンジョン局ってのが国家冒険者の母体であることはなんとなく知ってるが、それ以上の知識はさっぱりだ。
「氷室さんにも、改めてお礼を申し上げます。あなたの勇気ある決断と行動が、多くの人々を救うことになりました。本当にありがとうございます」
「どうも。死者が0人なんてチラホラ聞こえてきましたが本当なんですか? そもそも被害規模はどの程度だったんです?」
「具体的な数字は現在計測中ですが、被害範囲は咲良第二高等学校の敷地内に収まっています。そのため、帰宅済の生徒も含め全ての在校生の所在確認を行い要救助者の洗い出しを行いました。そして一斉に脱出してきた生徒たちの情報と照合を行い、所在の確認が出来ていない生徒はあなた方お二人だけだったんです」
「なるほど」
思っていたよりダンジョンアサルトに巻き込まれた範囲は広くなかったのか。誰が巻き込まれてるかなんてどうやって判断したのか疑問だったが、被害が校内に限らているなら出来なくはないな。
「被害者の方々を探しながらかなりの人数を率いてうまく逃げ隠れしていた生徒がいたようで、あなた方の活躍とも相まって、奇跡的に死者は出ていません」
もしかするとそれはさっき美月から聞いた知らない先輩という人の話か。てっきり少人数での話だと思っていたが、あの状況で大規模な生徒をまとめて被害を出さずに率いるなんて只者じゃない。もしかしてそれなりの冒険者が校内にいたのか?
「その集団の中には冒険者も相当数含まれていたそうですよ。多少腕に覚えのある方もいたのかもしれませんね」
俺の疑問を先読みするように赤沼さんがそう補足する。まあ、ダンジョンアサルトの知識があれば当然の疑問だし、赤沼さんもきっと疑問に感じたのだろう。
大半はなり立ての冒険者だろうが、ちゃんとダンジョンの知識を持っている人間が率いれば馬鹿に出来ない戦力になるはず。俺みたいに普段から異能災害に備えて色々調べてる奴もいるかもしれないし、そう考えればありえないというほどのことではないな。
「私からも色々とお伺いしたいことはあるんですが、対策本部も立ち上げられたばかりで準備が整っておらず、お手数をおかけし恐縮ですが詳しい事情は後日聴取させていただくことになります。今日はダンジョンが踏破されたことの確認だけなので、踏破されたダンジョンの管理紋を確認させていただきたいんです」
俺たちの話が一段落したところで、赤沼さんが申し訳なさそうにそう切り出した。
それで俺を待っている間にダンジョン踏破の経緯と状況を桜ノ宮から説明していたわけだ。
「これで良いですか」
右手の甲に浮かぶ管理紋が見やすいよう、見せつけるように顔の辺りまで手を上げる。
「はい、鉱山型の管理紋と一致していますね。被害者の方の証言と食い違いもありませんし大丈夫です。資料としてお写真を撮らせていただいてもよろしいですか?」
「どうぞ」
「それでは失礼します」
今時珍しくデジカメを取り出した赤沼さんは何枚か違う角度からパシャパシャと撮影し、データを確認して大きく頷いた。
「はい、ありがとうございます。大丈夫です。それでは桜ノ宮さん、氷室さん、本日はこれでご帰宅いただいて結構です。また後日学校を通じて事情聴取の連絡が来るかと思いますので、その際はよろしくお願いします」
「こちらこそ、お手柔らかにお願いします」
「お疲れさまです」
用件を終えた赤沼さんは支援拠点の運営、桐井さんやその他異能庁の職員が集まっている場所に赴いてなにやら話を始めたようだった。まあ俺たちとの話が終わっただけで仕事はまだまだあるってことか。
「モンスターも一緒に脱出させた件、何も言われなかったのか?」
「とくになにも。緊急脱出にその辺を識別する機能はないし、お国もそれはわかってるんでしょう。モンスターの被害者もいないし心配しなくて大丈夫よ」
「ならいいけどな」
瑕疵があるとすればそれくらいだと考えていたが、不可抗力とみなされたのか追及はなかったらしい。
「ともかく、これで一通りは終わったはずだけど実感わかねー」
「だから言ったでしょう? 赤沼さんが言ってたように後日もっと詳しい事情は聞かれるからその時が本番よ」
「わかってる」
ダンジョンアサルトが即日、それも3時間程度で終息するなんて前代未聞だろうから対策本部の準備が整ってないってのも仕方ないっちゃ仕方ないだろう。
それに、そのお陰でこっちにも備えをする時間がとれるわけだしな。
「氷室くん、約束忘れないでね」
「わかってる。そっちもなるべく早く動いてくれよ」
「もちろんよ。弥勒」
「お呼びでしょうか、お嬢様」
桜ノ宮が指をパチンと鳴らして誰かの名前を呼ぶと、突然誰もいなかったはずの桜ノ宮の後ろに長身の若い男が姿を現した。
薄い眼鏡の奥に覗く森を思わせるような深い緑の瞳に、同色の長い髪は後ろで一つに括られており、スラリとした身体と中性的な顔立ちをしている。男だと判断したのは、声の低さと服装からだ。その男はいわゆる執事と呼ばれる類の服装をしている。
「紹介するわ氷室くん。これは私の専属使用人の弥勒」
「
「どうも、……いや、そんなことよりその人今までそこにいなかったよな?」
深く頭を下げた丁寧な挨拶に思わず返事をしてしまったが、こいつどこから出て来た?
「私だけ氷室くんの力を知ってるのは不公平でしょう? これが私の異能よ」
「……執事を召喚する異能ってことか?」
冒険者ではないホルダーの中にも召喚系の異能持ちは存在するが、桜ノ宮もそうだということだろうか。
「正解。召喚獣じゃなくて実在する人間だけれどね」
「へぇ。じゃあ根付さん、ホルダーなんですか?」
ダンジョン内で桜ノ宮は、自分の異能も使えればもっと楽に戦えたと言っていた。桜ノ宮自身の異能に攻撃性能がないのであれば、つまりこの根付弥勒という執事がホルダーであり、戦闘能力を有すると考えるのが妥当だ。
というか実在する人間を召喚するって、召喚される側からしたら良い迷惑だな。この人は専属執事らしいからそれも含めて仕事なのかもしれないが……。
「そうよ。でも弥勒の異能は秘密。ていうかそんな話をするために呼んだわけじゃないわ」
執事の方に話しかけたつもりなのだが、当の本人は人当たりの良い笑みを浮かべて直立しているだけで桜ノ宮が返事をしてくる。ご主人様を差し置いてお話しすることは出来ませんってか?
「弥勒、この子は今後私のビジネスパートナーになる予定の氷室凪くんよ。接する機会も増えるでしょうから仲良くしなさい」
「かしこまりました、お嬢様」
「氷室くんも、私が直接対応できないときは弥勒が窓口になるからよろしくね」
「あぁ、そういう。よろしく頼みます、根付さん」
「こちらこそよろしくお願いいたします、氷室様」
異能の開示ついでに顔合わせを済ませておこうって魂胆だったわけか。
友好の印に手を差し伸べると、今度はスルーされることなく執事がその手をとって握手を交わした。
「弥勒、迎えの準備は?」
「ご用意できております」
「そう。それじゃあ氷室くん、今日はこれで失礼するわ。マスコミにはグループから圧力をかけるよう父に頼んでおいたから、しつこく追い回される心配はしなくていいわよ」
「そいつはどうも。気が利くな」
「当然じゃない。私たちは仲間でしょう?」
振り返りざまにそんなセリフを残し、ヒラヒラと片手を振りながら桜ノ宮は執事を引き連れて去っていった。仲間、仲間ね。商売仲間という意味では間違ってないのかもしれないが、どうにもあいつがそういうことを言うと白々しさと言うか、胡散臭さがあるんだよな。いや、実際桜ノ宮のお陰で付きまとわれないんだったらそりゃありがたいんだけどな。感謝しているのは事実なんだが、あいつからはどうも裏がありそうな気配を感じる。
ともあれ、これでようやく一段落だ。俺も桜ノ宮の後に続いて外に出ると、体育館に入る前はまだ結構残っていた被害者やその家族も大分数を減らし、ダンジョンそのものが消えたことで野次馬も減っているようだった。誰が攻略したか、なんて関係者かマスコミくらいしか興味がないのだろう。チラホラと視線は感じるが、再び周囲を取り囲まれるなんてことはなかった。当事者からすれば今は命が助かったことへの安堵や安心の方が大きいだろうしな。
「凪兄さん、もう終わったの?」
「美月。あぁ、ちょうど今終わったところだ。おじさんとおばさんは?」
俺が出てくるのを近くで待っていたようで、体育館から外に出たところで美月に声をかけられた。しかし一緒に待ってるはずの美月の両親の姿が見当たらない。
「私たちが無事戻ってこれたお祝いにパーティーを開くから、先に買い物して準備してるって帰っちゃった。凪兄さんと一緒に帰って来なさいって」
「はは、おじさんたちらしいな」
美月がおじさんとおばさんに溺愛されてるのはよく知っているため、はしゃいでる二人の姿が目に浮かぶ。
「大袈裟なんだよ、お父さんとお母さん」
「いいや、大袈裟なもんか。犠牲者が0人なんて本当に奇跡だ。誰が死んでもおかしくなかった」
最前線で戦っていた俺たちだけじゃない。ダンジョンアサルトに巻き込まれた奴は、誰だって命を落とす危険があった。
「美月、俺だっておじさんやおばさんと同じくらいお前のことを心配してた。だから、大袈裟なんて言ってやるなよ」
「……うん、ごめんなさい。私も、凪兄さんのこと凄く心配だった。大袈裟じゃないね、全然」
「だろ? よし、それじゃあ早く帰って、おじさんたちに元気なところを沢山見せてあげないとな!」
「うん! 凪兄さんも明くんも、おばさんもみんな一緒だからね!」
「良いのか?」
「言ったでしょ、私
「じゃあ、明と母さんにも連絡しとかないとな」
俺と美月は家が隣同士で、昔から家族ぐるみで仲良くさせて貰ってる。だからおじさんとおばさんなら確かにそう言いそうだとすんなり納得してしまった。
「帰ろう、凪兄さん」
「そうだな。家に帰ろう、美月」
人は減ってきているとはいえ、まだまだ賑やかさの残る学校を後にして、俺たちは帰路につく。
長い一日の終わりへ向かって。
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