episode1-5 特異変性
特異変性によってもたらされる肉体の変化は多岐にわたると言われており、著しく老いたり、獣のような耳が生えたり、手足が増えたり、人ではない何かに変貌したりと本当に様々だ。声が少し高くなっただけなんて、甘い見積もりだった。
まさかこの俺が、女になってしまうなんて。遺伝ってことはないはずだし偶然なのか。だとすれば本当に、事実は小説より奇なりというかなんというか……。
だが、考えようによっては性別が変わる程度で済んで良かったとも言えるかもしれない。
身体は普通に動くし、今感じている限りでは身体機能に特段の異常もない。
もしも肉体の一部を欠損するような変化だったら、あるいは人の身を大きく外れるような変化だったら、この状況を打破することは難しかったはずだ。
「俺は氷室だ。沖嶋、如月、お前らのクラスメイトの氷室凪だ」
ブカブカになったズボンの尻ポケットから取り出した生徒手帳を提示して告げる。
問題は、こいつらに俺が氷室だと信じさせることが出来るかどうか……。
いや、正直に言うなら、あのゼリービーンソルジャーズの力を見た今、こいつらに信用して貰うのは絶対条件じゃない。
沖嶋がフレーム使いであることは知ってるし、如月の方は知らなかったがさっきの犬との攻防を見るに何らかのホルダーであることは間違いない。
ダンジョンの中で力を発揮できるのは、数えきれないほどの種類があるホルダーの中でも唯一、冒険者のみ。
そして冒険者以外のホルダーは決して冒険者になることは出来ず、その逆もまた然り。
つまりダンジョン内において、冒険者以外のホルダーは足手まといでしかないのだ。
「え? 氷室??」
「……氷室が俺たちにした警告の内容は?」
こんな状況だって言うのに沖嶋は冷静だな。
たしか、フレーム使いは異能の奪い合いがつきものなんだったか?
荒事にはそれなりに慣れているのかもしれない。
「ダンジョンアサルト。近くの奴に触れ。一人になるな」
正直、直後の激痛のせいで具体的にどんな警告をしたかはハッキリと思い出せないが、ダンジョンアサルトに遭遇した時俺なら何を言うかはすぐにわかる。
堀口にも言った通り俺は冒険者になる気はなかったが、その気がなくても巻き込まれる可能性があるのが今の世の中だ。だから万が一その時が来た場合の備えや勉強はしてきたつもりだ。
ダンジョンアサルトに巻き込まれた際、接触している者は同じ場所に飛ばされる。座標に多少のずれは生じるがほとんど誤差の範囲で合流は容易だ。
そして、ダンジョン内での単独行動は飛躍的に死亡率を高める。
「ありがとな、沖嶋。俺の手を掴んでくれたのはお前だろ?」
細かい状況や発した言葉は思い出せなくても、誰かが俺の手を掴んでくれた感触は覚えている。
そしてそれは、あの状況において沖嶋以外にありえない。
あの時俺は警告をするのが精いっぱいで、誰かに接触している余裕がなかった。
本来なら俺は一人でダンジョンに飛ばされていたはずだ。そうなった時、ゼリービーンソルジャーズの召喚が間に合ったかはわからない。激痛と熱で苦しんでいる間に殺されていた可能性だってある。
足手まといを連れて行きたくはないが、男には通さなければならない筋がある。
「まさか、あの氷室がこんなにちっちゃな女の子になっちゃうなんてな」
「え!? 沖嶋くんどういうこと!? この子が氷室って何で!?」
「ダンジョンアサルトだよりりちゃん、前に授業で聞いたでしょ? 氷室はノーマルだから特異変性の影響を受けるんだ。肉体か精神に不可逆的な大きい変化があるとは聞いてたけど……、知ってても未だに少し信じられないって気持ちは俺にもあるよ」
まあ、沖嶋は優等生だしそりゃあ知ってるか。話が早くて助かるな。
「う、うーん? そんな話も聞いたような聞かなかったような……。全然似てないけど、でも、沖嶋くんが言うなら間違いないよね!」
「ダンジョンを出れば証明はすぐに出来る。俺の変化は一旦置いておいて、今はこの状況を切り抜けることだけを考えろ」
「うわぁ、この偉そうな感じマジで氷室じゃん。喋らなければこんなに可愛いのに」
如月はわざわざスマホのカメラで俺を撮影して、今の姿を見せつけながらそんなことを言ってきた。
今の自分がどういう姿をしているかなんて正直どうでも良いが、別に見たくないというような拒絶感があるわけでもないため、こうして突きつけられれば自然に目に入る。
髪は立ち上がってもなお地面に引きづりそうなほど長く、後ろで一括りになったクリーム色のような淡い金髪。瞳の色は緑か青か、暗くてよく見えない。顔立ちも童顔で整っていることはわかるが、全体的に明かり不足で細かい部分はよくわからない。写真だけだと身長はわからないが、沖嶋や如月との身長差を考えると140cm台くらいだろうか。全体的に細くなってしまって、筋肉も落ちているように見える。
ここを出た後のことが少しだけ憂鬱だが、如月に言ったように今はこっちに集中だ。
「それでこの子たちは?」
沖嶋が俺の周囲をかためている五体と、トコトコ歩いて戻ってきた赤と緑に視線を向ける。
すぐに答えようとして、言葉に詰まる。自分のスキルで召喚されたのだろうということはわかるが、詳細はまだ確認していなかった。
ステータスウインドウに表示された「ゼリービーンソルジャーズ」という文字を指でタップすると、新しいウインドウがポップアップする。
□□□□□□□□□□□□□□□□□
【Name】
ゼリービーンソルジャーズ
【Level】
1~2
【Class】
召喚獣
【Member】
レッド、ブルー、グリーン、イエロー、パープル、ホワイト、ブラック
【Skill】
各種属性耐性(微)
【Tips】
ゼリービーンズの兵隊たち。
蜜蝋を固めた表皮はとても頑丈。
お菓子のお姫様に仕えている。
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召喚系スキルで呼び出される召喚獣のクラスは、全て「召喚獣」で統一されると聞いたことがある。菓子姫に仕えているとも書いてあるし、やっぱり俺の召喚獣で間違いなさそうだ。
にしても、こいつらのステータスは文字化けしてないな。なんで俺のステータスだけこんな意味不明な状態になってるんだ。名前やらレベルやらはまあ良いとしても、Cスキルがわからないのは致命的だぞ。
「ゼリービーンソルジャーズ。俺のスキルで呼び出された、いわゆる召喚獣だ」
「ああ、それなら確かに味方だ。そっか、スキルで。ってことは……」
「お察しの通り、冒険者になってたよ」
ステータスウインドウは出しっぱなしの状態になっているが、これは本人にしか見えない。
俺の答えを聞いて沖嶋は何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
「ドンマイって言いたいところだけど、そのお陰で助かってるし、なんかごめん」
「お前が謝るようなことじゃないだろ。変なやつだな」
言いたいことはわかるが、今言ったように沖嶋が謝るようなことじゃない。
ホルダーは冒険者になれず、その逆も然りということは、一度冒険者になったら他のホルダーにはなれないということだ。
堀口に言ったように、冒険者は最も平定者に遠いホルダーだという認識が一般的であり、俺もそう思っている。沖嶋もその辺の事情を知っているからこそこんな微妙な反応をしているのだろう。
だが
「勘違いするなよ沖嶋。確かに冒険者が平定者になるのは難しい。それは間違いない。だけど、絶対に無理だと決まったわけじゃない。俺はまだ、平定者になることを諦めてなんかない」
堀口に言った通り、俺はその時点で最も平定者になる可能性の高い選択をしているに過ぎない。
何の異能も持たない、フラットな状態であればあえて冒険者になる理由はないが、冒険者になってしまったのなら、その時点は更新される。
俺がやるべきは、今、この時に出来る最善の手を打つことだ。
「ははっ、なんか氷室らしいな。余計なお世話だった?」
「当たり前だ。俺はお前に心配されるほど落ちぶれちゃいないっての」
「むむむっ! そこまでー! ねえあんた、ほんっとうに氷室なんだよね?」
軽口を叩いて笑い合っていた俺と沖嶋の間にいきなり如月が割って入り、ずいっと俺に詰め寄ってそんなことを言いだした。
ダンジョンのことをよく知らないようだし、沖嶋の説明だけじゃ納得というか、理解出来なかったのか?
「そうだって言っただろ。疑ってるのか?」
「疑ってはないけど、なんかやな感じだから沖嶋くんとは離れててっ」
沖嶋には聞こえない程度の小さな、しかしそれなりに感情の籠った声で耳打ちされる。
あぁ、なるほど。嫉妬か。こんな状況でもそんなことが言えるなんて、ただの馬鹿か図太いのか。
「沖嶋と絡まないのは別にいいけど、お前ダンジョンのことわかるのか? これからの方針を説明するけど理解できるか?」
「馬鹿にしないでよね! ダンジョンのことくらいあたしだって知ってるから! あれでしょ? なんか異世界から攻めてくるモンスターがいて、一番奥にボスがいるんでしょ。それでそいつを倒すとコア? が手に入って、大金持ちになれるんだったっけ? だから、逃げるならその逆に進めば良いってわけ!」
……間違ってはいないが、随分ふわふわしてる知識だ。
この理解度だと伝言ゲームになって正確に伝わらない可能性が高い。
「外に出たら深く関わるつもりはない。だからこのダンジョン内では我慢しろ。お前の我儘で沖嶋が死んでも良いのか?」
「そんなわけないじゃん! ……わかったよ、今だけだからね」
如月は不承不承というように口をとがらせて言った。
恋する乙女ってやつはまったく面倒くさいな。
「仲良く話してるところごめん。なんか、足音が聞こえない?」
沖嶋の言葉を聞いて咄嗟に耳を澄ませる。見れば如月も両手で自分の口を押えてキョロキョロと周囲を気にしている。流石にここでキーキー騒ぎ出すほど愚かではなかったようで少し安心した。
……聞こえる。隠す気のない激しい足音。走ってるな。一人や二人程度のそれじゃない。金属の擦れ合う音も。
音の方向に視線を向ければ、俺たちが持っている光源と同じように薄っすらと紫色の光が見える。そしてそれは、大きく揺れながらどんどん近づいて来ている。
思ったより早い。だが、好都合だ。
「行け! ゼリービーンソルジャーズ!」
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